第14話 羽衣不三という女

 俊介から言わせれば、傑に当てはまるとする注目すべき点として、日本人でゴバを見たことがある人間とするなら、自分たち以外にはないはずだから、その一人が傑ということになるのだ。


「だから、その人物は、とりもなおさず傑にほかならないだろう。つまりは、傑は大胆にもエジプトに渡って、こともあろうに直接ゴバを手に入れようとしているんだ」


「実は、俺もそう思ってさ。もしかすると若い男性ではないのかと尋ねたんだが、そればかりは分からないとにべもなく言われてな…」


 快斗はいくぶん歯切れの悪い口調で言った。


「おいおい、だとしても、百パーセント、傑と決まったわけじゃないぞ、だいいち傑にそんな芸当ができるのか?」


 なにやら快斗や俊介が、ことさらに結論を急ぐ様子を見て、しばし慎太が遮った。


 とは言うものの、かねてから俊介が知っている傑は、一度思い込んだら、とことんまでやる頑固な人間だと思っている。


「まあ、あながち推測で言うのもよくないが、傑の性格なら考えられると思わないか?ぜひとも、その東央大学の研究員、紹介してくれないか?俺が会って手掛かりを探してくる。どんな人なんだ、その人は?」


 快斗は、もらった名刺を取り出して、さりげなく俊介に渡した。


「羽衣さんか。知らないな。名前は不三?何と読むんだ?いなぞう?」


 快斗は、にんまりと笑みを浮かべている。


「まあ、会ってみれば分かるさ。どのみち、しばらくは日本にいるそうだから、会うなら早いほうがいいぞ」


 俊介は、快斗の煮えきらぬ口調をいぶかしく思った。


「おい、何か隠してないか?」


「いや、そんなことない、そんなことない」


 快斗は、両手をふって否定した。


 何やら、快斗がやけにはぐらかすので、俊介は、それ以上、聞くのは止めた。


 こうして三人は、快斗がもたらした情報のおかげで、傑の発見に曙光が見えたのをうれしく思った。


 そのあとは、これまで通り近況を伝えあい、すっかり満足した気分で会を終えて帰路についた。


「またな!」


「また会おう!」


 数日後のこと、俊介は仕事の休みを利用して、東央大学の考古学研究室を訪れた。


 おりよく、羽衣は、その日午後から大学に来ると聞いたからだ。


 なにせ、東央大学は、都会のど真ん中に、れっきとしたキャンパスがあって、かつて俊介がいた研究室は、生命科学部棟にあったが、考古学研究室は文学部棟にある。


 俊介の印象では、史学や、文化人類学を学ぶ文学部棟の学生たちは、なんとなく顔つきや目つきを見ても、人間が織り成す事象を分析しては、闘争的に語り合う姿が、思いのほかよく似合う、もっぱら鋭いエスプリを感じる学生たちだと感じていた。


 俊介は、久しぶりに母校を訪ね、いささか胸をどきつかせながら、いんぎんに門をくぐった。


 目当ての考古学研究室は、恩師、奇材教授と何度か訪問している。


 部屋の前に立って、よく響くノックをすると、ドアは中からそっと開き、友好的な表情だが、鋭く射さす目をした女性が、俊介を出迎えてくれた。


「私は、研究員の羽衣フミです」


 俊介は、女性が名乗るのを耳にして、女性の顔に釘付けになった。


《快斗のやつ、騙したな!一言も女性とは言わなかったじゃないか!それもそのはず、よく考えてみれば、あいつが飛行機の中で見知らぬ相手に声をかけるなんて、相手が女性だったからだ。何てやつだ!》


 俊介は、みずからを落ち着かせながら自己紹介をした。


「私は、この大学の卒業生で、警察に勤める香原木俊介と言います。私は、生命科学部で奇材先生の植物生態学室にいました。こちらの先生は、雉間教授ですよね。恩師は、雉間先生の話を、よくされていましたよ」


「私は、中東大学の卒業なので、大学院からこの大学へ入ったんです。まあ、奥へどうぞ」


 俊介は、快斗の悪ふざけで、なにぶん戸惑いを隠せぬまま、部屋の中に案内された。


 中央のテーブルには、あちこち乱雑に書籍や印刷物が山と積まれ、左右の棚には、ツタンカーメンの黄金のマスクのレプリカや、スフィンクスやピラミッドの模型が無造作に置かれている。


《どこの研究室も同じだな》


 どこに何があるかわからないような自分がいた頃の研究室とそっくりで、学術研究の世界観にいささか安心感を覚えた。


「快斗選手のご友人ならスポーツマンとばかり、想像していましたわ。まさか、警察の方だとは思いませんでした。お友だちの行方不明の件ですよね?」


 不三は、俊介が警察官であることを知って、本当は何を知ろうとしてやって来たのか、たちまち疑いの目で見始めた。


「いえね、快斗さんが、ご友人がエジプトに行った可能性があると言ったので、それで、私が現地で聞いた日本人の噂を伝えたんですよ。何でも、ご友人はゴバを探しにエジプトに行ったと伺ったのですが、どういうわけで、ゴバをご存じなの?」


 何やら不三は、あるいは俊介の心を探るためなのか、いきなりゴバの話に触れた。


《正直なところ、おれが聞きたいのは、傑の情報だ。だが、どうやらこの人にとって肝心なことは、快斗との会話の際に、なにゆえゴバという名前が出たのかということなんだろうな》


 ゴバの話を唐突に感じた俊介は、すかさず傑の話に戻した。


「ええと、友人の名前は皆川傑といいます。あなたがおっしゃった現地での噂の日本人の話が、なんとなく傑に似ている感じがしたので、今日はそのお話を聞きたいと思って伺いました。ついでですが、ゴバの名前は、袋物語という本に出ていたので、それを傑に貸したら、ことのほか興味を持ってしまって、その本を持って行方不明になったんです」


 実際のところ、不三は、俊介の話をもっぱら半信半疑で聞きていて、まるきり信用はしなかったものの、その本は、明らかにゴバについて微細にわたって書かれていることは十分承知していた。


「あら、その本なら、研究室にもあるわ。ちょっと待って」


 不三は、すくっと立ち上がって、びっしりと本の詰まった本棚の前に立つと、やにわに一冊の本を探し出した。


「あったわ。これね」


「あっ!間違いなくその本です」


 なつかしい表紙のデザインが目に入った俊介は、本を手に取ると、ぺらぺらとページをめくって、ゴバの挿絵を見つけた。


「ただ、この本ときたら、今となっては、ことのほか学問的な根拠が乏しくて、わけのわからぬ作り話という評価になってしまっているわよ」


 不三は、きっぱりと冷たい口調で言い放った。


 俊介は、自分が見た本物のゴバは、この本の挿絵にきわめてそっくりだったことを、まるで昨日のことのように思い出した。


「でも、ゴバの描写は、ぎょっとするほどリアルですよね。あたかもゴバのことをよく知っている人が書いたように謎めいていて、それだけに小学生の頃には、どきどきして読んだ記憶がありますよ」


「そうね、この本は、永いこと研究室の隅に埋もれていたらしくて、誰もこんな本があるなんて知らなかったのよ。私も、くまなく読んでみて、アスワンで聞いたゴバの話と、ことごとく一致していて驚いたわ」


《なんだ。この人もこの本をしっかり読んでるじゃないか》


「ですから、傑は、おそらくこの本の影響をまともに受けて、ゴバを探しにエジプトに行った気がするんです」


「そう、若い日本人なら、観光やボランティアでエジプトには、大勢来ていたけど、私の知る限り、残念ながら、傑さんに似た日本人の心当たりは無いわね」


「でも、噂どおり、現地のゴバを狙うグループに、傑さんがいるなら、傑さんはゴバを見た経験があるってことよ。それについて、俊介さんは、情報はお持ちではないのかしら?」


「いや、これまで傑から、そういった注目するような話は聞いたことはないですね」


《傑は、ゴバを見たどころか使ったのだが、そのことを告げてグループに入ったのだろうか?その情報があれば、十分、傑の可能性があると思ったが、それをこっちに聞くということは、この人にはもう情報はないんだな》


 そのくせ不三は、ひょっとして、傑がまぎれもなくゴバを見た人間だとすれば、それはいったい、どこでどのようにゴバを見たのかという点について、とりわけ関心をいだいていた。


 そこで不三は、時代は遡るが…と前置きして、だしぬけに江戸時代の記録を持ち出した。、


「実はね、おどろいたことに、二百年前に相模の国の海で、まさにゴバに似た物体が漁師の網にかかったという記録があるのよ」


「えっ!日本にゴバが来ていたんですか?」

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