第3話 魔除けの魚

 アリアは順番を間違えた。

 ここまで鋭い考察が出来ることに驚いていた。

 やはり温水ではなく、冷水で髪を洗ったのが正解だったのだろう、と、勝手に自負している。


 因みに、相変わらずアクアリウムにいる魚は悠然と泳いだままだ。

 たった一匹で悠然と泳ぐ姿は、孤独を通り越して孤高である。


「お魚さん、私には分かっているわよ。お魚さんにはお爺さまの魂が乗り移っているのね。お母さんには申し訳ないことをしたわ。お父さんを連れてくるべきだった、ね?そうよね?」


 祖父は父方である。ならば、母ではなく父を連れてくるべきだった。

 アリアは別に幽霊の存在は信じていない。

 でも、ひょんなことで、ソレを呼び出す魔法陣を書いたのかもしれない。

 ——だが、水槽の魚はピクリともしない、いやむしろ。完全に無視を決め込んでいる。


「不正解……?いや、でも……。私、はっきり聞こえたもん!だから間違っていない。私は頭を冷やして来たの。だから解っちゃった。……えっとそれじゃ、こっちの順番の話ね。……私の家にはお金がないって話。えと……、家財を売ってお兄様たちを貴族街に送り込んだという話。……あと、私はこのままだと平民になってしまう話。」


 少女は自分で言いながら俯いていた。


「でも、大丈夫。私、お爺さまが大好きだった。だからお爺さまの形見は絶対に手放さない。お爺さまの肩身は絶対に大切に育てるの。つまり————」


 その言葉を話すアリアは、間違いなくはっきりと、『人面魚』の目を見ていた。

 ぬらぁぁ、と鱗を光らせて、人面魚が動き始める。


『……爺さんの形見だから売らない。それ本当か?信じていいのかよ?』

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!魚がしゃべったぁぁぁ!!」


 ——おや、これはなんだ?


『お、お前。まさか今流行りのタイムリープを?……って、そんなわきゃないっつーの。全く、ヒヤヒヤさせるぜ。いきなり母親を呼んでくるなんて思ってねぇっつーの。』


 もしかしたら目の前の少女は、情けないことに死んでしまったのかもしれない。

 白目を剥いたまま動かない……いや、かろうじて口がパクパクと魚みたいに動いている。


「さ、さ、さ、魚が……、しゃ、喋った。破邪の魚じゃなくて呪われた魚だった……。お、お、お、お爺さま、どどどどどうしよう……」


 ——おや?彼女は喋って欲しかったのか、勘違いであって欲しかったのか、どちらなのだ?


『はぁぁぁ、俺を魚と一緒にするんじゃないって。この流線型のボディを見て、まだ魚って思うのか?つーか、魚がしゃべるわけないだろ?』


 アリアが半眼になって、じっと人面魚を見つめる……見つめる……見つめる。


「やっぱ魚じゃないの!いや、でも顔は人の顔してるし……。でも巷で人面魚はただの鯉だって……。お爺さまもそう言ってたし。確かにちょっとリアルだなって思ってたけど、それもこれも呪いのせいかなって……」


 少女の言葉に人面魚は複雑な顔をした。


『まぁ、色々あるってことだ。とにかく、俺もお前の爺さんのおかげで助かったみたいなところあるしな。そーか、あの爺さん、全然来ねぇと思ったら、死んじまってたのか……』

「お、お、お、お爺さまはご存知でしたの?」

『いやぁ、そこまでは。金が無くて首が回らないのは知ってたかな。あ、因みに俺も首が回らない。物理的にだけどな。』


 アリアは半眼で人面魚を睨みつけた。


『なんだよ。冗談だよ、冗談。ユーモアってのは大事だぜ。ただ、売り捌かれないように黙ってたのは確かだな。俺もまだ小さかったしな。今でもその恐怖は拭えない。でも、お前は俺を売り捌かないっつったからな。……で、いつまでもお前ってのも失礼かもな。おい、そこの美少女。名前を教えてくれ。」

「え、え、え、えっと、名前を教える事で呪いが発動するとかない?」


 実際、こんな不気味な何かに名を尋ねられたら、それくらいの可能性を考える。


『ねぇよ。そもそも俺は呪われた魚じゃない。つーか、人面魚だ。人面魚くらい、どっかの池で見たことあるだろ。よく見たら人間の顔に見えるってやつ。』


 怖いのは怖い。

 けれど少女は、それ以上に『決められた自分の未来』の方が怖かった。


「……ない。私、あんまりあちこちに行った事ないから。……ねぇ、お爺さまは私に希望になれと言ったの。だからお爺さまが買ってくれた人面魚にも意味があるって信じたいの……。ねぇ、名前を教えたら、私の手助けをしてくれる?」

『おいおいおい、俺は手がないからそれは嫌味か——って訳でもなさそうだな。いいぜ、一宿一飯どころじゃないくらい、お前の爺さんとお前には世話になってんだ。ちなみに俺の名前は……既に決まっているよな。だから俺が聞きたいのは』


 だから少女は自身の夢を叶える為に、彼に名を告げた。

 これが悪魔の契約だったとしても、アリアはそうしただろう。


「アリア。アリア・フィッシャーマン。マーブル・フィッシャーマン男爵の娘のアリアと申します。……でも、貴方の名前って……その、私が小さな頃に名付けた名前だから……メンマちゃんなんだけど、それでいいの?」

『元々、名前なんてそんなものだろ? あ、姓名判断はまだ実装前だからな。もうちょっとデータがないとなんとも……。とにかくよろしくな、アリア。』

「うん、よろしく。メンマ。」




 ————そしてこの瞬間、少女の運命が変わった。


 

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