第36話 騙し合い
名入は、雉間の抜け目のない奇策で、不三の知らないところで貨物係に化けて潜入していたのだ。
咲が指摘した通り、不三は、雉間と名入によってすっかり騙されていた。
雉間は、独り言でも言うような口調で名入につぶやいた。
「それにしても、いったいどうしてカイロ空港で、タイミングよくホルスがやって来たんだろうな?」
《俺と不三の行動を隅々まで知っているのは、名入と咲だが、咲にはそこまで詳しくは知らせてないはずだ。そうなると、こいつが怪しいな》
蛇の道は蛇だ。
雉間は、名入を疑い始めると、あべこべに名入も雉間を警戒し始めた。
名入は、すっとぼけて言った。
「そりゃ、ホルスのことだ。情報網がすごいからな。ずっと、あとをつけられていたに決まってる」
「みんながみんなというわけではないが、ホルスはいたるところにいる。あのアリまでホルスだったとは驚いたな。おまけに幹部のザイドを顎で使っていたぞ。アリの方が上なんだな」
「そうだったんですか?おれも知らなかったな」
《アリさんまで顔を出したのに、よく逃げて来れたな!それにしても、雉間の奴、俺のことを疑い出してるな!どっかでけりをつけにゃなるまい》
こうして、二人はお互い、疑心暗鬼のまま、あたかも地中海の真珠と呼ばれるアレクサンドリアに向けて旅を続けていった。
カイロ空港に到着したムハンマドは、俊介たちをただちに保安室に案内した。
「おっ!アリさんだ!何でいるんだ……」
「あれっ!それに羽衣不三さんも……まさか、こんなところで会えるなんて!」
何も知る由もない快斗は、甲高い声で喜んだ。
アリは、あたかも善人のふりをして、平然とした態度で、ことばを返した。
「ああ、ほら、快斗さん、カイロに仕事で来たら、この女の人を空港で見つけて、ほら、なんか困ってる様子だったから、何やら事情がありそうだなと思って声をかけたら、あべこべに訴えられちゃってね!快斗さん、この人、知ってるの?」
とたんに不三は、怒りをあらわにして、とげとげしい口調で罵った。
「こいつの言ってることはまるっきり滅茶苦茶よ!目も当てられないわ」
俊介も快斗も、不三の人柄がすっかり変わっていることに、ことのほか驚くばかりか、アラビア人の男たちと気色ばんだ雰囲気になっている様子に、ことさら釘付けになった。
「もとはと言えば、不三さんは、自分の身が危ないからエジプトに来ないと言っていたはずなのに、どうして意に反して来たんですか?」
「そりゃ、状況が変わったのよ。ところで咲!」
不三が、ふいに咲の名前を呼び捨てた。
咲は、むっつりとして、不三の顔をひたと見つめた。
「何の理由でカイロにいるの?」
「私、この人たちに協力することに決めたわ!」
不三は、どういうわけか、咲が別人のような態度をとるのを、苦々し気に見つめた。
《咲の奴、よくも裏切ったわね!私だって、正直なところ、教授がゴバを手に入れたら、隙を見て教授を裏切って、あっさりゴバを奪って逃げようと思っていたわ。それにもかかわらず、むしろ反対に騙されたのは私の方だった!何しろ、事前の計画じゃ、私の二つ目のスーツケースにゴバを隠して運ぶ予定だったのに……事実、確かに私のスーツケースに入れたのを見たわ。それなのに、おどろいたことに私のスーツケースには、ゴバは入っていなかった!まるきり手品ね。いったいどんなトリックを使ったのかしら……雉間の奴、どこへゴバを隠したんだろう……初めから、私を騙すつもりだったのね!》
不三は、雉間に騙されたことに、どす黒い憤りを覚え、もはやすっかり雉間に愛想をつかした。
傑は、不三の声を聞いているうちに、はたと記憶が蘇った。
「そう言えば、おれが神殿で気を失う寸前に、女性の声がしたのを、今でもはっきり憶えているけど、どうやら、手に入れた秘宝を横取りしたのは、ほかでもないあなたですよね?」
不三は、ふいに傑に声を指摘されて、雉間が殴って気を失った若者の姿をちらと思い出した。
「ひょっとすると、あなた、俊介さんたちが捜していた友人?」
「ええ、皆川傑です!あなたは、まぎれもなくホルスのメンバーですよね?」
「ここにいる奴らはみんなそうよ!」
都真子は、かねがね咲からも、耳慣れないホルスという言葉を耳にしていたが、いったい何のことなのか、とりわけ疑問を感じていた。
「傑!ホルスって何なの?」
「ああっと……それは、アスワンで秘宝を狙う謎めいたグループだって言われているんだよね!咲さん!」
咲は、藪から棒に、傑から声をかけられると、ゴバの話題に触れてはならないことを悟り、ごく自然にうなずいた。
俊介も、ゴバのことが、傑が舌の先からこぼれないように、たちまち心配になってやり取りを聞いている。
都真子は、ホルスに言及したことで、傑たちがとたんに落ち着かない態度をまるだしにしたことに業を煮やして言い返した。
「また始まったわね!せっかく秘宝のことは、金輪際、忘れて帰れると思ったのに、まだ、こっぴどくこだわってるのね!そんなことより、早くアレクサンドリアに行きましょうよ!ここにいても、らちが明かないわ!」
慎太が、やにわに雉間の動きを推測して、うやうやしい口調で言った。
「あのさ、都真子!雉間なんだけど、アレクサンドリアに行く前に、空港のどこかで、貨物を受け取るんじゃないのか?それが無いとアレクサンドリアに行く意味はないだろう。そこを見つけて、貨物を手に入れる前に捕まえる方が先じゃないか!」
「出た!名推理!」
快斗が、素っ頓狂な声を上げると、俊介も、今になって気が付いたように切り出した。
「そうだ!慎太の指摘は正しいな!時間の経過を考えると、貨物室にはもう無いだろう。貨物は外へ持ち出したはずだ。受け渡しの可能な場所はどこだ?空港の外なら、駐車場やショッピングセンターか?」
咲が、決然とした口調で、不三に問いかけた。
「アレクサンドリアには、陸路で行く予定だったんですよね!不三さん!」
咲から詰め寄られた不三は、どきついて心を波立たせたが、頑なに口を開こうとしなかった。
《目障りな女だ!余計なことを……》
「きっと、車で移動することは疑う余地はないわ。だとすると、駐車場が怪しいに決まってます」
咲は、返事をしない不三をそっちのけで口走った。
俊介は、険しい目を不三を向けたが、傲然とした様子に、何を言っても無駄のようだとげんなりして、やりきれぬまま次の行動を指示した。
「手分けして、捜そう!俺たちは、空港の駐車場を回るから、快斗たちは付近の駐車場を頼む!」
アリも咲の話が耳に入ると、目が輝いて、アラビア語でザイドに小声で耳打ちした。
「おい!駐車場を捜させろ!ほら、ダメならアレクサンドリアだ!」
「わかった!アリ!すぐ連絡を取る!」
とたんにムハンマドも、矢も楯もたまらず、協力的な態度を見せた。
「さっき、男を逃がしたのは私の不手際だ。だから、いっしょに捜しに行くよ!ウマル!あとは頼んだぞ!」
「おまかせ下さい!」
ウマルは、ぞんざいな態度をとるアリとザイドに、面と向かって尋ねた。
「お前たちが、嫌がるこの女性を脅して、無理やりスーツケースを奪おうとしたのは本当か?」
「だから、違うと言ってるでしょう。言いがかりってもんですよ。この女が嘘を言ってるんですよ。現にスーツケースには目ぼしいものは何にも無いでしょう?」
「もう、どっちでもいいわ!早く自由にして!」
不三は、いらついた表情で言い放った。
「では、この二人から、ふたたび危害を加えられたらどうします?」
「さあね……もう私に用はないはずよ」
「旦那、そんなことするわけないでしょう!ほら、初めから濡れ衣なんだから」
アリがしゃあしゃあと言った。
「じゃ、示談でいいんですね!」
ウマルはムハンマドに連絡した。
ムハンマドは、不愉快そうな声でつっけんどんな言い方をした。
「仕方がない!女性がいいと言うならそうしてやってくれ!」
ウマルは、ムハンマドの指示に従った。
「それじゃ、被害届も出ていないので、話し合いの上での和解ということにしますがいいですね!」
「異議なし!」
「異議なし!」
アリは、にんまりした表情になったが、ぞっとするような冷酷なまなざしで不三に言った。
「お嬢さん!日本に帰った方がいいんじゃないかな。ほら、エジプトは物騒なところだからな!」
不三は、雉間に裏切られた腹いせもあって、この時、並々ならぬ決意をしていたのだ。
「過去を清算してから、帰るわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます