第20話 ツタンカーメンのミイラ

 俊介たちは、予期せぬ老人の言葉におどろき、あっけにとられた。


 ガイドは、おかまいなしに通訳を続けている。


「ジオマンシーによるとあなたたちには、アミッショとカルサ―の目が出ている。孤独、拘束、喪失を表し、まさしくこの中の誰か一人が閉じ込められて失われる、ほかでもない、死ぬことを意味するのだと言ってます」


「してみれば、囲まれた場所に入ってはいけない、とりわけ、この神殿に入ることは死ぬことを、たちまち早めると言うことだとも言っています」


 すると、耳をそばだてて聞いていた、占いなどまったく信じない都真子が業を煮やして言った。


「ねえ!おそらく、こういう占いには、とりもなおさず回避する方法がついて回っているはず!それを教えて!」


 都真子の強い口調に、老占い師は、いくぶんひるんだ。


「何より肝心なことは、しょせん吉も凶もないカプトドラコニスかカウスドラコニスの目を出すこと、すなわち、ドラコニス、つまり竜の力を借りることだと言っています」


「わかった!竜を探して頼めばいいのね」


「どうやら、その通りだと言っています」


「竜を探しにいきましょ!さ!早く!」


 都真子は、老占い師が言ったことを、気にもとめずにずんずん塔門の中へと入っていった。


 俊介たちは、都真子の背中を追いかけて、あわててついて行った。


 俊介はにんまりとした表情を口元にうかべた。


「いや、竜なら探さなくてもこのルクソールにいるんだ。それというのも、王家の谷を見下ろすアルクルンという小高い山は、蛇の女神メルセゲルが住んでいると言われている。エジプトでは蛇が竜を意味しているから、アルクルンを見上げれば竜に会ったことになるだろう」


 都真子は、しごくもっともな顔をして言った。


「じゃ、エジプトには、ヨーロッパや中国で見かける、翼や手足のついたドラゴンはいないのね?」


「ああ、そういうわけだ。これといって気にする必要はないな」


 ラムセス二世の中庭を過ぎると、仲睦まじく座り、裏側から見ると妻が夫の背中に手を回している石像がじきに目に入った。


「あれ、この像は、ラムセス二世には見えないな」


 快斗が、どうやら気がついて言った。


「ああ、よくわかったな。これはツタンカーメンと妻のアンケセナーメン像だよ。なによりかにより、名前をホルエムヘブという王に書き換えられているんだな。ツタンカーメンはエジプトの歴代王から除外されているからね」


「そりゃ、けしからんな。だが、本当のところ、かわいそうな王様だな」


「おい、見ろよ!どえらい石の柱が並んでるぞ。べらぼうに重い石だろうに、よくもまあ、倒れないで立ってるな」


 快斗は、石柱の行列に面食らって叫んだ。


 都真子も、背の高い慎太と、巨大な石柱をくらべてつぶやいた。


「さすがに、大男の慎太くんも小さく見えるわね」


「ここは列柱室と言って、一本十七メートルの高さがある石柱が、十四本あまり、どっしり立っている。石柱はパピルスの茎をイメージして造られていて、先端がパピルスの花が開花した形になっているんだ。柱の頂上を見て!パピルスの花が開いたように見えるだろ」


 快斗は、並外れたスケールにため息をついた。


「こうして、ひっきりなしに、とほうもない建造物を目にすると、この分だと、たいていの建造物じゃ、おどろかなくなったな」


 こうして目抜きの場所をくまなく見たあと、四人は、世界最大の神殿であるカルナック神殿へ移動した。


「見ろ!ここの参道のスフィンクスは、顔が羊で身体がライオンだぞ!」


「お前、よっぽどスフィンクスが気に入ったようだな」


「ああ、スフィンクスはもってのほか、おもしろいな。見るからに動物と動物が一体になっていたり、あるいは人と動物が一体になっていたり、そもそも神様に支えるには、取り柄のない、ただの人間や動物じゃ駄目なんだな」


 神殿の中には、またしても堂々とした大列柱室が現れた。


「どうだ!ルクソール神殿で見た列柱室よりすごいだろ。れっきとしたアガサ・クリスティの小説、ナイル殺人事件の映画じゃ、この大列柱室を歩く大富豪の令嬢めがけて、頭上から巨石を落とすシーンがあって、あれには面食らったな」


「ああ、私も見たことあるわ」


「この宙に伸びた柱は、実は、一本の柱ではなくて、ぷつんと輪切りにした円柱を二十メートルほどの高さに積み上げて造ってあるんだ」


「それにしちゃ、百三十四本もよく造ったな」


 俊介の説明を聞いた快斗は、目をこらして石柱のつなぎ目をひたと見た。


「なるほど、部品にした石を積んだわけだ。まるで巨大なだるま落としができるな」


 もっぱら慎太は、柱から見下ろされている、ちっぽけな自分の姿をせせら笑った。


「ふん、俺たちは、せいぜい葦の葉の間を歩く蟻だな」


 こうして、四人は、列柱室を通り抜けると、どんと一突き、見渡すかぎりの青空を突き刺すようにそびえ立つオベリスクを見つけた。


「ほら!あのぴんと尖った塔はオベリスクだ。そもそも尖端が矢印のようにすっかり尖っている理由は、それは要するにオベリスク自体が串という意味があって、むしろ太陽信仰における光の矢であるとか、あるいは日時計ではないかとか言われているんだ」


「まてよ!ルクソール神殿にもあったな」


「そう、あっちは、ラムセス二世のオベリスクだけど、こっちはハトシェプスト女王とトトメス三世のオベリスクだ。いずれにしても、丸い列柱と違って、先鋭で細長い四角錐だけど、まさしく花崗岩による一枚岩から出来ているんだ」


「ヨーロッパのどこかの国にあったよね?」


「ああ、ついでに言っておくと、ラムセス二世のオベリスクは、本来は、もう一本あって、フランスに寄贈されて、パリのコンコルド広場に立っているよ」


「おい!でかい虫の石像があるぞ!」


 快斗が素っ頓狂な声を上げた。


「そいつはスカラベという昆虫で、正式にはヒジリタマオシコガネといって、古代エジプトでは、ケぺラ神の化身として聖なる昆虫とされたんだよ。どうやら糞を丸く転がす様子が、再生と復活をシンボルとした、ほかならぬ太陽の運行を表しているように見えることから、ひときわ大事にされて、おどろくほど描かれたり造られたりされているよ」


「フンコロガシってやつね」


「ああ、話によると、この石像の周りを、左回りに、数にして七回巡ると願いが叶うそうだ」


「えっ!やってみよう!」


 たちまち、快斗がスカラベ像の周囲をぐるぐる巡り始めた。


「俺たちもやろう!」


 はては、慎太も言い出して、傑の発見を願って、またぞろ俊介も都真子もあとに続いた。


 言うなれば、もともとカルナックという言葉はアラビア語で窓を意味するから、神殿を訪れた四人は、祀られた神々の世界を、少しばかり、窓から覗くことになったようだ。


「さ!ナイル川を船で横切って、生者の町から死者の町に移動よ」


 ナイル川を渡り、王家の谷に向かうバスに乗ると、やにわに、むざんに顔の壊れた一対の石像が見えた。


「俊介!あの大きな石像は何だ?」


「ああ、あれは、アメンホテプ三世像だが、昔、地震で壊れてのち、朝方になると、うめき声のような音を出したそうだ。それでどうしたことか、戦死したエチオピア王メムノンを悲しんで母親がすすり泣く声だと言われはじめて、とかくするうちに、メムノンの巨像と言われるようになったとのことだ。まあ、どっちみち今は、音は出ないらしいけどな」


「顔がえぐられて不気味な姿だけど、むしろ悲しい話ね」


 バスは、小高い丘に向かい、黄色く、山肌があらわになった、王家の谷が現れた。


 都真子は、なんだかファラオの眠りを邪魔するような気がして、だしぬけにつぶやいた。


「きっと、何千年も、地下の真っ暗闇にいたファラオたちも、こうして、ひっきりなしに観光客が来たんじゃ、さぞ驚いているわね」


「いや、むしろ反対に、こぞって観光客が訪れた方が、いささか賑やかになって意外に喜んでるかもしれないぞ」


 俊介は、正直なところ、ぬけぬけと盗掘を目的にやって来た人々より、エジプト文明に関心をもつ現代の観光客の方が、よっぽどましだと思えた。


「王家の谷では、ざっと六十以上の王墓が発掘されたが、奇跡的に盗掘を免れたのは、ツタンカーメンの墓だけだ。当然のことながら、墓は地下だから、いちばん深いセティ一世の墓は地下八十八メートルの所にあるよ」


 四人は、ツタンカーメンの王墓を選び、特別料金を払った。


「地下十四メートルだからまだ浅い方だな」


 ゆっくり通路を下りて行き、前室を目前にしたその時だ。


 悲鳴が聞こえ、女性が飛び出してきたのだ。


「ミイラ!ムーブ!」


「えっ!ミイラが動いたって!」


 と、同時に、灯っていた照明がすべて消えた。


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