第14話 夢の中?海の中?

 メンマはまだ夢の中。

 今回も人面魚の夢の中のお話。



 空から差し込む光はまさに桃源郷を思わせた。

 色とりどりの珊瑚も、苦しめられたイソギンチャクでさえ、桃源郷の一員を名乗るに相応しかった。


 当然のようにその世界に吸い込まれていく彼。

 すでに自分の有り様など関係ない。

 手も足もちょっとしか動かせないし首も回らない。

 頑張って後ろを向いたところで、風船のような何かが邪魔をして、後ろが何も見えない。

 ただ、体幹だけは化け物じみていて、水の中だというのにぐんぐん進める。


 彼は呼吸ができる。

 だってこれは夢だから。


「あぁ。スマホの音に怯えない生活が、こんなにも心を軽くさせるなんて……」


 愉悦というか快感というか開放感というか……


 彼は全員に幸福を感じていた。

 全身? 細かいことは考えなくて良い。

 だってここは胡蝶の夢。

 もしかしたら本当に蝶になっているのかも知れない。


 しばらくすると、桃源郷の中にそびえ立つワカメか海藻、さらには樹木のような何かが見え始めた。

 偶然なのか、必然なのかそれらは円を描いており、まるで海の聖域のように思えた。

 ……なんて美しい


 さらにそこから暖かい海水が流れているし、良い香りがするしで引き寄せられる。


 水中なのに良い香り? と疑問に持たれても知らない。

 ここは夢の中なのだ。永遠に醒めない桃源郷の夢の世界。


 ——蝶が見ているただの夢


 そして彼は、そこで在り得べからざるモノを見た——モノというよりは者。


 っていうか、裸の女性。

 上半身だけ裸の女性。

 いや、厳密に言えば下半身も裸なのだろうが、そこは魚の尻尾なので、人間の裸とは呼べない。


「——人魚? そんな……、いや夢なんだし居ても当然か。化け魚に化け蟹もいたんだ。……っていうか、なんであんな長い髪の毛してんの。なんで海中なのにぴったりと胸に張り付いてるの!?なんで夢の中なのに、ご都合主義?——いやいや、落ち着け、俺。これは夢なんだ。やっと俺の明晰夢が始まったんだ。つまりは……、ナニしてもオッケーだ!」


 彼が女性の胸部を触ったのはもう遥か昔、ちょっと肘がぶつかった程度。

 というか、乳飲児にまで遡る。

 だから彼の煩悩マックスになったとて、彼を責めることはできない。


「って、バカ!!ちゃんと俺だって経験あんだよ!素人童貞をバカにすんなよ!?」


 と、心の声にツッコミを入れたその時。


 『きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』


 耳をつんざくような叫び声が聞こえた。

 それは脳内に直接響くほどの高音の叫び声。

 意識まで持っていかれそうになるほどの音量。

 五臓六腑が潰されたのかと錯覚するほどの怪音波。


「……なんだ、今のは?」


 フラッシュバンを喰らったような、いやそんなもの喰らったことはないが、ひどい耳鳴り、視界もぐにゃぐにゃと曲がり、三半規管がどうにかなってしまったらしい。

 とにかく吐きそうだった。


 ——そして彼はゆっくりと海底に沈んでいった。


 真っ暗な海の底、目も開けられないので本当の闇。

 まるで意味が分からない。


 いや、半裸の人魚を覗き、そして叫ばれたのだから、明晰夢とはいえ、心のどこかで罪悪感を感じていたのだろう。

 でも、これでどうやら夢から醒められる。


「……い。おーい。おい。起きれるかぁ?」


 誰かが呼んでいる。

 やはり、ここは病院のベッドの上で、そして意識を取り戻したのだろう。


 ——つまり、これで胡蝶の夢が終わる。


 また、あの日々が戻ってくる。——そう思ったのだが。


 ………あれ?誰だろう。知らないひとがいる。いや、お医者さんか。あれだな。最近のお医者さんは変わったコスプレをしているんだな。


「お、やっと気がついたかぁ。お前、ヨークサックも取れてねぇってのに、あれは無茶だぜ。ま、それくらい活きが良いってのは褒めてやれるけどな。」


 ヨーク……なんだって?

 うん、ちょっと冷静になろう。

 目が覚めたのは間違いない。


 そして俺はお医者さんに助けられたんだ、変わったコスプレの……


 ……………………


 ……………………


「……って、思う訳ないだろ! 目の前の人、ヒトなのか?これ、完全にシー○ンなんですけどぉ!ちょっと触覚のつき方が違うし、耳もあるけれど!!触覚というかそれはもう、少年漫画の緑色の人のそれなんよ!!どう見てもソレはいろんな意味でアウトなんよ!!」

「……シーマ? なんだ、それ?お前、記憶障害でも起こしてんのか?俺たちはマーマン・・・・だぞ。マーマンの幼体が俺たちじゃねぇか。いやぁ、それにしてもよぉ。俺たちもワカメに隠れて、マーメイドの温泉をこっそり覗いてたんだぜ。お前がバレなきゃ、色々捗ってたっての。全く偉い迷惑だよ。ま、果敢にもそこに突っ込む勇気だけは認めてやるけどな。」


 ——え、待って。

 ちょっと待って。これ、夢の延長でいいんだよな?

  マーメイドの温泉覗きとかいう意味不明な言葉が出てきたし、やっぱ夢だよな?


「でも、お前人面魚じゃん!マーマンってあれだろ!?」


 見た目は完全に人面魚だ。

 ただ、彼の「あの言葉」を理解せずに、ただツッコミを入れてしまった。


「出た出た。マーマン差別。お前、ヨークサックも取れてねぇのに、いきなりマーマン差別かよ。俺たちだって、生きていく権利があんの。ま、覗く権利があるかはさておきな。お前、生まれてすぐに自己否定すんの、良くねぇぞ。ほらみろ、世界ってのはこんなにも美しいんだぜ。」


 彼は優しい人面魚だった。

 いや、覗きをしていたのだから、心優しき性犯罪者の方が正しい。

 そんな人面魚がクルッと体を回転させて、キラキラと輝く海を見た。

 日が完全に昇ったらしく、海の中でさえ明るく照らしてくれている。

 つまり、それほど澄んだ海なのだろう。


 ……本当に美しい


「確かに、お前という存在を差し引いても、美しい世界だな。」


 ……美しいけれど!あいつ俺に自己否定すんなって言った? はぁ? 人面魚に言われたくないんだが?っていうか、こいつ、さっきから俺たち、俺たちって強調してね?


「また、そういうことを言う。尖ったナイフみてぇな野郎だなぁ。ヨークサックも取れてねぇのに。」


 ……だからヨークサックって何なんだよ!あれか?補助輪とかの別名か?補助輪野郎って言ってんのか、こいつ。ま、夢の中だし適当に言っとくか。


「俺はそんなに尖ってねぇし。お前という存在の意味が分からないだけだよ。」

「分かったって。お前の気持ちは十分に分かる。っていうか、お前。……辛かったろ。あの暗闇から一匹で頑張ってここまで来たんだよな?」


 そう言って、人面魚は優しい笑顔を見せた。


 ……く……そ。こいつ、いい奴だ……。って、違う違う!そこじゃない!


「えと……、真っ暗なとこの話?なんとかここまで逃げ延びてきたけれども。そんな俺とお前の存在は何の関係もないだろ?」


 とにかくこれは夢。

 いや、人魚が出てきて、人面魚が喋っている時点で夢は確定だ。


「全くひねてるねぇ、お前。ま、仕方ねぇか。ほら、これ。見えるだろ?」


 彼は額から生える二本の触角をチラチラとぐにゃぐにゃと動かしてみせた。


 ……いや、気持ち悪いって!思ったよりも柔らかそうなのに、なんで動かせるの!?


「これを『雄々しい触角オレノチン・ポーン』と呼ぶ。マーマンもマーメイドも生まれた時は似たような姿をしてんだけどな。これがあるのがオス、つまりのちのマーマンだ。んで、ないのがメス、後のマーメイドな?」


 ……はい、アウトでーす。この夢からこいつをBANしてくださーい。俺、こいつに卑猥なものを見せつけられましたー。雄々しい触角をなんて呼び方してんだよ。まんま下ネタじゃねぇか!せめて海洋生物なんだからオルニチンとかにしとけよ!


「俺たちのような幼体だと、見た目変わんねぇのによ。成人になりゃ、片方は半魚人、片方は人魚だぜ?……んでもって、女側の一方的な理由で、別部族になってんだから、ひでぇ話だよなぁ。」


 ……突然、自分語り始めやがった。そりゃそうだろ!半魚人と人魚じゃあ、色々と違いすぎんだろ!俺が人魚でも共生は嫌だわ。確かにマーマンとマーメイドの関係は俺もおかしいと思っていたけれども!


「で、卵の中って透けてんじゃん。それで卵のうちから別々の集落で暮らしてるってわけな?」

「は、はぁ……。なんていうか、大変なんすね。同じ種族でも性別で見た目が全然違うっての。でも、ある意味で俺の生きてる世界もそうかもしれないなぁ……」


 性別だけでは済まされないほどの区分が存在した。

 生まれで大体のことは決まる。

 それに見た目だってそうだ。

 人種に性別、財力に地位、さらには個体差も、最初から全然違う。


 ……それを努力という一言だけで乗り越えさせるって、流石にクソゲーだ。


 だからなんとなくそこだけは共感できる気がした、この変態人面魚と。


「あぁ。それが当たり前なのが、この世界ってわけだ。ぶっちゃけ男と女ってのは違う生き物だしな。ま、俺らはもう受け入れてるけどよ。お前はその……、つれぇよな。」

「あ、あぁ。辛い……。どうやって生きていこうかって思ってるんだ。」


 ……この夢から覚めた後、どうしろと? この歳で貯金も無しに就職活動か? っていうか俺、多分、治療費を払うのさえ危ういよな。


 目が覚めても悪夢は続くのだ。

 そして、その絶望を悟ってくれたのか、人面魚は諭すような顔でこう言った。


「おいおい。俺たちがついているだろ? 成熟体になりゃ、生えてくるかも知れねぇぜ。


 …………ちんちん。」

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