第27話 アミエル・クレーベンの訪問
人面魚は水槽の隅でじっとしていた。
ただ、彼の賢者モード顔とは裏腹に、内心はソワソワしていた。
あの女性がアミエル・クレーベンで間違いないと一眼でわかる。
藍色の長い髪と見透かされているような薄めの金色の瞳の女性。
しかもアリアが言ったように、人間離れした美しさを持った女性。
根っからの男嫌いだが、ミハエルは別腹という、それは男嫌いなんじゃなくて、単に要求が高いだけという、失礼な女性。
観賞魚の気持ちなんて分からないが、観賞魚のような気分になってみる。
多分、未知の生命がいる場合はどんな生き物でも最初は怖がる筈だ。
だから、メンマは石の隙間に身を隠す。
この大きな石を小石のように扱うのだから、アリアはやはり怪力娘だ。
『さぁて。どうしようかしらね。王子様に顔を覚えられている底辺貴族令嬢様。本当にシンデレラストーリーね。んー、でもすごく庶民的な部屋ね。それに……』
真っ赤なヒールがカツカツと音を立てる。
気にしたことはなかったし、メンマには必要のない知識だが、この世界は土足文化らしい。
マジで必要のない知識だが、カツカツ音が次第に近づいて来る。
『うーん、おかしいわね。この部屋、生活基盤はアクアリウムの近くなのに、ベッドは入り口の方に置かれている。しかもこの衝立……、あれ?アリアちゃん、男を連れ込むような子だったっけ?……ん、それもおかしいわね。浴室は別になっているわけだし。ベッドをキッチン側に置く意味がない。寧ろベッドは奥側に置きたがるわよね、普通。』
探偵気取りなのか、本当に何かを調べているのか、部屋の物色をしている。
確かにアリアはアクアリウムとベットの間に衝立を置いている。
そういう人間もいるかもしれないが、ベッドからは全く見えないようにするくらいなら、アクアリウムなど置かなければよい——と考えるかもしれない。
「うーん、私なら……」
……は?
彼女はなぜか部屋から出て行った。
そして半刻後、再びドアの開く音がした。
『ふぅ。やっぱり重いわね。でも、あんまり人に見られても嫌だしね。』
確かに家に戻ってくるまでの足音は色々と違和感があった。
何かを引きずったり、持ってみたり。
そしてその聴覚情報が、視覚情報と繋がった。
……この女、人の家に自前のソファを持ってきた……だと!?
確かに今から一ヶ月間、彼女は定期的にここに来るのかもしれない。
それにしてもソファはやりすぎだろう。
まるで……
『よいしょ、この辺が真ん中かしらね。』
メンマは彼女の動き、そしていちいち声を出す仕草から、アリアに教えてもらえなかった、彼女の特徴を知ることができた。
……目があまりよくないのか?しかも生まれつき?瞳の色素が薄いのも関係あるのか?
完全に見えていないわけではない。
それでも、目の動かし方で分かる。
アリアから彼女はハキハキ話すとも聞いている。
そして、メンマにはそれが『人に聞かせる為ではない』と思えてしまう。
……血統魔法で補っているのか? こいつ、聴覚が異常に良い。まずいな。迂闊に独り言もできない。
『うん。良い感じね。それじゃあ、ここに机も持ってきて……、あ、机じゃなくて、椅子の方がちょうど良いわね。』
そう言って、彼女は。
赤いタイトなスーツスカートの彼女は。
黒いストッキングの彼女は。
——ソファに腰を埋めて座った。
『ふぅ。やっぱりアクアリウムの楽しみ方はこうよね。夏だからどうしようと思ったけど、思ったより重労働だったし、冷やしといて正解だったわ。』
……はぁ!?こいつ、なんでワイングラス片手にくつろぎ始めたの!?
いや、巨大な水槽、そしてソファとワイングラス。
セレブとしては正解かもしれない。
ただ……
『はぁ。ソファ、重かったぁ。暑くなってきちゃった……』
彼女が足を組み替える
首元のリボンを外す度、
第一ボタンと第二ボタンを外す度、
——ないはずの雄々しい触覚が反応しそうになる。
自分がオスだと分かった瞬間から、そういう事に過敏に反応してしまう。
では、もしかしなくても、今朝の夢もその手のモノ。
つまりメンマの前世の記憶とか関係なく、
この体が性に興味を持ち始めている。
『うーん♡良い感じ♡』
そしてこの女。
心の声が何かと漏れている。
……早く、温度調節して、エアレーションの確認をして、それから餌を投げ入れて帰ってくれないか!!
……ワインボトルが一本
……ワインボトルが二本
……ワインボトルが三本
……って、ここはお前の家か!?
(おやおや、人面魚の様子がおかしいですね。元々、穏やかな性格の筈です。もしかしたら、彼は思春期を迎えているのかもしれませんね。もう少し観察してみましょう。)
——心の中で某ゲームのナレーションが擬似再生される。
完全にアミエルが悪い。
お酒に強いのかもしれないが、それでも次第に目つきがとろんとなり、頬や胸元が紅潮していく。
『はぁ。酔ったら暑くなっちゃった。ジャケットも脱いで……、いっそ全裸になろうかしら!』
——この言葉は流石に不味かった。
「パシャン」
グン!!と人面魚の体が反応してしまい、盛大に尾を動かしてしまった。
そして隠れ家に使っていた石が水面近くまで飛んで、水飛沫が水槽の外を濡らした。
……しまった!俺の体が勝手に反応した!青い春が俺を苦しめる!!
いや、今のは人面魚のせいではない。
隆平という人物の童貞部分が反応しただけである。
マーマン差別はやめていただきたい、ただ……
……いや、問題ない。俺の外見は伝わっている。だからただ隠れていましたよ風に演じれば良いだけだ。
そしてすいーーっと、何食わぬ顔で回遊をするメンマ。
『あれ!?』
女の声がする。
でも、反応してはならない。
だってただの観賞魚で、呪いで人の顔っぽくなってしまっただけなのだ。
だが、彼女はソファから立ち上がり、水槽に顔を近づけてくる。
あまり隅っこばかりいても仕方がない。
先はエアレーションの近くにいたから鰓呼吸出来た。
ただ、そこから離れてしまったし、なぜか鼓動が激しくなって体が余計に酸素を欲しがっている。
だから、今は回遊しなければ酸素が得られない。
すると、当然眉目秀麗、スタイル抜群の彼女の近くも泳がざるを得ないわけで。
ただ、目を合わせてはいけない。
観賞魚だって目で見ているのかもしれないが、今の顔はあくまで人間。
呪いで人間の顔になってしまっただけの魚。
ただ。
『あれ、マーマンじゃないの?』
勿論、ここまでは問題ない。
彼女の目的がマーマン・リューヘーとの接触だとは分かっていた。——問題はここからなのだ。
『幼魚も連れてきてたってこと?』
その言葉にメンマは激しく動揺した。
……こいつ、マーマンの幼体を知っている!?でも、人面魚のフリを続ければ
『これってどういうこと?ミハエル様は確かにマーマンがいたって仰っていたのに。ここにいるのは幼体?』
……いや、違う!俺は幼体じゃない!っていうか、マジで知っているのか?確かに知っている人間がいてもおかしくはないけれど!侯爵レベルが知っているとなると、話は変わってくるぞ。絶対に俺が幼体だとバレないようにしないと、最悪拷問される。
最悪のシナリオは今のマーメイドの住処を知られることだ。
メンマは漠然としかしらないが、どの辺りかは知っている。
さらに言えば、どこに移り住みそうかも想像できてしまう。
……加えて言うなら、稚魚は致死率が高い。稚魚は逸れやすい。もしかしたら、俺きっかけで稚魚探しが始まってしまうかもしれない。
という、メンマの考えは実は全く無意味だった。
『あのさ、メンマ君。君の視線、ちらちら私の胸元や足に目がいっているのよ!お魚さんなら絶対にそうはならないわよね。因みに言っておくけど、私たち女は男のそういう目線に簡単に気付けるものなの。……もう、諦めなさい、このマーマンのエロガキ!仕方ないのよ、マーマンの幼体はエロガキで出来てるものね。それで私は男嫌いになったんだから。ほんっと!オスなんて死ねば良いのに!』
————は?
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