第9話 貴族魔法学校・学生寮来賓室

 マーベルは困惑していた。


 彼はあの日、アリアに言われたことがある。アリアが人面魚と初めて会話をした日である。

 あの時、アリアは言った。


 『冥府の土を手に入れた』と。


 そしてそれを学校関係者に連絡をして欲しいと。


 するとトントン拍子に学長との会合が決まってしまった。

 それはあまりにも不気味すぎて、彼はアリアの同伴を一度断っていた。

 けれど彼女は同伴に固執し、「もしも三日で魔法を覚えられたら」というあり得ない子供じみた賭けを挑んできた。


 無論、娘を貴族街に連れて行くことはやぶさかではなかったが、交渉となると話は別だ。

 そもそも、その土が如何程のものか、彼は知らない。


「フィッシャーマン様ですか?」


 生徒だろう少年がペコリと頭を下げて、こちらを見た。いや、別の何かを見て首を傾げている。

 ……私とトーマスとで水槽を運んでいるのだからな。業者か何かと思われなくて良かったとするべきか。


「如何にも。マーベル・フィッシャーマンである。学生さんかな。私は……」

「聞いております。些か奇妙な光景でしたので、話しかけるのに勇気は要りましたが、問題ありません。私の名はミハエル・デリンジャーです。今日は案内係で参上しました。では、こちらへ。」


 少年の歩き方はとても少年と呼べるものではない。

 背筋から身のこなしまで、明らかに高位の貴族の生まれと分かる。

 デリンジャー家は伯爵位持ちだ。

 伯爵家が最も多いとはいえ、平民を入れた国民の人口で見るとごく僅かにしか持っていない爵位である。

 だから幼年期から教育を受けてきた筈だ。

 その違いは流石に後ろを歩くアリアには分からないだろう。

 そして父としてマーベルは盛大に後悔をしてしまうのだ。


 ……アリアにも家庭教師をつけておくべきだったか


 アリアはなんとスキップをしていた。


 

 当のアリアは感動していた——と言っても学校はまだ数百メートル先だが、外観を見るのは初めてなのだ。

 ずっと二人の兄から聞いていた学校がそこにある。

 今の時間は休憩時間なのだろうか、窓から何人かの生徒がこちらを見ている。


「アリア、まっすぐ前だけを見て歩け。あまりキョロキョロするな。」


 と、結局父親に怒られてしまうが、どうしても目が動いてしまう。

 因みにメンマはとある方法で見えなくしている。

 とある方法といっても水槽の三つの側面に黒い布切れを貼り付け、鏡を斜めに差し込んだだけである。

 メンマ考案の『水槽には何も入っていません』の術が施されている。

 構造は単純だが、確かにそうすると水槽は空っぽにしか見えない。

 その影に隠れているメンマは鰓に酸素が回らずに苦しがっている筈だ。

 だから、こっそり空気をポンプで送っている。


「わぁぁぁ、御伽噺の世界みたい!」


 ただ、都会を知らない12歳の少女である。

 どうしても感動が口から飛び出してくる。



「アリア、だから——」

「良いではありませんか、フィッシャーマン様。私も初めてきた時は嬉しくてはしゃいだものです。勿論、当時はもっと幼かったですが。」


 マーベルの指摘は少年の溌剌とした声にかき消されてしまった。


 少年の年齢は14歳くらい、声変わりし終わった後の声をしている。

 ただ、まだ成長途中なのか、それとも地声なのか、その声色は少しだけ高い。

 アリアとは2歳くらいしか違わないが、貫禄が違う。

 おそらく幼年期から学校に通っているのだから、上級生という扱いだ。


 貴族の魔法学校は年齢を問わず、必ず一年生になる。 

 そして一部の者は研究のために学校に残るのだという。


 おそらく彼はそろそろ進路を決める立場にある筈だ。

 そして雰囲気から察するに、学校に残り魔法を極めんとする者に見える。


「さぁ、つきましたよ。私は廊下で待機するように命じられているので、御同行はできませんが、何やら大切な話のご様子。是非とも面白い展開にしてください!」


 その『面白展開』とは何か?

 アリアにもマーベルにも分からず、軽く会釈をして豪華な客間に足を踏み入れた。


「あ、あたしの服……絶対に浮いてる……」


 アリアの第一声はそれだった。一歩目から違う。今踏んでいるのは絨毯なのか、布団なのか。それほどにふかふかで土足で歩いて良いのか心配になってくる。


『アリア、前。』


 その時、水槽から小さな声が聞こえてきた。

 反射的に前を見ると、そこには中年一歩手前の男性がスーツ姿で立っていた。


「待っていたよ。フィッシャーマン男爵……と、側仕えのお二方?ですかね。」

「デ、デリンジャー伯?私はてっきり……」

「それはそうだろう。学長は侯爵位もお持ちだ。男爵の君の頼みを直接受け入れるべきではないと判断された。」

「た、確かに……。そういうことでしたか。えと、これは私の娘です。王都には不慣れなもので、それに今回は私の付き添いということで、側仕えと同じと思って頂いて構いません。男の方は私の側仕えで、水槽を持ってくる為に入室させて頂きました。商談の時は退室させます故、しばらくお待ち頂けませんか?」


 ……なるほど、先のガキはその伏線か。つーか、貴族社会ってよく分からないだけどな。


「おいおい。水槽を持参なんて聞いていないんだけど。そもそも私は冥府の土というのも信じていないけど。ただ、サッチマン侯爵様が話だけでも聞いてこいというのでね。さっさと水槽を置きたまえ。私も暇ではないのだよ。学校の敷地内では魔法の使用も許可されている。力魔法で簡単に運べる……おっと、失礼。男爵位の君は使用の許可がいるのだったか。では私が許可を出そう。とっとと準備をしなさい。」


 ……見えないのが辛い。でも、なんかこいつムカつくな。っと、今置かれた?なーんか、毛足が長すぎる絨毯で水槽が落ち着かないなぁ。ま、どこに行っても俺は水槽の中なんだけどな。


 そして、トーマスは退室し、大人二人が腰を下ろした。

 順番は……語る必要もないだろう。

 

「で、その土とやら、早く見せてくれないか?」


 さっそくの言葉、そして貴族社会の性だろう。易々とその土を渡そうとするマーベル。


 ——だが、結構前の時点からメンマはキレていた。



 『ドン!』



 そして水槽から衝突音がして、一瞬何事かと大人二人が辺りを伺い始める。



『頭が高いぞ人間。お主、まだ若輩ものじゃな。ならば、我らが同胞の残滓を触れることを禁ず。』



 ここからがアリアとメンマのターンだ。

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