第6話 アリアの父

 アリアは今日二度目のシャワーを浴びた。

 少々細かいところは洗いそびれた気もしているが、そんなことは言っていられない。

 胸まで伸びた長い髪を何枚も用意された清潔なタオルで乱暴に拭き、全身についた水滴も乱暴に吸い取らせる。


「そんなこと……、誰にも教わらなかった……」


 彼女が知っている自領の歴史、国の歴史はとてもつまらないものだった。

 まず、王族関係者の話は伏せられている。

 これは当然だろう。

 公爵、侯爵関係の資料も伏せられている。

 これも自分が男爵家系と考えれば当然だろう。


「でも、自分の領地のことは……、でも何百年も前のことなんて覚えていないし……。これはお父さんとお母さんは知っているのかしら」


 清潔なものを入れる桶、不潔なものを入れる桶。

 このタオルは不潔な側の桶に入れる。

 そして、清潔なものを入れる桶から、先ほど脱いだばかりの白いワンピースを取り出して、すっぽりと頭から被る。


 フィッシャーマン領は元々王家の直轄地で、領主を任されていたのが彼女の祖先と聞かされている。それから時代が変わり、貴族社会が浸透し始めた二百年前に王より男爵位を賜った。

 だから男爵位は平民と貴族、両方の側面を持つ。


「お父さん、お話があります。ちゃんと体を洗いましたし、ちゃんと清潔な服にも着替えました。この扉を開けてもよろしいですか?」


 母の部屋は既に通り過ぎている。そこからさらに二つもドアを開けた先にある小さなドア。

 実はただの物置なのだが、そこが一番外の空気が入らないということで、父はこの部屋に篭っている。

 貴族とは見栄であると、彼は言う。

 臭いなどと思われては息子たちに示しがつかないと、彼は言う。


 絶対に付け焼き刃の父の言葉だが、アリアは従わざるを得ない。


「アリアか済まないが————」

「済まないも何もありません!お金儲けの話なんです‼︎」


 これがアリアが持って来た『切り札』——そしてメンマが教えた『鳥のフンの国の話』

 

「アリア、気持ちは分かる。お前も貴族学校に進みたいんだよな。でも、そうそうお金なんて湧いてこないんだよ。」


 やはり父も知らない。

 なのに何故あの魚は?

 そんな疑問を頭を振って霧散させ、根気強く見窄らしいドアをノックし続ける。

 元々物置の部屋だ、建て付けなんて後回し。

 ギシギシと蝶番から音がする。


「分かった!分かったから!家を壊さないでおくれ。は、話だけなのだろう。別にお前を避けていた訳ではない。だから入って来なさい。」


 ——いや、十分に避けていただろう!、という気持ちは呑み込む


「では、失礼します。」


 実は久しぶりの父との対面である……食事の時も父は部屋から顔を出さない。

 そして、その理由がここで明かされた。

 父は顔まわりこそ貴族然としていたが、首から下は平民にも劣る……というより下着姿だった。すててこのようならくだ色の履き物が痛々しい。



 何度も言うが、この領地は貧乏だ。

 別に領主のマーブル・フィッシャーマンが富を独占している訳ではない。

 ただ、貴族街での外着は用意しなければならないし、何着も買えるものではない。

 母もそれは同じだが、父の方が圧倒的にソレが必要となる。

 男爵位を持っているのは父であり、父は息子のために社交の場に出なければならない。

 ここに帰ってくる為に着ていた服さえ、大切に保管している。——それが故に今は閑散とした村にいる平民の姿。いやそれ以上の姿、下着姿同然で過ごしている。


「お父さん。なんて格好をしているの?……なんて、私も大人だから言わないけれど、その臭いの原因って知っているでしょう?」

「呪いの海の臭いだろう。確かにお前をあの部屋に軟禁状態にしているのは胸が痛むが……」

「海の臭いは底曳き網漁が原因です。一刻も早く漁民に漁の停止をご命令ください!」



        □□□


 人面魚はかつての名前を捨て、今はメンマとして生きている。その人面魚の目には丁度よく海が見える。

 ただソレが見ているのはその遥か先、アリアが見ている海ではなく、その遥か遥か彼方。


「もう三年以上経つのか。みんなはうまくやっているかな。でも、俺はもう……」


 人面魚は哀愁を漂わせながら、酸素を求めて狭いアクアリウムを回遊する。


「あれ?」


 回遊する。


「ん?」


 回遊する。


「あれ、なんか遠くであいつが手を振って……」


 回遊する、回遊する、回遊する。


「これ、酸素がないよな……、あいつ……」


 回遊する気力も薄れ、思考能力も低下していく。

 そして思い浮かんだのは走馬灯だった。


「ゼペ……、俺ももうすぐそっちへ……」



        □□□


 少女は走っていた。

 白いワンピースを脱がないといけないのだが、それよりも早くアレに伝えたかった。

 そして粗末なドアを開ける。


「メンマ!お父さんがしばらく漁を…………」


 彼女は絶句した。

 人面魚が白目を剥いてぷかぁと海底に沈んでいたのだから。


 そこで彼女は気がついた。

 自分の足が何かを踏みつけている——いや、元々ここにこんなコードは落ちていない。つまりは。


「メンマ、ごめん!私、部屋から飛び出した時、エアレーションのコードをひっかけて抜いちゃった‼︎」

 

 その後、なんとか水中内の酸素濃度が上がり、メンマは息を吹き返した。


『人殺し!いや、人面魚殺し‼︎』

「ごめんて!そもそもメンマがすごい話をする方が悪いもん。それに今回は急いで行ったし、急いで帰ったから大丈夫だったでしょ?」

『まぁ、そうだが。電気が開発されているなんて初めて知ったよ。なんでコンセントが異世界にあるんだよ!そこは魔法具とかでどうにかなるだろ!ってだけだ。ま、三途の川の向こう岸で親友に会えたから良しとする。』

「いや、ほんとごめんて!それ、見えちゃダメなやつだよね!」


 ソレが水槽の中にいるため、アリアは必死に水槽の前でペコペコと頭を下げている。


『もういいって。実際、魔法具を買う金もないってことだろ。で、どうだった?』

「うん。一応、漁はやめてくれるって。そしてメンマの言った通り、漁民はその間、海岸の土掘りを行わせるって。それと常に海風が当たる畑の土を魔法学校に持っていってみるって。」

『待て。それは信用できない。アリアたちは地位の低い男爵家系だろ? 足下を見られる可能性がある。親父がその気になったなら、アリア、お前も一緒に行くべきだ。』

「待って!私は何も知らないから……、え?もしかして?」

『あぁ。交渉には俺も同行する。……が、見つかってはまずい。その為の準備もして貰いたい。あと、エアレーション用の魔法具の確保は絶対な。』

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