第43話 人面魚の登竜門
アリアは彼に抱えられていた。
翼の生えた人間、いや、見たこともない何かに。
見たことなどある筈がない。
目の前に見るは世界に類を見ない亜人である。
「待て。待て待て待て!!ちょっと待て。俺ってマーマンじゃなかったってこと!?」
——つまり故事の通りである。
龍門という滝を登ろうと、多くの魚が試みたが、わずかなものだけが登り、龍に化すことができたという。
この言葉は『鯉の滝登り』伝説である。
彼の体はただの鯉であり、鯉は滝を昇り、登竜門を越えた。
そして彼の頭は人間なのだから、当然、『竜人』となる。
「メンマ……、えっと、その姿なら……
——キモくない!!」
——は?
「いや、俺の進化の最初の感想がそれ?確かにキモいよりは良いけれども!ってか、だったら俺はただの人面魚だったってことじゃん。ってか、中間体は登竜門を乗り越えるか、越えないかってこと!?」
「うーん。よく分からないけど、中間体って言ってた時は、怪獣の頭が人間だったの。あれがマーマンなのかと私は思っていたけど……」
「なるほど、確かに。俺自身は中間体を見れないから……。ん、なんていうか、ツノ無しだのなんだのと言われてたのって、そういうことかよ。俺、全然一族と関係ない里に厄介になってたのか……」
その通り。
彼は正しく『畜生道』に落とされた。
——ただ、その畜生道先が異世界だったという話。
正しく『杜子春』が如く、いや、『蜘蛛の糸』が如く、いや、『龍』が如く!!
そして、ヒューメイドプリンセスはこの可能性を選び取っていた。
「そか。この体なら人間が作る結界は関係ない。アリア、お前は——」
「うん、あたしは地上を蹴散らしてくる!だからメンマは——」
「あぁ、俺は空を……。それから、あぁ……先にあれをやっとくか。」
「そうね。まだ、覚醒した私では力不足かもしれないから、アミエル先生をよろしくね、メンマ!」
□□□
アミエルは喉が乾いて乾いて仕方なかった。
人魚であることを捨てたのは、ミハエルという超越者が契約を結んでくれたから。
でも、彼女にしてみれば、こんな話は聞いていない。
彼女は既に死ぬ覚悟はできている。
人魚を辞めた時、生きることも諦めた。
それに死ねることは素晴らしいことだ。
死ねない苦痛を彼が語っていたから。
ただ今は彼が待ち遠しいと言っていた、珍妙な人面魚との対面が果たせず、さらにはマーメイドの安全も不確実になった。
このままでは死ねないと本能が言っている。
「貴方達は何がやりたいの?」
彼女に出来ることは何もない。
寧ろ、出来ない立場だからこそ、警戒せずに動くことができた。
敢えて、侯爵の身になったからこそ、彼らも行動を黙認してくれた。
「人魚姫は確保しておくに限る。それは知れたことだ。私たちは考えている。神として世界を維持するためにはどうすれば良いかをな。」
「その癖に、幼魚には逃げられたみたいだけど?」
「何を言う。丘に登った魚など、鳥の餌に相応しい。まぁ、あやつらも鳥頭が故、私たちの高尚な考えに気付かぬようだがな。」
「ふふ。ただの盗人風情が高尚なんて笑えないわね。あんたらはミハエル様から掠め取ってばかり。」
彼らは自分のことしか考えていない。
いや、考えられなくなったのだ。
永遠の命を選ばぬ鳥人族を鳥頭という男など、高が知れている。
いや、そんな男に無意味に殺される自分の方が高が知れているか。
あらゆる可能性を考えても、ミハエル無しでは全てが行き詰まる。
今まさに、殺されようとしているのに、何もすることがない。
ある意味で、暇な時間。
こんな暇な時間が永遠に続くのがミハエルの世界。
「浅ましい女だ。恋は盲目という奴か。無論、そのミハエルは興味がなかったようだがな。」
知っている。
それが永遠の命という意味だ。
何も失わない以上、何も残す必要がない。
「さて、私は忙しいのでな。さっさとお前を殺して、人魚姫を受け取らなければな」
そう言いながら、男は光の槍を自分に投げる。
死ぬまでの時間が終わるらしい、ソレ。
だが、なぜかやってこなかった。
「ふーん。お前は本当に槍の投擲しかしないのか。……もしかして、お前。神と言いながら、魔法も使えないの?」
光の槍の代わりに飛んできた声に、女は目を剥いた。
そして落としていた視線を上げる
——何?っていうか、誰!?
そこに居たのは光の槍を掴む何か。
「な、何者だ。羽が生えている?鳥人族か。何をやっている、お前。オス型が居たとは初耳だが……」
300年生きた男も知らない誰か。何か。
「えっと。俺は畜生地獄から這い上がり中だけど、お前は何地獄がいい?」
その声は紛れもない彼の声。
けれど後ろ姿はマーマンのソレではない。
羽が生え、鳥人族が使役するトカゲのような尾が、雄々しく跳ね上がっている。
「アミエル。お前はどう思う?多分、今の俺だとこいつを好きな地獄に送れるんだけど……」
「貴方、メンマなの!?それにその姿……」
つい、声が出た。
ただ、彼はその答えと言わんばかりに、気まずそうな顔を一度だけ見せた。
「悪い。俺はただの人面魚だったらしい。ただ、なるほど。ミハエルはそういうことなのか。じゃあ、こいつの地獄は決まったな。」
「ははは。何を言っているのか分からんぞ。鳥頭とはいえ、不老不死の意味くらい分かるだろ?分かるよな!!」
「お前、本当にバカだな。300年で脳が退化したんじゃないか? 不老不死イコール無敵とはならんだろ。」
アミエルは呆然としていた。
まるで自分だけ世界に取り残されたように、目の前がコマ送りに進んでいく。
ペネムエルは間違いなく光の槍を投げているのだが、それがいつの間にか弾け飛んでいる。
彼女の目にはフラッシュが焚かれているようにしか見えない。
「ほう。少しはやるようだな。鳥人族のオスとはそのようなものなのか。」
「お前、喋り方偉そうなの、辞めた方がいいぞ。さてさて、何もない空間に投げ飛ばすか、地中深くに転送させるか迷ったんだけど、やっぱりアレを体験してみて欲しい。」
そう言って、彼は傾きかけた太陽を指差した。
「お前、一体何を言っているんだ? あちらがどう……」
「いちいち煩いんだよ。大体、お前が悪いんだろ?太陽まで飛んで行けって言ってるんだよ。大丈夫だ。長くてたった100億年くらいだ。5000℃の世界で不老不死の意味を考え続けろ。」
ペネムエルはその言葉に目を剥いた。
しかも羽の生えた男がいつの間にか目の前にいる。
「ちょっと待て!お前!そんな温度の中で不老不死とか無理に決まってんだろ!そんなの灼熱地獄じゃねぇかよぉぉ!俺は死なないんだぞ!!」
そしてついに不老不死前の頃の言葉遣いに戻った。
死の恐怖以上の恐怖がそこにはある。
でも、突然現れた男は嬉々としてこう言った。
「やってみないと分からないじゃん。不老不死の人間にとって100億年なんてあっという間だろ? いつか世界は滅びるんだ。その頃にまた自由にバカやってればいいさ。んじゃな。」
【
そして、あっさりペネムエルは消えた。
あまりの事態にアミエルは言葉を失った。
多分?いや、おそらく本当にペネムエルは太陽に飛ばされた。
そして彼はメンマの言葉で言う、100億年ほど焼かれ続けるのだ。
そこでミハエルから奪い取った人魚の肉の味を考え続けるらしい。
そう思うと胸がすく思いだった。
「アミエル。俺はこの後空を蹴散らして……、あれ?帰っていく?マジ?んー、追いたいけれど、こっちのが大事か。」
「え、えっとメンマ?」
「あ、悪い。こっちの話。んじゃあ、俺は今からこの国に張られた結界を破っていく。当然、ロイヤルガーデンの結界も破るから、ミハエルに会いに行ってやれ。」
「ちょ……、それって?」
まるで意味が分からなかったが、彼も何故か首を傾げていた。
「こう言うと、あいつみたいになるけど、所詮人間が作った結界だ。龍の力には遠く及ばない。んじゃあ、ミハエルによろしく!」
そして……
彼は居なくなった。
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