第28話 可逆?不可逆?

 メンマの思考は停止していた。


 彼女が男嫌いという情報は、確かにアリアの報告にもあった。

 でも、今なんて言った?


『あの習慣、マジで鬱陶しかったわよ。真っ白なザー○ンをスギ花粉みたいに飛び散らせて!くっさいし、万が一着床したらどうするつもりなのよ!!』


 ……こいつ!なんで!?いや、まさか?


『何、マーマンなんて名乗ってんの?あんた達が名乗るべきはザー○ンでしょ?』


 ……マジ、口が悪い!なんなの、こいつ!でも、間違いない。こいつは……


『ザー○ン族から逸れたの?かわいそうにねぇ、おっぱい吸う?まだ出ないけど……って、ほら、また反応した!』


 ……何回ザー○ン言ってんだよ。テメェの方がエロ女じゃないのかよ!っていうか、間違いない。こいつは元人魚だ。ならどうして?いや、だからそうなのか?


 流石に我慢ならないと、くるりと振り返ってメンマは彼女の顔あたりまで泳いでいく。


「お前、元マーメイドだな?つまりお前も————」

『あら?あんたシマ・エヨソノエノキが生えてないの?もしかして男でも女でもないってこと?』


 今、初めて知った。マーマン族幼魚のシンボル、『雄々しい触角オレノチン・ポーン』は、マーメイド族からは『シマ・エヨソノエノキ』と呼ばれていたらしい。……っていうか、ルビで遊ぶな!


 ……でも、今はそんなことは言っていられない。


「お前も裏切り者か?」

『はぁ?ってか、あんたこそどうなのよ。っていうか、シマ・エヨがないなら心配ないわね。実はちょっと期待してたんだからぁ』


 ……あんたこそ?っていうか、待て待て待て!こいつ、何をするつもりだよ!


 アミエルはアリアがよく使っている梯子を持ち出し、そしてそこをよじ登って……


 『ドボン!』


 と音をさせてそのまま水槽に飛び込んでしまった。

 そして体の形が徐々に変わっていく。


 そう。マーメイドは一定条件下で人間になることができる。

 ただし、マーメイドのほとんどの能力を失い、さらにもう一つ代償を伴う——と、当時、教わった。

 まさにアンデルセンの御伽噺に出てくるような設定。


 ——つまり、彼女が失ったのは視力だ。でも、それは本来不可逆性のモノである。


 だから、目の前で起きていることをメンマは知らない。リューヘー時代にも教わったことがない。


 美しいラインを描いた彼女の体が次第に


 次第に……


 足が尾びれになり、そして。


 上半身はゴムのような質感の……


「————って、それは認めねぇ!!なんで、ボディスーツ着用してんの!?」

「はぁ?あんたバカ?なんで全裸にならなきゃいけないのよ。あー、そっかー。マーマンの幼体って基本全裸ですもんねー。お粗末なものを頭からぶら下げて……って、あんた、どしたの?取れちゃったの?」

「違うっての。俺は最初からなかったんだよ。だから捨てられて彷徨ってたんだろうって仲間から言われてる。で、さっきのどういう意味だよ。」


 しっかりとボディスーツを着用している。どうして赤いスーツがボディスーツになったのかは分からないし、きっと魔法具か何かだとは思う。

 けれど、この人魚、下半身の途中までボディスーツが伸びている。

 だから見えるのは尾鰭だけだ。

 つまりぱっと見は人間が悪ふざけしているようにも見える。


 だが、水中で呼吸が出来るのだから、人魚で間違いはない。


「さっきの?あー、この姿になるの、何年ぶりだろーって意味よ!やっぱ、この姿に戻るって気持ちがいいわねー!!」


 そう言って彼女は巨大水槽を端から端までぐるぐると回遊を始めてしまった。

 やはり、この動きは本能なのだ。


「で、あんたのパパはどこにいるの?」

「そう簡単に教えられるか。ってか、お前はなんで可逆性変化ができる?」


 元々、メンマが聞きたかったのは、『あの時、マーマンやマーメイドの居場所をリークした裏切り者か』というものだった。

 だが、可逆性変化の方に興味が移ってしまった。


 それは勿論、自身の体にも起きたことだからだ。


「うーん。それはあまり教えられないわね、マーメイド族は人間の庇護下に入ろうかと模索していた、くらいしか言えない。」

「人間を?待てよ。人間の裏切りで、一番被害に遭ったのはマーメイド族の方だろ?」

「そうよ。でも、逆に言えば、当時の姫様の力を得た人間は安全ということ。勿論、あんた達、マーマン族がもっと強ければ考えなかったんでしょうけどね!」


 その理屈は正解だ。

 それにマーマン族だけで解決できる問題ではないのだ。

 全ての種族に狙われるマーメイドを守るなんて、はっきり言って無理ゲーなのだ。


 ただ、あの戦いであの男は人間がバックについていると言った。


「それにゼパ……いや、今はゼバリアスって名乗ってるんだっけ? あいつがいる限り、マーマン族だって怪しいものよ。あんたもあんたのパパもゼバリアスの部下かもしれないじゃない。」

「ゼバリアス……、そいつが人間に力をもらったと言ったんだ……」


 ……あいつも倒さなければならない相手だ。

 

 ギリッと奥歯が鳴る。

 その様子を見て、アミエルは、はぁ、と肩を竦めた。


「いい?私たちマーメイドの敵は全ての知的生命体。そして姫の力を持っていない全ての存在。どこかに第二の王を名乗りたい人間がいるかもしれないし、王家だって一枚岩じゃないの。それにこの大陸に留まっているとも限らない。この星の九割は海だけど、他に陸地がないわけじゃないわ。そして少なくともミハエル様は人魚を守ってくださる御方。」

「でも、そいつだって……」


 人魚姫の肉を食ったと言った。


「これ以上は何も言えないわ。王子と約束をしたんでしょ?あの子を王家と話せる地位に連れていくと。そしたら話してもらえると。彼も楽しみにしているんだから、それは言えないわ。」


 そしてアミエルは半眼になって、メンマの顔を指さした。


「——ただ、私の目にフィッシャーマン家とあんた達マーマン親子の繋がりが怪しく映ったの。だから私はまだ海にいるマーメイド達の為に、アリアちゃんの身辺を調査していた。その成り行きで、アリアちゃんに懐かれちゃったわけだけど……。あんたなら、この意味、分かるでしょ?」


 この意味が分かってしまう。

 単純な話だ。

 三百年前、人魚姫はこの大陸に連れ去られた。

 そして全ての種族がその姫を狙っていた。

 海洋国家がこの国を攻めるとしたら、フィッシャーマン領の浜辺が一番侵入しやすいし、拠点も構えやすい。


 そも、あの領地は元々王家所有であり、その地を任された人物が、後に男爵位を賜った。

 だからこそ、フィッシャーマンのルーツは王直属の兵士となる。

 しかも、信用が厚い者しかあり得ない。

 ならば、王の近衛騎士か右腕に近しい人物だった可能性が高い。


 ただ、人魚姫の力を得た王族の力が想像よりも強かった為、この国は結局攻められなかったという話だ。


 それを踏まえ、アリアの才能も踏まえると、アミエルの考えも頷けてしまう。

 だからメンマは押し黙ってしまう。


「はい、私は十分に喋ったわよ。だから次はあんたの番。早く父親の居所を吐きなさい?あんたと話してる時間なんてないの!身辺調査はまだ終わってないんだからね!」


 再び、お前が犯人だと言わんばかりに彼女は人差し指を突き立てた。

 正直に話すかどうか。

 ただ、はぐらかしたら彼女はずっと調べ続ける。

 するといつかアリアが嫌な思いをするかもしれない。

 それが分かるだけに、メンマは正直に話すことにした。


「まず最初。信じてもらえるかどうかは分からないけど、アリアはそんな人間じゃない。」

「へぇ。どうかしらね? 結構な啖呵を切ったって話だけど?」


 やはりそうなる。


「んで、これも信じてもらえるか分からないけど、ミハエルが見たっていうマーマンは俺だ。」

「は?何言ってんの?」


 勿論、これもそうなる。


「いや、だから俺も分からないんだって!あの時、俺は何故か中間体になったんだ。手足が生えて、マーマンもどきになってたんだよ!」

「嘘よ。あの変化は不可逆的なものだわ。流石に無理があるわね。」

「そんなこと言ったら、人魚から人間も不可逆変化だろ。」


 そこで一瞬時が止まる。


「え……、いや、そこはちゃんと理由があるから!い、言えないけど。でも、あんたのは嘘よ。」

「いや、嘘じゃない。寧ろ俺も理由が知りたいくらいだよ。なんで俺は元に戻ったんだ?」

「嘘だから理由なんてないわよ!」


 ここから先に進めない。

 理由はやはりマーマン、マーメイドはパッションで動くからだろう。


「っていうか、あんた子供のくせに生意気なのよ。ヨークサックが取れたばかりのお子ちゃまには、付き合っていられないの!」

「あ?俺はそんなに子供じゃねぇわ。ヨークサック取れたのも八年か九年前だわ!」

「ついにミスったわね。流石にそれはないわ。ヨークサックが取れたら三年くらいで中間体になるもの。どれだけ成長が遅くても足くらい生えているはずよ。」


 その言葉にメンマはため息を吐く。

 マジでそうなのだ。

 本当に成長しない。

 まるでサナギにならず、衰えて死んでいく幼虫のようだ。


「じゃあ、これはどう説明する?」



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