第31話 伝説のマンドレイク

「見ろ!傑が来たぞ!」


「何かあったの?顔色がすごく悪いわよ」


 都真子は、見るからに血の気の引いた顔で現れた傑を見ておどろいた。


「大丈夫……大丈夫!遅くなった!さっき起きたばかりなんだ……」


 俊介は、傑が姿を見せたことで、正直なところ、ホッとした。


「やっぱり俺の言った通りだったな。どのみち寝坊したとか言って、遅れてくるだろうと思ってたよ」


《快斗のやつ、つい今しがたまで心配して、胸をどきつかせていたくせによく言うよ》


 慎太は、快斗にも増して呑気そうな表情で、食事にあう飲み物を探しながら傑に声をかけた。


「どうだった!いやいや、それはそうと、仕事は片付いたのか?何はともあれ、やっと昼食を注文できるぞ」


 傑にしてみれば、まさかゴバを手に入れるために、今までにないような命を削る戦いをして、こうして到着が遅くなったとは、よもや口が裂けても言えない。


「ああ、昨日は、かねてからずっと探し続けてきた、アスワンの秘宝を手に入れようと、親しい仲間と二人で神殿に行ったんだ。すっかり上手くいって、まんまと秘宝を手に入れることができたのに、いきなり見知らぬ日本人が現れて、こともあろうに横取りされてしまったんだよ。こうして今でも思い出せば出すほど、無性に腹が立つよ」


 傑は、ことさらに悔しさを滲ませた。


 都真子は、それどころか、むしろいぶかしげな顔をして傑に聞き返した。


「そのアスワンの秘宝って、結局、何?」


 傑は、何やらいっそう真面目な顔になって、もったいぶって言った。


「実はね、アスワンの秘宝とはマンドレイクという植物なんだ。これは伝説の植物で、人のように動き、引き抜くと絶叫して、その声を聞いた人間は狂って死んでしまうとか、形が人間に似ていて走り回るとかいう話があるんだ」


「なに、気持ち悪い。そんなものがアスワンの秘宝なの?信じられないわ?」


「なにしろ、日本の博物学者、南方熊楠だって、れっきとした中国の『本草綱目』やプリニウスの『博物誌』を引用して、その薬効や毒性について触れている、いたって有名な植物なんだ。あるいは、シェイクスピアノのロミオとジュリエットにだって墓に生える植物として登場しているからね」


「ふん、やけに詳しいわね」


「まあ、そんなわけで俺ともう一人の仲間は、まぎれもなくアブシンベル大神殿が怪しいと疑って、何度も通ったあげく、ついに昨日見つけたんだよ。それというのも神殿の至聖所にあるラムセス二世像がその足の裏で踏んづけていたんだよ」


 慎太も、もっとましな表現はないのかと呆れ顔で聞いてしばし笑いを堪えていた。


 とは言うものの、都真子は、やけに真剣に聞いている。


「そこで、仕事が終わってから、深夜に神殿に言ってこっそり暗闇に紛れて引き抜いたら、おどろいたことに、本当に悲鳴を上げたから、いっしょに行った仲間も腰を抜かすほどだったよ。ところが、喜んだのもつかの間、いまいましいことに、二人とも後ろから、だしぬけに頭を殴られて気を失ったのさ。俺はその時、相手の顔がわずかながら日本人に見えたのと、ほかでもない日本語が聞こえたんだ。これは本当なんだ!」


 がむしゃらに話す傑を見た俊介は、並々ならぬ命がけのゴバの争奪を巡って、くれぐれも嘘ではないことを直感した。


「なぜ、日本人がいたんだろうな?そいつの顔は覚えてるのか?」


 傑は、あたかも嘘の中に折り混ぜた真実を、どうやら俊介は信じてくれたようだとさとり、できる限り記憶をたぐり寄せて、思い出してみた。


「ええと、くわしくは思い出せないが、目の上に大きな黒子のある男が見えたな。もう一人は女で、いくぶん響きのある声だったな」


 俊介は、ひょっとして、ゴバを知る日本人として、雉間教授を真っ先に思い浮かべた。


《とは言うものの、雉間教授は、そもそも行方不明だからな……ことによると、ホルスなどの教団に捕まっている可能性も高し、そう考えると、めったに神殿に現れるはずはないんだが……》


「それはそうと、マンドレイクを狙うやつらは大勢いるって言ってたよな。そういう手合が神殿の外で待っていなかったのか?」


 もちろん、神殿の外にはホルスやゲブ、ヌビアンなど多くの教団のメンバーが、じきじきにゴバの獲得を待っていたのは、傑にも手に取るように分かっていた。


「実際のところ、マンドレイクが手に入ったことで、有頂天になって喝采するような様子はなかったな。要するに、俺を殴ったやつらは、そうしたグループの関係者じゃないってことか?」


 傑は、俊介と喋っているうちに、どうやら、はたと気がついたことがあった。


「それと言うのも、俺と仲間は、しばらくして正気を取り戻して神殿を出ると、たちどころに怪しい連中に捕まって、マンドレイクを持っていないかどうか尋問を受けたんだ。つまり当然のことながら、神殿から単独で脱出することはきわめて不可能だったよ。おまけに秘宝を持っているのがばれたら、ひときわ大騒ぎになっていただろう」


 しまいまで聞いていた慎太は、いかにももったいぶった様子で、自らの推理を口にした。


「えへん、俺に言わせれば、傑を殴った奴らは、おそらく一晩中、神殿の中にじっと潜伏して、一夜明けてから観光客に紛れて神殿から出たのさ。もう神殿のゲートが開いてから、すでに三時間以上は経つから、どのみち、今頃は飛行機かクルーズ船でアスワンから脱出しているはずだ。当然のことながら、船より飛行機の方が、離陸してしまえば手を出せないから、飛行機を使うだろうな。どうだ、俺の推理は?」


「ハハハッ、髭の無いポアロみたいだぞ!」


 慎太の自前の推理を聞いて、快斗は手を叩いて喜んだ。


 俊介は、慎太の推理には、まぎれもなく一理あると思った。


「まさしく慎太の言う通りかもしれない。それに加えて、陸路で移動するって手もあるけどな。だが、こうしている間にも、時間がたてばたつほど、遠くに逃げてしまって追いつけなくなるな」


「それじゃ、目の上に黒子のある男と連れの女で行動している日本人を探せばいいんだろ。今からでも、空港や船の発着所に行ってみるか?」


 快斗は、すぐにも動きたくて、うずうずしている。


 都真子は、正直なところ、そもそも価値もよく分からない植物のために、なぜ、四人が、これほどむきになるのか、からきし理解できなかった。


「あのね、くどいようだけど、傑のエジプトの記念だからといって、そのマンドレイクってのは、そんなに大事なの?ついでに言っておくけど、かりに取り戻したって、植物だから国外には持ち出せないわよ」


 俊介たちは、都真子が疑いを持つに違いないことは、十分承知していた。


《いずれにせよ、ゴバのことを知らない都真子にとっては、愚にもつかないバカげた話としか、映らないだろうな》


「ああ、わかってるさ。まさに都真子の言う通りだ。これは言うなれば、俺を殴ってマンドレイクを奪ったやつらを捕まえて取り戻したら、じきじきにエジプト政府に返却するだけさ。警察官のお前ならわかるだろう」


 にべもなく、言い負かされた都真子は、四人の意見に、従うしかなかったが、都真子にとって、何より肝心なことは、ほかでもない名入の件をどう解決するかにあった。


「仕方がないわね。言っておくけど帰国に支障が出ないようにやってよね」


「それはそうと、実はもう一つ、不可解なことがわかったんだ。俺の友人にラヒームという男がいるんだが、そいつが、日本人の女から、金を出すから俺たちの行動を監視するように頼まれたというんだよ」


「えっ?日本人の女?誰だ?」


「もちろん、ラヒームは俺の大親友だから、断ったけどな。それは、何を隠そう、俺たちに親切にしてくれた中尾咲なんだよ」


「えーっ!なんだって!」


 快斗は、いくらか咲に気があったので、ぎょっとして驚いた。


「まあ、目的は教えてもらえなかったそうだが、なぜ、俺たちを監視する必要があるのか?だったら、俊介と都真子が警察官だから、あるいは犯罪事件の関係かなと推測することもできるが、お前たち、何か心当たりはないか?」


 俊介も都真子も、あるとすれば名入りの件だが、でなければ、他にはとくだん思い浮かばない。


「それに、ラヒームから聞いた内容はもう一つあるんだ。アリのレストランは、本当は名入って人のレストランだろ?その人は、マンドレイクを狙うグループの人間らしいんだ。ひょっとすると、名入って人から咲さんが頼まれて、ほかでもないラヒームを利用しようと一役買ったんじゃないかって考えられるのさ」


「すると、咲さんと名入さんもグルだってことか?」


 慎太が、眉をよせて言った。


「それじゃ!咲さんに会って、真相を聞こう!」


 いきなり、快斗が発作的に言い出した。


「快斗!どうしたんだ?いきりたつなよ」


 慎太が、うろたえて制止すると、俊介が提案した。


「じゃ、こうしよう。俺と快斗と傑で咲さんのファームに帰国の挨拶に行って、問い詰めてみよう。何となれば、都真子と慎太は、ホテルをチェックアウトしてアスワン空港に先に行って、さしあたり傑の言った怪しい日本人のペアを探してみてくれ!」


 結局のところ、都真子もしぶしぶ納得して、五人は二手に分かれると、俊介と快斗、傑の三人は、タクシーで咲のファームに乗り込んだ。


 咲は、折あしく、畑に出ていたため、呼ばれて戻ってみると、俊介たちが三人しかいないことを、いささか不思議に思った。


「やあ、今夜の直行便で帰ります。傑の件は、ことのほか、お世話になりました」


 快斗が、真っ先に、しゃしゃり出て挨拶した。


「ああ、私のしたことなんて、取るに足りないことだわ。でも、傑さんが見つかって、本当に良かったですね」


 咲は、にっこり笑って答えた。


「なにしろ、咲さんのおかげです。ありがたいことに、傑の母親も姉さんも、くれぐれも安心するに違いありません。本当に感謝します」


 俊介がまじまじと礼を言うやいなや、傑がだしぬけに、真っ向から本題を切り出した。


「実は、私の知り合いに、ラヒームという男がいまして……」


 咲はどきっとして、目の奥がきらめいた。



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