第19話 ルクソールのジオマンシー
いったいどこから入ったのか、ベッドの上に褐色のエジプトコブラが首をもたげ、フードというコブラ特有の肋骨を目一杯広げて、しきりにこちらを威嚇している。
話によれば、エジプトコブラは、正式にはアスプコブラといって、うっかり噛まれたら、さしずめ十五分で呼吸不全におちいって命を落とすといわれ、きわめて危険な蛇だ。
まさにクレオパトラが腕を噛ませて自殺したのも、このエジプトコブラだと言われている。
快斗の甲高い声を聞きつけて、ホテルのボーイがとんできたが、コブラを見て、肝をつぶした。
「スネークキャッチャーとゲージを持ってこい!」
別のボーイを呼んで、先端にはさみのついた一メートルほどの捕獲用の棒と金網でできたゲージを持ってこさせた。
「おれがやる!」
ベテランのボーイは、キャッチャーを握ると、いくぶん身をかがめ、一歩も引かぬ構えで、恐ろしいコブラに立ち向かった。
なにしろ、相手は三メートル近い大物だ。
「ほら!こい!」
ボーイは、コブラに向けて、キャッチャーの先をびゅんびゅんと宙に振り回すと、コブラはそれに合わせるように首を動かし、噛もうと首を突き出した。
そのときだ!いっきにコブラの首めがけて、ひょいと先端のハサミを突き出し、首根っこを挟んでロックした。
「一発でやったぞ!」
あたふたしていた慎太も、思わず叫び声をあげた。
ボーイは、首をロックしたハサミで挟んだまま、ゲージの入口を上にしてコブラを押し込み、ゲージを他の客に見えないようにシーツで包んで、表に運び去った。
「よろしければ、部屋を移しましょう!」
いつの間にかこすからそうな支配人とおまけに日本語の通訳まで来ていた。
「どうぞ、最上階のスイートルームにお移り下さい。その部屋なら、絶対大丈夫でございます。お客様、どうぞこのことは内密にお願いします。ホテルの評判にかかわりますんで」
支配人は懇願するように俊介に言った。
「ええ、わかりました。ぜひともお願いします。でも、いったい、コブラはどうやって部屋に入ったんでしょうね?」
「コブラは、小動物を餌にしておりますんで、そいつらを追って通気口などの隙間から入ったにちがいありません」
ついでに無理を言って、都真子の部屋も移してもらった。
俊介たちは、部屋は移ったとはいえ、物騒な騒ぎをしょいこんで、うろたえたのか、身じろぎもせずベッドに横たわった。
エジプトの闇夜は、砂漠の砂がこすれて微かに鳴る音しか聞こえないくらいに、あまりにも、深く静かに流れ、やがて、旭日の輝く太陽と交代した。
翌朝、四人は、朝食のためにレストランに揃ったが、ぱっとしない顔をしていると、そこへ、機嫌を伺うためか、わざわざ支配人がやって来て、愛想良く声をかけて来た。
「よくねむれましたか?」
「部屋は抜群でしたが、みんな、げんなりしてよく眠れなかったようです」
俊介も、昨夜のことが、いっぺんによみがえり、いささか神妙な様子で答えた。
「今日はどちらへ?」
「ルクソールに行く予定です」
「チェックアウトのとき、また、私をお呼びください。できるかぎりのサービスをさせていただきますので、ではごゆっくり」
支配人が去るやいなや、都真子がけげんな顔で言い出した。
「それはそうと、昨日のコブラは偶然かしらね。私がカイロで襲われたことも偶然ではないとしたら、私たち、誰かに狙われているのかもよ。思い当たる節はない?」
「思いつかないな。いったい、誰がねらうんだ」
快斗が首をひねって言った。
「漠然とはしているけれどね、たて続けに、二度も危ない目に会うと、つくづく考えるわね」
《勘のいい都真子の言うことだ。けっしてあなどれないな。鳴りをひそめていた不三や雉間という危険な人間が、ここにきて本性をあらわにしてきたのだろうか?》
俊介は、いっそうの用心を口にした。
「つまり、都真子が言うように、偶然じゃないとしたら、誰かはわからないが、おれたちの動きを止めたいと言うことだ。今後は、十分に気をつけて行動しようよ」
慎太も心配になって言った。
「危険なグループがいっぱいあるんだろ?そいつらだとしたら、むしろ反対に、傑に近づくなってことか?」
「おお、慎太は想像力が豊かだな。こいつはますます謎めいてきたぞ」
快斗は、まるで人ごとのように言い放った。
食事を終え、チェックアウトのためにフロントに降りると、約束通り、支配人が出てきて、昨夜のことはくれぐれも伏せてほしいと念を押され、おどろくほどの費用のサービスを受けた。
おまけに最後は、支配人はじめ、昨日のボーイたちが、いっせいに見送りに現れたので、仕方なく記念写真を撮り、いつまでも手を振られながらホテルをあとにすることになった。
そのあとは、折悪しく、ルクソールへ向かう飛行機は満席で、ぎゅうぎゅう詰めの機内に、容赦なく押し込められた。
「我慢だな、およそ一時間のフライトだ」
はるか上空からは、蛇行して流れるナイル川や、黄色く霞む砂漠を眼下に眺められ、しだいに市内に近づくと、ナイル川沿いに連なる青々とした緑や、河畔に建造されている神殿群が見えた。
やがて、ルクソール空港に到着し、街へ出たとたん、都真子は日射しの強さにおどろいた。
「昔は、ルクソールがエジプトで一番、繁栄していたらしいな」
俊介が言うと、快斗は意外に思った。
「それじゃ、ここがエジプトの首都だったわけ?」
「ルクソールって名前は、そもそも王の宮殿という意味で、そのまま、この町の名前になったらしい。ただ、何より肝心な点は、ナイル川を挟んで、東と西で、ことさら町の意味が違っていて、東側を生者の町、西側を死者の町と言うんだよ」
「恐ろしい分け方だな」
「ああ、だから、今俺たちがいる東側は、ルクソール神殿やカルナック神殿があるんだけど、西側には、王家の谷と呼ばれる有名な王の墓が、こぞって発見されて、まさしくツタンカーメンも墓があるよ」
「そうね、世界中、どこに行っても、陽が沈む西の方角は、死を意味するのね」
都真子は、しみじみとした口調で言った。
四人は、ほどなくルクソール神殿の第一塔門に着いた。
塔門の両側には、ラムセス二世の座像が並んでいるが、乾燥、高温、強風、戦火などで、所々、崩落を余儀なくされたため、顔はむざんに壊れて、左側の地面には頭部だけが置き去りにされていた。
それでいながら、門を通過しようとする者たちを、無言のうちにけしかけて見上げさせ、びくともしない王の威厳を知らしめている。
俊介は、石像の表情から、若々しく威厳のある人格を感じながら言った。
「ルクソール神殿は十五メートルの砂の下に埋まっていたのをフランスのガストンマスペロが発掘したそうだ」
「今度はフランス人か」
快斗が言うと、慎太が質問した。
「ルクソール神殿って、ラムセス二世が作ったのか?」
「いや、アメンホテプ三世と言って、ツタンカーメンのお爺さんが造ったんだが、そのあとも、建造には何人かの王が関わっているんだ。もちろん、ラムセス二世もだ」
快斗は俊介に小声でささやいた。
「俊介!ラムセス二世って、ゴバができた時の王様だろ?」
「ああ、そうだよ」
俊介はうなずいた。
「だとすると、まぎれもなく俺たちの守護神だ。くれぐれも気持ちをこめて拝まないとな。慎太!」
「当然のことだ。かねがねそう思っていたよ。ゴバの力は、かりにも民族が違うおれたちにも分け隔てなく働いたんだからな」
慎太は、まるで生きている王に会うような緊張感を感じた。
俊介たちが、りゅうとして塔門を入ろうとすると、思いがけず門の脇に一人の老人がいることに気がついた。
眇めの上、顔には深いしわが刻まれ、手には砂に混ざった石を握りしめている。
俊介たちを見ると、どういうわけか、近づいてきて、凄みのある口調で、何か言うのだが、さっぱり言葉がわからない。
たまたま、俊介たちのそばにいた、現地のガイドの男が通訳をかって出た。
「何て言ってるんですか?」
「自分はジオマンシーの占い師だといっています」
「ジオマンシー?」
「古代エジプトの占いの一つで、砂や石を大地に放り、そこにできた形で占いをするんです」
嘘のつけぬガイドは、老人の言うことを聞いて、いささかおどろいたが、すっかりそのままを告げた。
「占いによると、お前たちはこの神殿に入ってはならぬ。それは死を意味する。お前たちの一人が必ず死ぬことになると言っています」
「えっ!なんだって!」
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