第18話 砂漠の恐怖

 都真子は、前を行く俊介たちを気にせず、一つ一つの展示物に見とれて、ついじっくり時間をかけてしまい、おのずから距離が離れてしまった。


 そのとき、みすぼらしい服を着たちっぽけな少年が、うしろから都真子の袖を引っ張った。


 お互いに言葉がわからないから、少年はむっつりとしたまま、ただ都真子を手招きするだけだ。


「何かしら?」


 都真子は、つられて少年を追うと、壁の角を曲がって二階へ上がる階段の前に出た。


 すると、少年の姿が消えたと思ったとたんに、うしろから来た男が、ふいに都真子の顎に腕を回し、ぐいぐい締めしてきたのだ。


「うっ!」


 都真子は、一瞬、ひるんだが、ありったけの力で、うしろの男の顔めがけて、がつんと後頭部で頭突きをすると同時に、ひざ下めがけて、強く足をすりおろした。


 男は、面食らってバランスを崩して、壁に背中をぶつけると、まるで壁にはじかれたように起き上がって、殴りかかってきたが、都真子は、とっさに腕を突き出し、男の腕を払い、前蹴りを腹に入れた。


「ちくしょう!」


 怒り狂った男は、素手では無理だと考えたのか、きらりと光るナイフを取り出したが、ちょうど二階から降りて来た観光客が、それを目にしたとたんに、たちまち悲鳴を上げたため、肝をつぶした男は、あせってその場から、飛ぶように逃げ去った。


 駆けつけた警備員も男に体当たりされて、突き飛ばされ、ひっくり返った。


 俊介たちも、騒ぎに気がついて、人だかりがする場所に向かうと、都真子が息はきらしているが、何事もなかったような顔をして身なりを整えていた。


「どうしたんだ?都真子!何があったんだ?」


 おどろいて、俊介が声をかけた。


「どういうわけか、いきなり襲われたのよ。物盗りかな……」


「けがしてるぞ!」


 快斗は、都真子の唇から、わずかに出血していることに気がついて、ハンカチを差し出した。


「そう、ああ、たいしたことないわ。自分で唇を噛んだみたい。大丈夫よ」


 警察官もやってきて、通訳を介して事情を聴かれたが、さしあたり相手に心当たりはないし、バッグも無事で何も盗られなかったが、おそらく外国人を狙った強盗目的の犯行とされた。


「物騒だな。もうここは出るか?」


 俊介が提案した。


「ああいう連中はどこにでもいるわ。いちいち気にしていられないわよ。だいいち、まだ、ツタンカーメンのマスクも見てないわ。続行しましょう」


「わかった。ほかでもない都真子がそう言うなら仕方がない。とにかく、一人にならないように行動しよう」


 何しろ、見応えのある展示がたてつづけにあるが、そのくせ一方では時間の制約は免れない。


「この分だと、もう出ないとピラミッドを見る時間がないわね」


 四人は、すっかり古代の芸術品に魅了されていたが、即刻、博物館を後にした。


「ピラミッドにはバスと歩きね。エジプト最大の観光地だけど、それでいながら、ピラミッドって謎だらけよね」


 カイロから三十分ほどバスに乗ってギザに到着したあと、さらに三十分ほど歩くと、ピラミッドやスフィンクスが目に入ってきた。


 快斗は、とたんに三つのピラミッドについて、得意げに説明を始めた。


「こうして見ると中央のカフラー王のピラミッドがいちばん高くみえるが、いちばん高くて大きいのは、右にあるクフ王のピラミッドだ。ほかのピラミッドより低い位置にあるからな。いちばん左のメンカフラー王ピラミッドが六十五メートルしかないのに、倍以上の約百四十メートルの高さがあるのさ」


「すごいな、快斗、よく知ってるじゃないか」


 慎太が、珍しく快斗をほめた。


「この前、ここは観光で来て説明を受けたのさ。ほかにも、オリオン座の三ツ星を地上に現しているとか、手前に見えるスフィンクスも一枚岩でできていて、何回も首まで砂に埋まってたとか言ってたな」


 俊介もかねがね疑問に思っていたことがあった。


「なによりかにより、こんな巨大なものを造る技術は、いったい、どこから学んだのかな?だって、今から四千五百年も前だよ。そこへもってきて、石灰岩を二百三十万個も積み上げて正確な四角錐を造ったばかりか、内部に部屋や通路や、通気口まであるんだよ。なにしろ、二十年で完成したというけど、そのためには一個の石を、二、三分で積む計算になるらしいじゃないか」


「それはいくらなんでも無理だろう」


「だとすると、常識的な速さで積むならせいぜい百年以上はかかるらしいから、どのみち王が死ぬ前には完成しないよな。それだけに、不可能を可能にするような魔法の力があったら、できるかもしれないな」


 俊介は、意味ありげな言い方をした。


「それはあり得ないわね。魔法なんて、まぎれもなく想像の産物よ」


 都真子は、いともあっさり否定した。


 俊介は、未知の出来事をからきし信じない都真子の言葉を聞いて、当然のことながら、ゴバのことなど、けっして言えないなと思った。


《まさしく自分たちに力を与え、傑の母親の病気を治した、魔法のような不思議な袋が存在することなど、とりわけ信じるわけはないな》


 俊介たちは、ピラミッドの中に入っての見学や、無残に鼻のあたりが崩れたスフィンクスの顔をしめくくりに眺めて、さしずめ、その日の予定を終えると、ほかでもないピラミッドが眺められるホテルに宿泊した。


 ホテルに到着すると、しばらく部屋で休憩したあと、夕食の時間を待って、四人はレストランに集合した。


 案内された席は、何よりもピラミッドを眺められるテーブルだ。


 よりによって、気心の知れた仲間といっしょに、旅先で食事をすることほど、まさしく楽しい時間はない。


「乾杯!」


 冷えたエジプトビールが、たちまち乾いたのどを潤すと、一日の思い出がよみがえった。


 慎太が、口火を切った。


「いや、期待はしたんだが、心ならずも、傑を見かけることはできなかったな。傑の顔を思い出しては、すれ違う人に重ね合わせて見てたよ」


 俊介も、もの思わし気な口調でつぶやいた。


「まあ、傑がアスワンにいるなら、どっちみち、まだ出会うことはないが、ひょっとして、何かの理由で、この辺りに来ていることだってあるかもしれないしな」


 都真子は、傑へのずばり率直な考えを熱っぽく喋った。


「でも、傑の行動は理解できないわ。言うなれば、ひときわ才能があったのに、自分からドロップアウトしてしまうなんてね。私は、父親の事故は本当に辛かったけど、いち早く、家庭は家庭、自分は自分と割り切ることができたわ。運よく、傑に会えたら、そうした気持ちを伝えたいわね」


 とは言っても、傑の決心は、都真子が言うような後ろ向きな考えではないことは明らかだと俊介は思っている。


《おそらく傑は、ゴバを手にするために、一歩も引かぬ構えで、危険を冒しているに違いない。もしそうだとしたら、危険ではあっても、いちばん確実な方法として、わざわざゴバを狙う一味に入って、大胆にもゴバの獲得を目指しているんだろうな》


「おいおい、ツタンカーメンの呪いって聞いたことがあるか?」


 快斗が、突然、問いかけた。


「ほう、どんな呪いなんだ?」


 慎太が聞くと、快斗の解説では要を得ない。


「なんだ!知ったかぶりだろう」


「まあな、でも、当たり前だ!それ以上知ってるわけがないだろう。お前こそ、本当に勉強不足だな。そもそも事前学習をして来たのか?だから、こいつ、ちょくちょく山本先生に怒られていたんだよ。都真子も知ってるだろ」


 慎太もせせら笑って、快斗に調子を合わせた。


「というよりは、俺は正直に宿題を忘れましたって言うから怒られたけど、快斗は違うんだよ。あれっ、宿題を書いたノートが、さっきまでここにあったんだけど、てっきり無くなったなんて言うんだからな。本当は忘れたくせにさ。なんて奴だと思ったよ」


 都真子も笑いをこらえきれなかった。


 俊介は、ツタンカーメンの呪いについては、十分承知していた。


「ツタンカーメンの発掘関係者が数多く死んだという話だろ。今では、もっぱらでっち上げだと言われているよ。してみれば、ツタンカーメンの死因だって、若くして亡くなったから、往々にして毒殺されたなどと、忌わしく謎めいた解釈をされているけど、今は、骨折が原因の敗血症とかマラリア感染とか言われてるらしいな」


 俊介は、エジプト文明を造り出した人々の英知は、いったい、どこへいってしまったのかと考えると、きわめて残念な想いを感じていた。


「ツタンカーメンの発掘も、エジプト人が見つけたんじゃなくて、イギリス人のハワード・カーターって人が見つけている。エジプト文明は、時がたつにつれ、エジプトの人々からは置き去りにされていったみたいな気がするよ」


 慎太も、漠然としてはいるが、なにやらわかる気がした。


「今だって、エジプト人の間に、ピラミッドを造る技術は受け継がれていなんだよな」


 俊介は大きくうなずいた。


「まあ、そういう技術も大事だけど、そうしたものを造ろうという発想が大事だからな。もう一度、数千年前の英知をもった人々が現れない限り、エジプトがよみがえることはないのかな」


 都真子も、今日、見てきたものの発想の独特さは、現代にあっても、ずばぬけて注目する点があることを痛感した。


「たしかに、遺跡に見られる姿形だけ真似たところで、意味はないわね」


 俊介は、しょせんエジプトに行くだけで何やら価値があると、不三が口にした言葉を思い出した。


《どうやら、このことなのかもしれないな》


「まあ、エジプトにはこうした遺跡がある限り、永いこと観光でやっていけることは約束されるけどね。ほかならぬその収入だけで全ての国民を養うことは無理に決まっている。どのみち新しい発想を期待したいね」


 こうして四人の会食は、共通の過去をもつ幼なじみということもあって、話はたいそう弾み、時間はあっという間に流れた。


「さて、先は長いぞ。今夜はこれで終了だ」


 俊介と慎太は、快斗を引っ張って、部屋に戻った。


 ところが、照明をつけたとたんに、信じられないことに、たちまち身震いするようなことが起きた。


 ベッドの上で何かがうごめいているのだ。


 ぎょっとした快斗が叫んだ。


「うわ!だれか!きてくれ!」


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