第43話 悪あがき

 愚かしい四人の雉間と俊介たちの対決の場にいた者たちは、誰一人、置き去りにされることなく、突拍子もない時間の渦に巻き込まれて、ばたんと意識を失った。


「うっ!ここはどこだ?」


 俊介が、最初に目を覚まして、周囲をきょろきょろと見回した。


「過去に戻れたのか?おお!この情景は、まぎれもなくオールドカタラクトホテルのレストランだ!」


 俊介は、テーブルを挟んで、快斗、慎太、都真子、隣の席には傑が、うつけたような顔付きをして座っている姿を見て、すっかりうろたえた。


「おいおい!みんな!目を覚ませ!」


 俊介の声にはっとした快斗は、自らの頭の中の記憶の貯蔵庫を、ちらちらのぞき込むように見渡して、神殿の出入口に、けんもほろろに、ひざまずかされていた自分を思い出した。


「思い出したぞ!あのときは、まさしく危機一髪だったな!雉間のおかげで、あちこちに警官が見張っていたから、心ならずも、全員、捕まって、神殿に連れて行かれたんだったな。とまあ、これが思い出せたってことは、記憶はそのまま続いているぞ!」


「そんなわけで、みんな、神殿に勢ぞろいしていたのか!」


 傑も、ようやく目が覚めると、ついでにスカラベにやられた、腕の傷の痛みまでも思い出した。


 慎太は、いくぶん、時間旅行の副作用があったのか、まだ、頭の中がぱっとしない。


 たちまち、ムハンマドから、傑に電話がかかった。


「やあ!人間に戻ったぞ!感謝する!他のみんなも感謝してる!記憶もそのままだったよ!おれも、今から空港に向かうからな!」


「そう言えば、咲さんはどうしたかな?」


 心配になった快斗は、勢い込んで、ファームに電話をした。


「人間に戻ったわ!もうサルは嫌よ!記憶はこれまで通り、いっこうに変わってないわ!まっしぐらにアスワン空港に行きます!」


 俊介は、予想通り、ゴバの並外れたパワーが、あまねく全員に通じたことが証明されて、とびきり、うれしく思った。


「さあ、こうしちゃいられないわ!行動開始よ!まぎれもなく過去に戻ったからには、くれぐれも時間を無駄にはできないわ!即刻、アスワン空港に行って雉間と名入を捕まえましょう!」


 都真子は、未来には事故で重態になるであろう名入が、こともあろうに、今は、ぴんぴんして生きていると思うと、一刻も早く捕まえなければと闘志をみなぎらせた。


 やがて、空港には、俊介たち以外にも、ムハンマドをはじめとして、アリなどホルスのメンバーもぞくぞくと集まった。


 ロビーに現れたムハンマドは、にっこりして俊介に話しかけた。


「俊介さん!感謝するよ!一時は、一生、サルのまま生きていかなければならないのかと、肝を冷やしたよ!」


「とんだことにならなくて、幸いでした。さて、不三さんの話じゃ、雉間と不三さんは、この時間、レストランで食事中のはずです」


「この空港は、こじんまりしているから、ひょっとすると、あの店しかないな!」


《まてよ!俺は何でここにいるんだ?》


 雉間は、目の前を通り過ぎる、レストランの店員の姿を、ひたと見つめた。


 まさしく、俊介からゴバを奪おうとした神殿での記憶が、またたく間にすっとんで、今現在、レストランの、このテーブルについていることが、どうにもこうにも、腑に落ちなかった。


《この場面は、一度、経験した記憶があるぞ!ということは……しまった!時間を巻き戻したのか!そうだ!あの時、あいつらは、もうすでに、望むことをゴバに入れてやがったんだ!》


「やっと気がついたようね!文字通り、みんなで未来から戻ってきたのよ!ゴバの力でね!よくも、サルに変えてくれたわね!」


 不三は、あせっている雉間の顔を見て、せせら笑うと、自分をサルに変えた恨みが舌の先からこぼれた。


「今ごろ、気づいても手遅れね!」


 不三の険しい口調は、雉間をおのずから正気づかせた。


 不三はふいに席を立つと、十分に意識が集中できない雉間から、いきなりゴバの入ったリュックをひったくって逃げ出した。


「おい!何をする!ゴバを返せ!お前にゃ渡さんぞ!」


 雉間はわめき散らし、かっかしながら追いかけ、わずかに不三の肩をつかみかけた。


「不三さん!リュックをこっちに投げて!」


 だしぬけに店に入ってきた都真子の声が、不三の耳に入った。


 不三は、力まかせにリュックを放り投げると、都真子がすかさずキャッチして、折よく、後ろに控える俊介にぶん投げた。


 怒り狂った雉間は、邪魔な店員たちを跳ね飛ばして、店から飛び出たため、大騒ぎになった。


 して見れば、ちょうどムハンマドとウマルが警官の格好をしていたから、ふいに警察による捕り物が始まったと勘違いして、通りがかりの見物人たちは、野次馬となった。


 リュックを受け取った俊介は、ファスナーを開け、革袋に入った軽金属のケースを取り出すと、せきたてるように叫んだ。


「ダメだ!ケースの鍵が必要だ!」


 傑が、ムハンマドに伝えると、ウマルと二人がかりで雉間のポケットをまさぐって、鍵をつかみだした。


「あった!この鍵のことだな?」


 俊介は、受け取ってケースの鍵穴に入れるとぴったりだ。


「これに間違いない!それじゃ、建物の外に出て、ゴバを水から出そう!そうすれば、即刻、タイコウチがやって来て、神殿に持って行ってくれるさ」


 ゴバを奪われて、むきになっている雉間は、目をむきだして抵抗した。


「ゴバは!俺のものだ!」


 ムハンマドとウマルは、くだを巻いて、悪あがきを止めない雉間を、力づくで引きずって、空港の建物の裏手に連れて行った。


「ムハンマド!咽喉から手が出るほど、ゴバをほしいだろうが、ここは、黙って、見ていてほしいんだ!」


 俊介は、ムハンマドの目を見て、有無も言わさぬ口調で言った。


「わかった!人間に戻してもらった恩があるからな!」


「ホルスのみんな!ここは手を出したら、俺が許さんぞ!」


 ムハンマドは、並み居るホルスのメンバーに、はっきりと釘を刺した。


「ありがとう!それじゃ、ゴバを出すぞ!」


 俊介は、軽金属のケースの鍵を開け、水に浸された青碧色のゴバをおおっぴらに取り出して見せた。


「おお!あれが!ゴバか!」


 はじめてゴバを見る者は、その神秘的な美しさに目が釘付けになった。


「一度でいいから、手に持たせてくれないか?」


 ムハンマドが言うと、俊介は何のためらいもなく、ムハンマドの両手にゴバを乗せた。


「ごつごつした、重みのある、心が厳かになる感覚だ!」


《いつか、必ず、手に入れてやる!》


 ムハンマドは、固く決意をして、ゴバを俊介に戻すと、俊介はゴバを地面の上に置いた。


 すると、こともあろうに、やにわに地面が振動し始めた。


「俊介!タイコウチが来るまでの時間稼ぎはいらないよ!」


「あっ!フェル!」


 いつの間にか、ゴバの精、フェルが現れて俊介に声をかけると、快斗や慎太、傑が駆け寄ってきた。


「みんな、大人になったようだな。一生のうちにゴバに何度も遭遇する人間など、珍しいことだ。きっと、ゴバからも目をかけてもらえるにちがいない」


「地面が盛り上がってきたぞ!」


 誰かが、叫んだ瞬間、真っ黒いタイコウチが涌き出てきて、大きな渦を巻いてゴバを呑み込み始めた。


 雉間は、いっこうに諦めきれずに、用意したメモをゴバに入れようと、飛び出したが、タイコウチの大群に、みじめにもはじき飛ばされ、醜い執着心をさらけ出した。


 しばらくすると、ゴバは跡形もなく地中深く消え、気がつくとフェルも俊介の前から姿を消した。


 俊介たちは、ゴバがタイコウチに運び去られるのを見て、何はともあれ、ホッとしたが、ムハンマドやホルスのメンバーは、いかにせん名残惜しそうな目で一部始終をながめていた。


「雉間教授!名入は、どこにいるの?」


 都真子は、呆然としている雉間を問い詰めた。


「名入って誰だ?俺は、そんな奴は知らんね」


 雉間は、誰であろうが、なめ切っていたから、とぼけて、しらを切った。


「教授!私と咲で、何もかも伝えてあるのよ。今さら、とぼけるのは止めた方がいいわ。それに、もしホルスに引き渡されたら、ホルスのメンバーは、教授のしたことをしたたか恨んでるから、おそらく命はないわね」


 このとき、ムハンマドが、俊介に雉間の引き渡しを求めてきていた。


「雉間を、俺たちに渡してもらえないか?俺もそうだが、メンバーたちは、サルにされ、絶望にさらされたことを、二度と許せないと言っている。俺たちの掟で、雉間を裁判にかけたいんだ!」

 

 不三は、ホルスの怒りが、頂点に達しているがわかった。


「俊介さん!教授をホルスに渡してしまってよ。ただでさえ、私も裏切られて、はらわたが煮えくり返っているわ」


「協力する気がないなら、そうしましょうか……」


 俊介も、冷たく言い放った。


「ちくしょう!どいつもこいつも、言いたいことを言いやがって!わかったよ……名入は貨物室だ!」


《俺は、死んだのか?》


 辺りには、貨物の山で働く、数人のヌビア人が見えた。


《いや、死んでねえ!こいつは現実だ!俺は生きている!》


 とつぜん、名入の頭に、ホルスに追われて猛スピードで車を運転している自分と、タイヤを撃たれて、車のコントロールができず、道路わきの壁に激突する瞬間がよみがえった。


 だが、それ以後の記憶は途切れてしまっているのだ。


《あの事故は何だったんだ!夢だったのか?夢にしちゃ、リアル過ぎるじゃねか。だとしたら、いったい何なんだ?過去にそんな経験はしてねえはずだ!じゃ、未来の出来事なのか?》


 名入は、自分が、スーツケースを持参し、これから貨物係がやって来るのを、じっと待っていることも不思議に思った。


《このシーンは、一度、見たことがあるな!まるっきりの過去の場面だ!》


「あんたが名入ね!」


 いきなり、貨物室に現れた都真子が、名指しで名入に呼びかけた。

 

 ついでに都真子の後ろには、ホルスのメンバーやら大勢の人間も来ている。


「なんだ!てめえらは?」


 名入は、とたんにスーツケースを放り投げて、逃げようとしたが、反対側からも、ムハンマドたちが現れ、逃げ道をふさいだ。


「ちくしょう!捕まってたまるか?」


 名入は、懐に手を入れ、さっと取り出した手には、真っ黒い銃が握られていた。


「近づくと撃つぞ!」


 銃口は、まぎれもなく都真子に向いている。

 

 不気味に、その場が凍りついた。

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