第16話 恩師の死の真相

「どうかなさったの?」


「いや、めったに聞かない名前なので…それにナイル川のナイルと名入って、なんだか語呂があっていて…」

 

 俊介は、おどろいたことに、不三の口から、ほかならぬ名入浩二と同姓同名の人物を紹介されるとは思わなかった。


「いったい、どういう人なんですか?」


「もとはと言えば、外洋で船に乗って調理をやってた人で、アスワンでレストランを開いたのよ。研究室の仲間内で、食事や懇親会でちょくちょく使ったから、知り合いになったのよ」


「当節、日本人も世界中に羽ばたいていますからね。ぜひとも、紹介して下さい。ひょっとすると、傑につながる情報を持っているかもしれませんし…」


「ついでに写真はないんですか?日本では何をしていたんですか?」


「写真は嫌ってて、いつも撮らないのよ。たしか横浜で店を出していたっていうけど、それ以上のことは知らないわね。いずれにせよ、ゆくゆく、エジプト行が決まったら、私から連絡を入れてあげるわよ」


「この分だと、エジプト行は、快斗たちのシーズンが終わってからになると思いますが、西も東も分からない現地に行って、話ができる人がいることは心強いです」


 俊介はひょいと時計に目をやり、次の約束を気にした。


「もう、こんな時間だ。折よく今日は、お話しを聞いていただき、正直なところ、助かりました。なにぶん、こうした手詰まりの時は、何よりも行動あるのみということが今さらながらわかりました」


「これといって、お役に立てたかどうかわからないけど、いずれにせよ、傑さんが見つかることを願ってますわ。快斗さんにもよろしくね」


 俊介は、今しがたまで不三と話した内容は、すっかりすべてを信用することはできないにしても、肝心なエジプト行には、もっぱら背中を押される形になったことで、いんぎんに礼を述べて研究室をあとにした。


 俊介は、不三との話が終わると、じきにやって来る都真子と待ち合わせて、かつて俊介がいた生命科学部棟の研究室に向かう予定でいた。


 昨日、俊介は、恩師の死の真相の解明に、勘のいい都真子に助力を頼んだ。


「すまないが、俺の方の捜査にも、協力してくれないか?」


「奇材教授のことね。いいわよ!」


 やがて、二つ返事で引き受けてくれた都真子が時間通り生命科学部棟の前に現れた。


「傑さんの件、何か収穫はあったの?」


「それどころか別件で、それに輪をかけておどろくことがあったよ。聞いたらおどろくに違いない。こともあろうに名入浩二と同姓同名の人間がエジプトにいることがわかったんだ」


「えっ!いったい、どういうこと?」


「話の中で、エジプトでレストランを開いている人を紹介してくれることになって、信じられないことに、その人の名前が、まぎれもなく名入浩二と言うんだ。聞いたとたん、あまりの偶然にすっかり驚いたよ」


「でも、だからといって、犯人の名前と結びつけるのも、性急すぎない?」


「いやね、そこへもってきて、かつては船員で調理をやっていたというから、あたかも船が好きだといっていた名入とも一致するじゃないか」


「エジプトね……とうてい確かめるわけにもいかないわね」


「できることならこの冬、傑を捜しにエジプトに行こうと決めたんだ。ほかでもない傑に似た日本人がいるという噂があってね。その際に、名入浩二という人に協力してもらえるから、どっちみち会うことにはなるな」


「ええっ!、傑さん、エジプトにいるの?でも、名入浩二に会うなら、犯人と一致するかどうかわかるわね…それなら、私も行ってみたいな…」


「現地に行くしか傑を捜せないからね。軽率かもしれないが、まさに崖から飛び下りる決意だよ」


 とかく話をしていると、研究室の前に着いた。


 俊介と都真子は、言うなれば恩師を偲びたいという理由で、許可をもらって、植物プラントにある恩師の観葉植物をしばし見せてもらうことになっていた。


「レポートがあるんで、付き合えなくてすみません」


 顔見知りの後輩は、いたって恐縮したが、俊介には、むしろその方がありがたい。


「なに、自分で見るからいいよ。だいいち、俺と先生の勝手知ったる仕事部屋だったんだから」


 そもそも植物プラントには、奇材の自宅と研究室に置いてあった、ユーカリやユッカ、ガジュマル、オリーブ、ウンベラータなどの観葉植物たちが、主人を失って行き場をなくしていたのを見て、俊介がせっせと運びこんでいたのだ。


 俊介は、ユーカリの前に立つと、コーヒーを片手に、ユーカリの前に立つ奇材の姿を目に浮かべながら、都真子に言った。


「ユッカには年輪はないけど、とくにユーカリやオリーブは年輪があるから、真実を見ているかもしれない。TS1を使って、恩師の最期を見てみたいんだ」


 俊介は、時間軸を、五年前の恩師の命日に設定し、TS1をユーカリの幹に当てた。


「いくぶん幹が細いけど大丈夫なの?」


「ああ、年輪さえあれば大丈夫だ。くどいようだが、あらゆる種類の木で実験してあるからね。そこがTS1のすごいところさ」


 これまでどおりモニターに最初に映ったのは、ユーカリがカップに入ったコーヒーを浴びるシーンだった。


「おそらく奇材先生が、何かにつまずいた弾みに、手にしていたコーヒーを丸ごとユーカリにぶっかけたんだな。ユーカリもたいそうおどろいたんだろう。さて、これから出る映像が大事だぞ」


 しばらくすると、モニターにはソファに横になっている奇材が現れた。


「どうやらこの日、酒の弱い先生は、懇親会でしこたま飲まされて、泥酔状態だったらしいよ。それなのによく家まで帰ってこれたものだ」


「部屋の入り口の鍵は内側から閉まっていたから、先生は無意識に閉めたんだな。酔ってもそういう習慣性の行動は意外にあるよな」


 二人がのぞきこむようにモニターを見ていると、おどろいたことに、何者かがベランダから侵入してきたのが映った。


「誰なんだ!こいつは!」


「顔を覆っていて、誰かわからないわ!きっと、体型からして男よ!」


 奇材は、さっぱり気がついていない。


 男は、奇材が目を覚まさないように、そっと背中に担ぎあげてベランダに向かうやいなや、とたんにモニターの映像から、はみ出て見えなくなってしまった。


「だめだ!ユーカリの方向を変えないと!ベランダに向く方角に、TS1の位置を変えよう」


 俊介が気ぜわしく、何度か方向を調整すると、ふいにベランダ側が映った。


 男は、奇材を、前のめりの格好で、ベランダの手すりに寄りかからせていた。


「まさか!何をするんだ!」


 俊介は、口をゆがめて叫んだ。


 男は、奇材の両足に手を回して身体ごと持ち上げたのだ。


 その瞬間、俊介には、奇材がわずかに男の方に顔を向けたように見えた。


 男は、奇材に向かって、冷たくひとこと喋った。


「自業自得だな…先生…」

 

 次の瞬間、男は奇材をベランダから突き落とした。


「なんてことだ!これは立派な殺人じゃないか!」


 モニターには、垂れている縄梯子が映っていて、男は足をかけると上に上がって行き、見えなくなった。


「男は屋上から降りて来たのね!」


 ざっと映像を見る限り、とうとう最後まで、男は誰かわからなかった。


 俊介は、取りも直さず、やはり殺人だったことを知って怒りが沸き上がった。


「防犯カメラにマンションに入る男が映っていないかしら?」


「ああ、それが、先生のマンションは、煙町にある古いマンションだから、防犯カメラはついていなかったんだ」


 俊介は、心臓がどぎつき、波打っているのがわかったが、しきりに冷静に考えようとした。


「マンションに行ってみたいな。周辺の木々に、この男が映っているかもしれない」


「いやいや、見るべき映像はまだある。理事長との電話の内容を聞くんだ。研究室の先生の机の脇のオリーブの木に残っているかもしれない」


 俊介は、奇材が亡くなる前日に、理事長と雉間について、いぶかしげな様子で電話をしていたのを知っていたが、これといって内容は把握していなかった。


 俊介は漠然とはしていたが時間を設定してオリーブにTS1を当てた。


 しばらくするとモニターにはやや険しい口調で、電話で話をしている奇材が映った。


「おまけに雉間は、本大学の考古学研究室の貴重な情報をすべて持ち出し、中東大学に移ろうとしているんですよ。これも、放っておけませんよ。くわしい話は明日します。では」


「ちょうど、話の最後の部分のようね。もう少し時間を戻さないとだめよ」


 俊介が時間設定をやり直すと、今度は、モニターには誰も座っていない机が映った。


「まあいいか、少し待てば先生が来るだろう」


 ざっと五分ほど過ぎたところで、だしぬけに奇材がやって来て机に着くと、折よく電話を始めた。


「調べたところによると、土地の選定や建物の建設にあたって雉間は業者からかなりリベートを受け取っているようです……」


 俊介は話を聞いて考えを巡らせた。


《そういえば、東央大学は一部の学部を残して郊外に移転する予定があったな。雉間は、そこに目をつけて、大胆にも不正を行っていたのか?それを先生が見つけだしたんだな》


「……額は数千万円にのぼるはずですから、もってのほかですよ。雉間には自分から理事長に正直に言うように言ってあります。おまけに……」


《ここからはさっき聞いたな》


「雉間は、自分の不正を奇材先生に知られたから、先生を殺害したのかしらね」


「ああ、そう考えれば筋が通るな」


「ひどいやつね!」


「次は、先生のマンションだ!」


 二人は、研究室に戻ると、TS1で見た映像からの動揺を舌の先からこぼれないように、手短に後輩に礼を言って、煙町に建つ奇材のマンションに向かった。


 煙町は、時を追うごとに寂れゆく、工場地帯に寄り添って発展した町で、奇材が住んでいた十階建てのマンションは、さしずめ煙町の摩天楼である。


 着いた俊介は、マンションをひたと見上げて言った。


「屋上に上がってみよう、ことによると犯人のトリックがわかるかもしれない」


 二人は古めかしいエレベーターでマンションの屋上に出た。


 してみると、そこには、思いがけず、二メートルほどの松の木がシンボルツリーとして立っていたのだ。(これはあとでわかったことだが、奇材が屋上緑化のために植えたクロマツだったのである)


「どうにも、これはラッキーだ。この木が見ていてくれたらありがたい」


 俊介はユーカリで設定した時間と一致させて、クロマツの幹にTS1を当てた。


 またもやモニターには、いきなり目をむいた子鼠が蝙蝠に捕まりつつかれる姿が映った。


「うわっ!おそろしいな」


 そのあと、がらりと映像が切り替わると、どこでも見かける電力会社の社員のような服装をした男が、なにやら紙袋をかかえてのこのこ現れた。


 折よく、屋上は満月で明るいが、男は帽子を深くかぶり、マスクをかけているため、ろくに顔は見えない。


 男は、松の木に背を向けて、紙袋から出した黒ずくめの衣装に着替えると、屋上のふちのに取り付けてある手すりに縄梯子をかけて、ふちを乗り越えて消え、しばらくするとふたたび上がってきた。


「この男が犯人かしら?」


「間違いなく犯人だ!こんなことをする男は、めったにいないだろう」


 男は、さっきと反対に、クロマツに向かって真っ向から、もとの服装に着替え始めた。


 すると、おどろいたことに、月明かりですっかり顔がわかった。


「えっ!この男、どこかで見たわ!」


 都真子が真っ先に叫んだ。


「あいつよ!あいつだわ!」


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