第17話 少女の授業風景

 アリアは全ての生徒に無視をされている。

 メンマは大丈夫と言ったが、実はかなり辛い状況だった。

 黄土色は自分を入れて二人だけ。

 男爵位の家系は想像以上に少ない。

 男爵領は元々王家の直轄地だった。

 そして法改正により、そこをその時任されていた人物が領主になっただけであり、元々は平民である。

 しかも男爵は3名しかいない。

 兄達の時はタイミングが良かったのだろう。男爵家の子供が六人くらいはいたらしい。ただ、彼女が入ったクラスには同じ階級のものが一人しかいない。


 子爵も人数は少なく、15名程度。国の貴族のほとんどは伯爵位であり、その数45名。

 子爵家は青、伯爵家は緑、そして人数は少ないが侯爵家が紫のブレザー。

 因みに公爵家は魔法学校には来ない。

 そも、王族と王族の血縁である公爵は、驚くほど姿を現さない。


 だから必然的に、教室は緑色のブレザーが半数を占めている。


「先生!今仰ったところ、もう一度教えて頂けますか?」


 すると教室内で失笑が沸き起こる。


「アハハハハ」


 中には大笑いする者も。

 理由は簡単だ。

 デリンジャー侯爵は先ほどこう言った。

 そして今から同じことを言う。


「教科書に載っている通りだ。」


 ……なに、こいつ。絶対にわざと?——あの時のことを根に持っている。ってことは半分はメンマのせい?ううん、メンマのおかげで私は入学できたし、領地の土も健全なものへと変えてもらえる。


 だから仕方なくアリアは隣の席の少女に視線を向けた。

 ただ、その青いブレザーの少女の後頭部しか見えない。

 子爵は多くなりすぎた伯爵位の受け皿として生まれた経緯がある。

 だから伯爵との繋がりが強い。

 彼女は彼女で右隣の伯爵家のボンボンが持つ教科書を見せてもらっているらしい。

 そしてその情報がアリアの元に来ることはない。


「むぅぅ。やっぱり全然勉強できない。まともに書いてあることといったら……」


 ——儒教的教え、もしくは宗教的教え、もしくは主従関係の大切さだけ。


 それ以外にも教科書から得られる内容はある。

 地域の特産物や漠然とした歴史など。

 そして小学部レベルの魔法を簡単に振り返る序章あたり。


 ……はぁ。それじゃ私はこの簡単に省略された小学部のところを読むしかないのね。


 さらに問題がある。

 目の前に座っている自分と同じ黄土色のブレザーの少年。

 さらに問題というか、こっちの方が問題まである。


        □□□


「えと、私アリア。えっと……」

「話しかけるな……」

「え?なんで?だって私たち、同じブレザーの色……だよ?」

「うるさい。噂になってる。お前は不正をして入学してきたらしいな。しかも学生寮までタダで借りて。お前と話してたら、せっかく良くしてくれているクラスメイトから同じような目を向けられる。」


        □□□


 と、こんな感じで全く目を合わせてくれなかった。

 しかもこれは悪い噂などではなく、完全に真実である。


 ——別名『裏口入学』


 そしてその目撃者が担任なのだから、当然承知の事実となる。


 アリアは夏休み前に入学した。

 しかも中学部一年の、である。

 目の前のなんとか・ウォッチマン君はおそらく小学部からだ。

 きっと小間使いをされながら、ある程度他のクラスメイトと話せるまでになったのだろう。

 だからまだ一ヶ月しか在籍していない自分は彼と話してはいけないのだ。


 ……私と話をすると、彼の6年間の努力が無駄になってしまう。


 結局、アリアは仕方なく、何度も読み返した薄い教科書に目を落とした。

 基本元素である『火』、『風』、『土』、『水』の簡単な魔法しか載っていない。

 しかもそれらは全てメンマから履修済みである。

 なんならここに載っていない『雷』の基礎魔法まで習得している。


 ——つまりやることがない。

 

 そして授業の最後にデリンジャー伯爵はこう言った。


「今週末、実技試験を行う。その試験に合格すれば、皆のお待ちかね、夏休みだ。」

「ええ!?試験……ですか?それに合格しなかったら、どうなるんですか?」

「ふむ。落ちこぼれ君にも平等に……だからな。不合格者が退学になることはない。ただ、夏休みの間も学区内で自習が義務付けられるだけだ。君の大好きな学校に居続けられるのだから、授業に追いつけないからといって、落ち込むことはない。」


 これに対しては懇切丁寧な説明が行われた。

 いや、ただの嫌がらせかもしれない。

 だから、クラス全体から再び失笑が漏れる。

 

 ただ、ここでハタと気がついてしまう。


 ……あれ、そういえばお兄さん達は普通に家に帰っていたような。やっぱり小学部から通っていると合格できるのかな。でも、この教科書じゃ絶対に無理な気がするんだけど。


 つまりは特別ルール。

 裏口入学をした人間にだけ適応されるのかもしれない。

 そもそも合格不合格など、教師の匙加減で決まる。


 ……納得いかないけど、仕方ないのかな


        □□□


 少女は今日も今日とて、ブレザーを丁寧にブラシする。

 なにせこの一着しか貰っていない。


『おーい。今日は水の交換してくれよなぁ。ここ最近、環境汚染がやばいぞぉ。』


 部屋に戻れば、毎度毎度何かを注文してくる怪魚。

 けれど、アレは祖父の形見だし、一応は家族である。

 だから実家から送ってもらった大きな桶に海魚を一度入れる。

 そして、水を抜いてから水槽の掃除。

 かなり大きな水槽なので、一度中に入らなければならない。


「いい気なものね。私は毎日学校で忙しいのに……」


 それはぼやきもする。


『もうすぐ夏休みだろ?夏休み中は海に俺を放り投げてくれたらいいぞ。例の底曳き網漁もやらなくなって、多少はマシな海になっているだろうからな。』


 この怪魚、実は海水も淡水も関係がないらしい。

 そもそも環境汚染なんて言っているが、泥水の中でも生きられるんじゃないかと、正直疑っている。


「はぁ……。今週末のテストで合格できればね。でも、どう考えても合格させてくれるつもりはなさそうよ。不合格者には夏休みなしだって。私を学校に閉じ込めたいらしいの。」

「まぁ、なんだ。お前は裏口入学だからな。やっぱりまともには授業を受けさせてもらえないっつーことだな。でも、あれだけ外に出たがってたお前も、ホームシックになったりするんだな。」


 桶にいる時は水面から顔を出すので直接声が聞こえる。

 普段の水槽からボイスではないので聞き取りやすい。


「ホームシックっていうか……。この学校、全然キラキラしていないの。友達とか出来れば別だけど……」


 少女は水槽の内部から梯子を使って外に出た。

 あとは水を入れて、怪魚を放り込めば水交換は終わりだ。

 水道水で問題ないというところも、やはり怪魚と言わざるを得ない。

 大事なのは酸素濃度と温度管理だけらしい。


『お、このひんやり感。最初だけは気持ちいいんだよなぁ』


 ……本当に呑気な人面魚——ただ。


「全く。私がいなくなったらどうするのよ。っていうか、本当に給食の残りもので大丈夫なの?鯉って雑食だったって話だけど。」

『お前な。俺が海にいた頃に何を食ってたか教えてやろうか?生きたままの芋虫みたいなのを食わされたり、ザリガニを生きたまま食わされたり。あと腐った魚を——』

「いい、いい、いい、いい!文化的ではなかったってことね。っていうか、野生生物はそんなものか。私は人間でよかったわ。」


 この怪魚がいるから寂しくない。

 認めたくはないけれど。


 そして少女はパンや肉の切れ端を水槽に放り込む。

 するとソレは美味しそうに食べる。


『いやぁ、上手い。お前、実家だと魚の餌を普通に放り込んでただろ。毎日同じ味で飽き飽きしてたんだよなぁ。給食かぁ。それだけで幸せな気分になれるな。』

「そりゃ、魚だから観賞魚用の餌でいいと思うでしょ!」


 ……やっぱりムカつく。贅沢な魚だ。でも、こいつがいないと私は。


『そういや、試験だったな。大体、こういうのって実践形式だろ。俺が知ってる異世界モノの小説だと、筆記試験とか簡単なモノって読んだことないからな。』

「何それ。まぁ、筆記試験じゃないだけマシかもね。前の魔導書だって、全然意味分からなかったし。」


 メンマという存在は何故か世界を知ったふうな事を言う。

 だから、今日も彼はこんなことを教えてくれた。

 

 

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