第5話 海風の悪臭の原因

 アリアは楽しそうに回遊する人面魚を眺めていた。

 そういえば、どう考えても人面魚だ。

 いつか図鑑で見た人面魚は鯉の模様が人の顔に見えるだけだった。


 ……でも、あれはどう見ても人の顔だ。


「呪いには呪いで返すのが一番じゃろう。アリアが欲しがるというのはそういうことじゃろうな。」


 当時の祖父の言葉である——『呪詛返し』という言葉を最近知ったが、それと同等のものだったのだろう。

 確か、あの時市場を歩いていたのだ。

 祖父に手を握られて、アレが目に入った。


「あぁ、早ぇとこ処分しちまわないと、客がよってこねぇな。でも、バチが当たるのも怖ぇし……」


 地元の漁師がぶっきらぼうにそんなことを言っていた。

 呪いの海で取れる魚は妙な形をしていたり、ひどい臭いだったり。

 でも、雀の涙程度でも良いから、食べ物が欲しかったのだろう。

 漁は昔からずっと続けている。


「……えぇ?これが欲しいんですか?」


 だから当時、祖父は安価で良いものが買えたと喜んでいた。

 ……なけなしのお金で孫が欲しがるものが買えたと、祖父は満足そうだった。

 そして当時の私も————


        □□□


 だが、どうして自分は斯様かように不気味なものを欲しがったのか。


『いやいや、受験勉強も大変だねぇ。これが将来に繋がるって分からねぇんだよなぁ。勿論、学生時代にやりたいことが見つかってる奴はいいけどさ。』


 突然、受験勉強の話を振られた。確かに二番目の兄が、まさにその状況である。


『アリアもやりたいことがないなら、とりあえず勉強はしとけよ。就職の選択は増やすに越したことはねぇぜ。』


 大きめのアクアリウムを回遊しながら、一言、話しては去っていく。

 多分、今までずっと話したくてウズウズしていたのだろう、それくらいの勢いで話しかけてくる。


 ……珍妙な生き物。

 

 がしかし、話がおかしな方向に向かっている。

 早く線路に戻さなければ。 


「窓を閉めても臭う、この悪臭を取り除けるの?」


 不気味極まりない何かに話しかける自分がいる、——いや、何かを期待する自分の間違いか。


『確か呪いの海だっけ?人間ってのはつくづくあれだよな。自分本位にしか考えねぇ。っていうか、環境を守るだの、壊すだの。神様にでもなったつもりなのかねぇ。大体、人間以外だって、ちゃんと心を持ってて、考える力だってあるかもしれねぇのにな。』


 ただ、この人面魚、喋り方がムカつく。

 どうして斯様な見た目で 偉そうなことが言えるのか。

 彼奴の存在自体が、『出オチ』のような存在なのに。


「それはあれです。私たちにも生活があるから仕方ないんです。確かにあそこは魚もほとんど取れないけど。」

『で、不漁続きの結果、底曳そこびき網を選択したってことか。はぁぁぁ、行き着くとこまで行っちまったか。やっぱ人間ってのは恐ろしいよな。取れねぇもんだから、底から全て掬っちまおうって感じか。——ま、俺もそのせいで捕まっちまったんだけど。』


 何故それを知っている!?

 ……アリアは一瞬考えたが、それは彼の言葉の通りだった。


 アレは市場で見つけたのだ——臭い臭い市場、それでもフィッシャーマン領で最大の市場。


「それは……申し訳ありませんでした。ですが……そうでもしなければ、あの海では何も取れません。」


 学校に行かなくとも、祖母らから色々教わっている。この地のことは11歳にしてはそれなりに知っていると自負している。


『どのみちほとんど取れないんだろ。もしも取れたとしてもかなり質が悪い筈だ。……いや、俺の質が悪いと言うわけではないんだけど。いや、やっぱそう聞こえてしまうか。うーん……』

「とにかく、領民は皆飢えているの。だからあれは仕方なく————」

『いや、俺の質は悪くない。うんうん。鱗もソレなりにテカってる。それにちゃんと水も変えてもらっているし……。あ、そうか。だから水槽の水は臭くないって事か。天からの恵みには感謝しねぇとな。』


 ……こいつ、私の話を聞いていない。本当にこんなの飼っていて、私は大丈夫なのかしら


「えと、だから臭いは我慢して————」

『親父さん、戻ってきてるんだろ?だったら、今からすぐに辞めろって言ってきてくれ。意味のねぇことをやってるって、お前も気づいてるんだろ?』


 ……ほんと、全然話を聞いてくれない。あれ、耳ってあるんだっけ——いや、ばっちし見えますけど?人間と同じものがばっちしと‼︎


 しかも何がタチが悪いって一回会話をする度に水槽をぐるっと回るところ。

 話を進めるためには、アレが帰ってくるのを待たなければならない。


「どうやって説得しろっていうの?そもそも臭いを我慢すればいいだけだし、私には何を言っているのか全然分からないし!」


 そこで人面魚は再び回遊を始めた。

 少女は半眼になって、回遊する怪魚を目で追う。


『全く、人面魚使いが荒い飼い主だな。それくらい自分で考えろと——言いたいが、一応、これ、恩返しだからな。サービスしおくか。』


 そして再び回遊を始める。

 それがあまりにももどかしい。


『底曳き網漁はアリアの爺さんの頃にはやっていたんだよな?』

「うん。ほんと、よく知っているわね。」

『お前、この部屋で歴史の復唱してたろ。あんだけ復唱してたら、嫌でも覚えるっつーの。アリア、鳥のフンでできた国の話知っているか?』

「鳥のフン?それ……って、またどっか泳いで行っちゃったし……。まだ話している途中よ。ちょっと!メンマ!」


 コンコンと水槽を叩くアリア。

 その音に反応して人面魚がこっちに向かって泳いでくる。

 考えれば考えるだけ気持ちが悪い。

 今までどうやってこの部屋で過ごしていたのか——知らないって素晴らしい。


『知るわけないって顔だな。土が良い肥料になるって分かった途端、国民総出で土堀をしたんだ。で、大金持ちになってな。でも、案の定取り尽くしてな、結局貧乏国に戻っちまったんだ。まるで杜子春——いや、杜子春の話はしたくないな。』


 回遊してくれる間に考える時間が出来る。

 でも、今の話はまるで意味が分からない。

 だから、アリアは再び水槽を叩く。


「うちの領地と全然関係ないじゃない。うちは土が痩せてて、その鳥のフン?の国とは正反対なの!」

『ちょっと待ってろって。俺、まだえら呼吸だから一気には喋れないの!いいねぇ、空気を直接すれる人間は。アリア、魔法の研究を活発にしている貴族に心当たりはあるか?』

「えっと……、それこそサッチマン魔法学校の校長先生の……って、もういないまた泳いでる……」


 それから、しばらく『回遊と一言』が交互に繰り返される、焦ったい会話が続いた後にメンマは言った。


『とにかく、行ってこい。俺のことは絶対に話さないでくれよ。俺まで売られかねないからな。』


 ——そして、これが少女の人生を変える最初の一歩である。

 

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