第15話 思いがけず出た名前

「漁師は代官所にその物体を届けたんだけど、むしろ悪いことが起きる前兆だと忌み嫌われて、たちまち焼かれてしまったのね。だけど、その物体ときたら、不思議なことに、焼いても焼いても、すぐもとの形に戻ってしまったから、みんな、身震いするほどおどろいて、神がかりなものとして、こわごわ沖にもって行って海へ沈めたというのよ」


「えっ、それって、まるきりラムセス二世がゴバを焼こうとして焼けなかったことといっしょですね」


「そうよ、だから、ゴバの可能性があるのよ。だとしたら、日本にだって流れ着くことを示しているわね。傑さんも、みなさんには黙っていたかもしれないけど、もしかしたら日本の海で、漁師の網にかかったゴバを見たかもしれないわよ」


《そうか!ゴバについて、そんな過去の記録があったなんて!おれが海で釣り上げたのは、あながち偶然ではなかったんだ!》


 俊介は、今になってやっと、ゴバを手にしたことがすっかり腑に落ちた。


 むしろ反対に、不三に対しては、何やらいっそう疑いの目を向けた。


《何よりも、文献まで持ち出して、ゴバの詳しい知識を持ってるなんて、よっぽどゴバを研究しているに違いないな》


「くどいようだけど、ゴバの話は現地ではタブーなのよ。私が、アスワンに着いたばかりのとき、ほかでもないアメリカ人の学者がふいに行方不明になる騒ぎがあってね。そのとき、険しい口調で雉間先生に言われたの。ゴバって名前を耳にしたら、絶対に聞き流せってね」


「だって、だしぬけにそんなこと言われて、ゴバって何なの?と思ったわよ。私もわけがわからず怖がるのも嫌だから、ふとした機会をとらえて、しつこく聞いてみたのよ」


 不三は、ことさら俊介の恐怖心を煽ろうとしたが、もともとゴバをよく知る俊介は、むしろ反対に、真っ向から関心をもった。


「教授は、ちゃんと答えてくれたんですか?」


 不三は、あっさり手を振った。


「いいえ。かたくなでね。そのうち話すと言ったきりだったわ」


「でも、どういうわけか、半年くらい経って、わざわざ、教授の方からゴバの話を始めたのよ。ゴバは、言うなれば、人間の願い事を実現するオーパーツで、かれこれ数千年前からアブ・シンベル神殿に安置される祭壇があるけど、どっちみち、現在は持ち去られていて、どこにあるか不明だと言うのよ」


「えっ、いったい、誰が持ち去ったんですか?」


「それは言っていなかったわ。それよりも、ゴバは神殿から奪われても、たいていの場合、たちまち神殿に帰る不思議な力を宿しているらしいのね」


《まさしくタイコウチの力だ!》


「なにしろ、ゴバが戻るや否や、そのときを狙って、ゴバを手に入れようと、数多くの集団が神殿に集まってくるんだけど、うわ言でもいうように、自分もゴバを研究するために、そうした集団に入ることを決めたと言うのよ」


「それじゃ、まるきり傑と同じじゃないですか」


 俊介の頭には、雉間教授の性格からすれば、研究と言うより、ことのほか悪用する可能性の方が心配になった。


「確かなことはわからないけど、どうやらホルスって名前のグループに入る手筈がもうじき整うと言ってたわ。ホルスは、もっとも危険なグループで、ゴバを探してる人間だとわかったら、たちまち拉致してどんなことがあってもゴバを諦めるまで監禁するって話よ」


「思いのほか、恐ろしいグループがあるんですね。だいいち、ゴバの話をしたからと言って、力まかせに片端から拉致したら、それはそれで大騒ぎになる気がしますけどね」


「ええ、当然のことだけど、ことさら露骨にやったら、おそらく警察も黙ってはいないから、いくぶん分別はあるのよ。見せしめに手足を切るとかワニの餌にするとか、ひどい目に合わせるって噂だけは流すわね。実際そんな目にあった人はいないけどね」


「そりゃ、そう聞いたら、震えおののきますね」


「だって、はじめに話したアメリカ人だって、拉致したのはホルスらしいわ。ずいぶん脅されたらしくて、数日後に、ひょっこり現れたあと、即刻、帰国したというからね」


 不三は、こうした集団の注目すべき点として、もっぱらゴバの秘密を守るだけでなく、むしろ歴史や理念を背景に、永いことゴバを信仰の対象としていたことを俊介に説明した。


「言うなれば、ヨーロッパ人たちは、はては百年以上も前からエジプトに入って、ゴバの存在を知っていても、くれぐれも表立って行動することはしなかったわ。なぜなら、そうした組織がゴバを守っていることをいち早く理解していたからよ」


「ああ、そんなに前から…そういえば、ナポレオンによって、古代エジプトの言葉が刻まれたロゼッタストーンを発見したのは、今から二百年も前ですよね」


「そうね、そのくせ、あとからエジプトの研究を始めたアジアやアメリカの研究者たちは、いざゴバの話を聞くと、とたんに欲に目がくらんでゴバを探し出そうとするから、こぞってターゲットにされるのよ」


「そうした背景があるんですね」


「おまけに、アフリカの国々はヨーロッパの植民地にされたおかげで、とことん守りたい歴史や伝統がとほうもなく沢山あって、そうした遺産こそが、そもそも彼らのアイデンティティーなのよ。だから、ゴバを横取りされ、利用されるのはとりわけ嫌がっているわね」


「そういう理由で、外国人に危害を加えてでも、あくまで祖先の神聖な遺物を守ろうとするんですね。こうなると、傑がゴバを手に入れようとしてるならば、きわめて危険な行為ですね」


「ただ、教授は、自分が万が一、ホルスに入るのを失敗したときは、ことによると、私も教授と関わりが深いと疑われるから、ひと思いに日本に帰るようにと言われたのよ」


 不三は、まるで解放された人質のような顔つきで喋ったが、俊介には、なぜか、不三が何か企んでいる気がしてならなかった。


「結局、雉間先生は姿をくらましたのよ。ただ、教授がいなくなったとたんに、ふいに研究テントを荒らされたり、のべつ尾行されたりして、思いのほか身の危険を感じるようになったわ。どうにもこうにも、さんざん気が滅入ってしまって、現地の仕事を、すっかり放り投げて帰国したのよ。まさか、日本までは追っては来ないと思うけど……」


「じゃ、雉間教授は、ホルスに入るのを失敗したんでしょうか?」


「つまり、私が狙われるということは、ことによると失敗した可能性があるわね」


 こうして聞くと、不三の態度や言葉は、どことなく他人事に感じられる上、まるきり教授の無事を心配する気持ちが感じられないのだ。

 

「それはそうと、傑さんは、なぜ、危険を冒してまでゴバを探そうとしているのかしら?どこにでもあるおとぎ話に過ぎないかもしれないのにね」


「だからこそ、どんなことがあっても、止めさせたいんです。要するに問題は、苦々しいことに、傑という男は、一度ならず信じ込むと止まらない人間なんですよ」


《不三の言うことも、もっともだな。なぜと言うに、ゴバを知らない人間から見たら、ゴバを探そうなんて思うのは、まるきり馬鹿げた考えであることは間違いないからだ。本当にゴバに出会い実際に使ったことがあるからこそ、傑がとっぴな行動に出ているのだけれど、そんなことを口に出すことはとうていできないな》


「まあ、傑さんは、自力でゴバを探そうとエジプトまで行くなんて、べらぼうに行動力のある方ね。それに加えて、あなたがたも、たいそう友だち思いで羨ましいわ。当然のことだけど、傑さんを探すなら現地に行かないとどっちみち無理ね。私は、当分の間、しばし危険を犯してまでアスワンに戻るつもりはないから、残念だけど力にはなれないわ」


 俊介は、不三が傑の心配をするような言動をしながらも、ゴバへの関心の方が、何よりも心を占めている気がしてならなかった。


 不三は、いくぶん熱っぽい口調で俊介に忠告した。

 

「でも、いずれにせよ、ゴバに深入りするつもりなら行くのは反対よ。私のように危険な目に会うのは間違いないわ。それでいながら、たとえ手掛かりが少なくとも、何としても傑さんを捜そうという思いがあるなら仕方ないわね。仮に傑さんを見つけられなくても、あちこち、エジプトの遺跡を見てくることだけでも、ことのほか価値があるわよ」


 俊介は、不三と話すにつれて、傑がエジプトにいる確信がいっそう強まり、すっかりエジプト行きを決心した。


「ええ、おっしゃる通りです。このまま、日本にいても傑に会える気がしません。いっそ思い切って行くことで、思わぬ収穫があるかもしれませんよね。おまけにエジプト文明に触れることは文句なしに特筆すべき経験になりそうですから」


 俊介は、そのくせその一方で、不三を介して、思いがけず表面に出た雉間教授との予想もしない接点が、いちじるしく気になった。


《エジプトで雉間教授に会うことになるかもしれないが、どのみち恩師の死を巡っては、TS1を使って真相を暴いてやる》


 不三は不三で、心ひそかに俊介のエジプト行は、つぶさに見張る必要があると実感するとともに、何やら利用する価値も有りそうだと判断した。


「さあ、もし行くなら、おあつらえ向きの現地の日本人を紹介するわ。かねがねアスワンでレストランを経営している日本人がいるのよ。もしかすると傑さんの手掛かりがつかめるかもしれないわ。その人の名前は名入浩二さんっていうんだけどね」


「え!」


「え!名入……」


「名入浩二さんって?」 《まさか!》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る