第44話 (最終話)砂漠からの帰還

 都真子は、自分に銃口が向いているのが分かったが、さも動ずる色を見せず、突き刺すような口調で名入と渡り合った。


「私は、十年前、冷酷にも、お前が車でひいた三色牧三の娘よ!」


「ふん、三色の娘がお巡りか!」


「そうよ!よくも我が家をどん底につき落としてくれたわね!でも、あの事件のおかげでいい経験をしたわ!」


「うるせぇ!今は、そんなことを喋ってる場合か!さあ!雉間といっしょにここから出してもらおう。出口にいる奴らはみんなどけ!こいつをぶっ放すぞ!」


 出口の前に立っていた快斗や咲たちは、脇へ寄ったが、扉の外では、何やら、あわただしい動きをしているのを感じた。


「逃げられると思ってるの?」


「ああ、俺は悪運の強い男なんでね!捕まるのはまっぴらごめんだ!咲を人質に連れて行くからな!雉間さんの手錠を外して咲の手にかけろ!早くしろ!」


「名入!そこまでだ!銃を捨てろ!」


 どこからともなく、マイクからの声が響くと、名入が一人で立っている目の前の床に、真っ黒な筒のようなものがころころと転がって止まった。


「何だ?こりゃ?」


 名入が、そう思った瞬間、筒はまばゆいばかりの閃光と爆音を発して破裂した。


 言わば、アメリカ製、閃光弾、M84スタングレネードだ。


 閃光をまともに見た名入は、目がくらみ、強烈な爆発音で耳をやられ、全身の感覚もマヒした。


 そこへ、名入の背後から、ふいに現れた黒っぽい服装のエジプト警察の特殊部隊の二人が、名入の銃を持っている手首をつかみ下に折り、銃をつかんで奪い取り、名入を倒して押さえつけて手錠をかけられた。


 たった、数秒の見事な捕物帳だ。


「都真子!大丈夫か?」


 とたんに、どこかで聞きなれた声が響いた。


 ぞろぞろと入ってきたエジプトの警察官に混じって、知った顔の日本人が目に入った。


「鼻田係長!それに紫蘭刑事や遠山君も!いったいどうして?」


 都真子は、まるで夢を見ているようだった。


「雉間と名入は国際指名手配だ。政治家を巻き込んだめっぽう大きな収賄事件の容疑者になってる。つい最近も、新しい証拠が続々と発見されて他の事件の関与も疑われている。それで、一刻も早く捕まえろとなったわけだ。エジプト政府の了解も得ているからな」


 深刻な事件らしく、鼻田は険しい口調で答えた。


「ええっ!他にも事件をしでかしてたの?なんて人たちなの!」


「ちくしょう!離せ!」


 俊介は、雉間のわめき声と、感覚のまだ戻らぬぶざまな名入の姿を見て、勝ち誇った気持ちになり、そのくせ一方では、ゴバに書き入れた内容の現実化にすっかり舌を巻いた。


《要するに、ゴバの力で、永年にわたる雉間と名入のおぞましい犯罪の証拠がたっぷり出て来たに違いないな》


「都真子!こいつらは、お前の父親の事件だけなく、実に多くの犯罪に手を染めている。日本に帰ったら、相当、重い刑罰が下るだろう。俺たちは、二人の手続きのためにこっちの警察に同行するが、お前たちはいつ日本に戻るんだ?」


「私たちも今夜の直行便で帰ろうよ!」


 都真子は、せいせいした気持ちで歯切れよく言った。


「そうだな。もはや、傑も見つかり、おまけに雉間も名入も捕まった。それに加えて、大事な宝物も神殿に戻ることができたからな」


 俊介は、文句なしに、すべてやりきったことに満足した。


「いや、もう一日くらい、カイロを観光して、帰らないか?」


 呑気な快斗が言うと、慎太が遮った。


「ダメだ!俺は次のスケジュールが詰まってるんだ。今日、帰ろう!」


「ねえ、傑を早く、家に戻して安心させましょう。私も、早く父に報告したいわ」


「まあ、仕方ないな。それが良さそうだ」


 快斗も、しぶしぶ承諾して、深夜の直行便で帰ることになった。


 傑は、アスワンからカイロ国際空港のターミナルに到着すると、行き交う人々が何も知らず、思い思いの行動をとっているのを、食い入るように見てつぶやいた。


「七人の雉間という異常な世界は、あっという間だったが、継続せずに終わってよかったな。世界は、文字通り、正常に戻ったな」


「いや、実際のところ、戻ったんではなくて、日常通りの変わらぬ世界のまま……というわけだけどな。なぜって、異常な世界を知っているのは我々だけだ。そうなる前に、雉間の目論見を阻止することに成功したから、知らない人にとっては、結局は何も起きていないのと同じだろ?」


「その通りだ。そう考えると、この世界って、ひどい事件が起きないように、絶えず誰かが、誰にも感謝されることもなく、時計の針を戻すような活躍をしているのかもしれないな」


 俊介の話を聞いて、この世界をあらためて見直した傑は、誰に感謝されなくとも、自分がそれをやってのけた一人として、誇りと自信をもって生きようとする新しいパワーが、ずんずんと全身にみなぎって来るのを感じた。


《よしっ!日本へ着いたら、母さんや姉さんに、真っ先に謝ってから、晴れ晴れとした気持ちで、新しい生活をスタートさせるぞ!》


 不三も咲も、しばらくはエジプトに残ることを言明した。


 不三は、ひたむきな口調で言い添えた。


「金輪際、ゴバを追い求めることは止めにするわ。今までは、ゴバを手に入れて、その力で自分を変えようと思っていたけど、それは、間違いだと気づいたの。おそらく、自分自身の力を疑っていたから、ゴバに頼ろうとしたのよ。自分を生かすも殺すも自分自身しかいないのにさ、その自分を疑ってちゃ、始まらないわね。これからは、自分がどれだけ力を秘めた存在なのか、何かに頼ることなく自分の力を信じて生きていくわ。こっちの仕事が片付いたら帰るわ。日本で会いましょう!」


 五人を乗せた飛行機は、人間に戻ったホルスのメンバーにも見送られ、夜のカイロ国際空港を飛び立った。


 時は流れて、その年の年末になった。


 俊介、快斗、慎太の会に、傑と都真子が加わり、幼馴染の五人が集まる会になった。


 その日は、都真子が、いささか仕事で遅れるため、四人が先に集まった。


 傑は、国会議員の秘書になり、政治家に向けて、第一歩を踏み出していた。


「神殿での、あの混乱した最中、傑はちゃんと自分の願いを用意してあって、どうしてもゴバに入れてくれって、俺に頼んだんだよ。なんて奴だ」


 傑は、照れくさそうにしながらも、悪びれずに言い返した。


「俺も、遅ればせながら、お前たちに、追い付き、追い抜いてやるからな!」


 快斗は、元気になった傑を見て、嬉しそうに甲高い声で言った。


「傑に、ゴバの力が加わったから、こりゃ、鬼に金棒だな!」


 傑は、たちまち、言葉尻をとらえた。


「何だよ。俺は鬼じゃないぞ!」


 慎太も、回想して、合いの手を入れた。


「いやいや、神殿から出て来た時は、まるで鬼みたいだったぞ!」


 傑は、神殿でスカラベに襲われたことを思い出すと、今でも冷や汗が出る。


「あの時は、正直なところ、死ぬかと思ったよ。だけど、今度、ゴバで何かあったら、俺と俊介は、もう無理だから、快斗と慎太の出番だな!ゴバを悪用する奴がいたら、お前たちが解決するしかないぞ。スカラベとの一騎打ちを楽しみにしてるからな!」


「ゴバなんて物は、いったい、存在していいのかな?」


 慎太が、やにわに言い出すと、俊介が考え深げに答えた。


「人の人生って、不幸になるのは簡単だが、幸福になるのは難しいよな。だから、ゴバのように、いとも簡単に幸福を舞い込むような存在があってもいいんじゃないか。それどころか、誰にでも、すぐ手に入らないから、万人が平等に使えるものではないだろ。まさに、巡り合った者だけが、恩恵を受けるわけだが、そう言ったものは、世の中に、いくらでもあるじゃないか。宝くじにしたって、もって生まれた才能だって、欲しくても確実に手に入るものじゃないだろう。幸運になれるアイテムってのは、人間の世界にいくらでもあって、いいんじゃないか」


 慎太は、俊介なりの、筋の通った考えを聞いて、いくぶん安心した。


「言うなれば、人間の社会は、俊介の言うように、努力と信念だけで、即刻、幸福になれるような、甘い社会ではないからな。俺は、不三さんが、ゴバを求めることを一切あきらめるって言った言葉が、印象的でな。自分の力を信じて生きて行くって決めたことにすごく共感できたんだ。不三さんは、その気になれば、ゴバなんてなくても、人間にはゴバが持っているような力があるんじゃないかって、言いたかったのかもしれないな」


「それじゃ、不三さん自身がゴバになるってことか?それもいい考えだな!」


「何がいい考えなの?」


 とつぜん、ひょいと遅れた都真子が現れた。


「いや……友情って……いい考えだってね……」


 都真子には、ゴバの詳しい話をしていない四人は、面食らってあわてたが、傑がだしぬけに、苦しまぎれの答えを返した。


「そうね、男の友情って素敵よね。傑を捜して、はるかエジプトまで行っちゃうんだからね。女にはできないわ」


「そう決めつけることもないだろう?女には女の友情ってものがあるだろうし、こういうジェンダーフリーの時代には、男も女もないだろう」

 

 俊介が、傑に助け船を出した。


「違うのよ。思い切ったことをやるのが男の性分ってことで、男だからって、みんながみんな、そうではないはずよ。女性だって、男っぽい性分の人はたくさんいるわよ。私は、時々、自分って男かなと思うことがあるもの。そういう男、女って意味よ」


 俊介は、都真子のことが時々、わからなくなるのは、こういう理由かと納得した。


「でも、傑のために、危険を冒してまで、エジプトに行ったことは、打算でも何でも無いよな。だから、そういうことを指して友情っていうんじゃないの。自分のことより、相手のことを思って行動するってのは、親子のように血のつながった者同士なら、当然の感情だけど、赤の他人に対してさ、そういった気持ちも持てるっていうのを友情っていうんじゃないのかな」


 珍しく快斗が友情論をぶつと、今度は慎太が自らの友情論を展開した。


「俺や快斗みたいに、チームで一つのことを目指してやってると、友情って、一対一みたいじゃなくて、一人に対して残りの全員で、みたいなところがあるよな。肝心なことは、友情って、前提として友人かどうかってことが大事だろ。だから、一対一で見も知らない人を救っても、それは人助けであって、友情じゃないよな。友情ってのは何人いたって、そこで、俺たちはみんなで一つだって意識があってこそ、それが真の友情じゃないかな」

 

 傑は、快斗や慎太の話を聞きながら、何よりも肝心なことは、危険を顧みず自分を捜し当ててくれた、これらの仲間を、けっして裏切ってはならないと思うことこそ、なによりかにより、友情であると固く肝に命じた。

 

 これまでも続けてきた幼馴染の会は、傑や都真子が入ったことで、一段と盛り上がり、あっという間にお開きの時間を迎えた。


「実は、このビルの屋上、夜景がきれいなんだ。帰りに上って見てみるか?」


 快斗が、みんなに提案した。


 五人は、会計を済ませると、エレベーターで最上階まで行き、そこから階段で屋上に上がった。


「うわー!本当に、夜景が、遠くまで見えてきれいだわ!」


 都真子が、歓声を上げた。


 俊介も、遠くまで広がる夜景を見て、なぜか、ふとゴバを釣り上げた、港の桟橋で、目の前に広がる青海原を見渡したのを思い出した。


《あのときは、遠く、水平線がはっきりと、空との境界線を引いていて、波間に反射した陽光は、眩しくきらめいていたな》


 その刹那、俊介の眼前に、夜景の一つ一つの光が溶け合って、一面にまぶしい黄色い砂漠が広がったのだ。


 幻想的な光景に、何度も目を擦って、よく見たが、やはり砂漠なのだ。


《おれの心の中には、まだゴバがいるんだ!》


 そう言って叫びたかったが、次の瞬間、砂漠の光景は、一瞬にして消滅し、何事もなかったように、宝石のような夜景が広がっていたのだった。


                                   完




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ネンリンデカI 願いの叶う袋 東 風天 あずまふーてん @tachan65

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