第17話 エジプトへの危険な旅

「間違いないわ!名入よ!名入浩二よ!」


 都真子は、身震いするほどおどろいた。


 それというのも、都真子は、ほかでもない名入の顔写真を、TS1の映像からプリントして、その顔をいつ見てもわかるように頭に刷り込んでいたのだ。


 俊介も、全く予期せぬ事実に、ことのほか愕然とした。


「いったい、どういう関係なんだ!名入という人間が、直接、奇材先生と接点があるはずはない!」


「雉間が手を回したのよ!」


 俊介は、ふと味わったことのない危険な想いに慄然とした。


《言わば、雉間と名入、それどころか、ことによると羽衣まで仲間なのか?いったい、どこまで根深い事件なんだ!まてよ!そうなれば、エジプト行きはとりわけ危険なことになるかもしれないぞ》


「雉間も名入も全く測りしれぬ恐ろしい人間だ。どんなことがあっても甘くみてはいけないな」


「だったら、私もエジプトにいっしょに行くわ!どのみち、名入が本人かどうかも見極めたいしね」


「ああ、考えてみてくれ」


 二人は、いまいましい思いに溢れて、マンションの一階に降り、ついでにTS1で調査すべき街路樹をさがしたが、ろくすっぽ見当たらなかった。


《まさにあのクロマツは、先生が用意してくれたみたいだな》


 俊介は、奇材を偲び、血をしぼるような憤りを感じたのだった。


 数週間後、俊介は銀座のレストラン、ボンソワールにいた。


 すっかり、エジプト行きを心に決めた俊介は、さしあたって快斗と慎太に告げるため、シーズンの押してきている二人の忙しいスケジュールの合間を縫って、やっと集まる時間を見つけた。


 俊介は、その日、気ぜわしく早めに到着した。


 しばらくして、二人が現れると、毎度の決まりのように、快斗が口を開いて、冗談をとばした。


「どう、羽衣さんって、いい人だっただろう?」


 快斗はにんまりしてわざと俊介に尋ねた。


「おいおい、お前なあ、女性なら女性って言えよ。相当、焦ったぞ」


「ハハハッ、俊介のどぎまぎした顔を見たかったな」


 慎太も合いの手を入れて俊介をからかった。


「まあ、何とでも言えよ。さしずめ、俺から言わせると、いい人どころか、とらえどころのない怪しい態度、満載の人だったよ」


「ええっ!そりゃ、意外だな!」


 快斗は素っ頓狂な声を出して、首をかしげた。


「とは言え、話を聞かなければ、こうしてエジプト行きをあっさり決断することはなかったけどな。何しろ、聞けば聞くほどゴバにくわしいんだ。やにわに江戸時代の文献まで持ち出して、かつてゴバが日本に流れ着いたことを説明してたしな」


「へえ、そんなことがあったのか…」


「文字通り誰一人知ってるわけないだろう。よっぽど研究したに違いない。おまけに、俺たちがなぜゴバのことを知っているのか、傑がなぜゴバにむきになるのか、そこにとことん興味があるようで、とどのつまり、俺たちの動きを警戒しているとすら言えるんだ」


「俊介の考えすぎじゃないのか?俺たちに協力したくないなら、おそらく、もっと不親切にするだろうしな。と言うよりはむしろ、俺たちがゴバを手に入れようとしていないか、疑って警戒しているってことかな。まあ、これはもう、エジプトへ行くしかないな。駄目でもともとだ!」


 快斗は、文句なしに楽観的な性格だ。


「俺に言わせると、直感なんだが、傑は間違いなくゴバの魔力に引き寄せられていると思うんだ。それだけに、ゆるぎない確率でエジプトにいる気がするよ。だから、俺もエジプトに行くぞ」


 慎重派の慎太も、このときばかりは、即刻、賛成した。


 何しろ、二人とも、スポーツマンだけあって、ことのほか決断が速い。


 結局のところ、意見の一致を見た三人は、文字通り快斗と慎太がシーズンオフになる時期を選んで、出発することを決定した。


 俊介は、なにやら考え深げに、都真子の参加を告げた。


「そいつは、悪くはないな!警察官が二人も同行するのか、俺と慎太はビップ待遇だな」


 相も変わらず、快斗は前向きな男だと、俊介は思った。


 それというのも、もとはと言えば、三人にとっての都真子は、同い年でありながら、幼い頃から、しっかり者で、まるで姉のような立場で何かと世話を焼いてくれた存在だった。


 また、父親の不幸な事件があってからも、もっぱら家庭の大変さを顔に出さず、明るく振る舞っている姿に、威厳さえ感じていた。


「都真子が行けば、鬼に金棒だ!賛成!」


《本当のところ、都真子がすすんで行きたい理由は、傑の捜索よりも、むしろ、名入を捕えたいことにあるんだが、あくまでも、このタイミングで言うわけにはいかないな》


 俊介は、正直なところ、もう一つ気になっていることがあった。


「都真子には、ゴバのことは伝えていないが、エジプトに行けば話題に上がる可能性があるよな。そうなれば、おれたちが少年だったころの秘密が明らかになるかもしれないが、まあ、そのときは、そのときで考えるか?」


「都真子なら、おそらく理解してくれるさ。深刻に考えるなよ」


 慎太も快斗も、今となっても都真子への信頼度は変わっていなかった。


 やがて、刻一刻と二人のシーズンが終わるのを、永いこと、首を長くして待っていると、取りも直さず、二人ともチームの成績が良く、まさに機嫌良くぴしりとオフを迎えた。


 と言うわけで、俊介たちが、勇を鼓して、万事ぬかりなく日本を出発したのは、ほかならぬ正月明けの、冬の寒さのよりいっそうきびしい時期のことだった。


 出発当日も、あいにく天候は悪く、わずかに雪が舞うような寒さだったが、それでいながら、飛行機が舞い上がり、ひと思いに雲の上に出ると、すっかり青空が広がっていた。


 飛行機は、なにしろ直行便ではないため、うるわしい黒海に真っ向から面したトルコのイスタンブールを経由する予定だ。


 俊介たちは、手放しで旅行気分にはなれなかった。


 ついでに言っておくと、勝手知らぬエジプトでの行程は、不三からの的確なアドバイスを受けていた。


「もっぱらカイロで博物館を見学したら、しかるのちギザに進み、ピラミッドを見たあとは、ただちに飛行機を使ってルクソールに移動し、そこで初めてクルーズ船でナイル川を遡ってアスワンに入れば、おのずから傑を探すための時間をたっぷりとれるはずよ」


 行程の些細なスケジュール管理は、ほかならぬ都真子が名乗り出た。


 とうの昔、中学校の生活委員長だった都真子に、俊介たちは細かい生活チェックをこっぴどく受けた記憶を思い出した。


 やがて、約十五時間のフライトのあげく、のべつ乾いた中東の空を、俊介たちを乗せた飛行機はひらひらと舞い降りて、エジプトの玄関口、カイロ国際空港に着陸した。


 さしあたりカイロ国際空港は、南アフリカのヨハネスブルグ空港についで、もっぱら年間に一千万人以上が利用する、まさしくアフリカ第二の空港である。


 俊介たちは、五感にまとわりつく、異郷の空気、温暖な陽気、鼻をくすぐる匂い、甲高く飛び交う言語、がらりと違う顔つきに圧倒されそうになった。


 俊介はみんなに念を押すような口調で言った。


「おれたちは、あくまでも傑を捜しに来たことを忘れないようにしようよ。傑は、おそらくアスワンにいる可能性が高いから、言うなればカイロとルクソールは、どのみち観光が主体になるけれど、それでなくたって、どこからともなくふいに傑が現れるかはわからないから、くれぐれも注意しないとな」


「さあ、ツタンカーメンの黄金のマスクから行くか」


 一行は、古代エジプト文明の宝庫、考古学博物館を目指した。


 博物館に入ると、いきなり巨大なラムセス二世像が出迎えた。


「おお、ゴバはこの王のもとで生まれたのか……」


 快斗が、しゃしゃり出て、おもむろに口を開いた。


「シッ!ゴバって口に出すなよ!都真子に気づかれるだろ」


 慎太にたしなめられ、快斗は神妙な顔をして口をつぐんだ。


 奥に進むと、何人かの歴代ファラオの石像があったが、ツタンカーメンのマスクは、二階の区切られた部屋の中に秘密めかして展示されていた。


 俊介は、ガラスケースに収められた、目映いばかりに輝く、きらびやかな黄金のマスクを、ガラス越しにのぞきこむように見た。


 マスクは完璧なまでに、予想を上まわる美しさだ。


 俊介は、とたんに袋物語にある言葉を思い出した。


『民は砂漠の砂粒から生まれ、王は黄金から生まれた』


《ファラオたちは、このマスクのように黄金から生まれたのかもしれないな。だから、死後も黄金に戻って行くのだろうか》


 俊介はマスクのふしぎな顔立ちを見て、そっと快斗や慎太に問いかけた。


「ほら、マスクの顔って、やけにゴバの精のフェルに顔が似てると思わないか?」


「ああ、だが、ゴバってラムセス二世の時代なんだろう。きっと、偶然じゃないのか?」


 慎太が、けげんな顔をして答えた。


「そうなんだが、ひょっとして、ゴバがツタンカーメンの時代に存在していたとしたら、むしろ反対に、ラムセス二世は、ゴバの使用者に過ぎないことになるからな」

 

「おいおい、ゴバの話もいいけど、都真子に怪しまれるぞ」


 慎太が、とっさに都真子の顔色をうかがおうと振り返ると、少し離れて歩いていたはずの都真子の姿が、どういうわけか見えなくなっていた。


「そういえば、都真子はどこだ?」


 まさしく都真子の身に危険が迫っていたのだ。


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