第35話 貨物係の男
男は、おどろいたことに、コシャリの料理人のアリだった。
「お前は、名入の店の気のいいコックじゃなかったのか?」
「なれなれしい口をきくな!裏切り者め!ほら、おれたちは、気は長くないぞ!本当のことを言え!」
がらりと別人のような顔付きになっているアリは、力まかせに雉間を殴りつけた。
すると不三が、何やらわめくように言った。
「まって!ゲブが持ってるっていうのはでたらめよ!ゴバはまぎれもなく飛行機の貨物室にあるはずよ!空港で雇った貨物係が、せいぜい裏切らなければね……」
しかるべき確証はなかったが、不三の見方では、どうにもこうにも、それしか考えられない。
アリは、不三をけわしい目付きで睨むと、かさねて脅し文句を口にした。
「本当だろうな!ほら、今になって嘘だったら、もちろん命の保証はないからな!」
アリとザイドは、たかぶってはいたが、動ずる色を見せない不三の言い分を聞いて、まんざら、でたらめでは無さそうだと感じた。
「それじゃ、女だけを車に乗せて、カイロ空港に行くぞ!男は置いていくから、しっかり見張ってろ!」
こうしてアリとザイドは、ハッサンに雉間の監視を命じると、不三を連れて、ただちに空港に向かった。
「あの建物よ!中に入ると部屋が三つ並んでいるわ。確かではないけど、普段は無人のはずよ。火急の問題が発生したら、そこかしこからメンバーが集まるけど、どのみち、四、五人ってところね」
咲の案内で、古ぼけた倉庫の前に車を止めると、先頭を切って、俊介と都真子が、中に入ろうとしたが、警官のムハンマドが、さしあたり、自分が中に入るから、くれぐれも無鉄砲なことをしないようにと俊介たちに釘を刺した。
「わかったわ!ここは任せましょう!」
都真子は、名入がいたら、有無も言わせず、どんなことがあっても捕まえる覚悟だ。
ムハンマドは、おそるおそる扉を開けて中に入ると、いちばん奥の部屋から、物音に気付いて、思いがけず部屋から出て来たハッサンと、ばったり鉢合わせになった。
てっきり警官を見て、自分を捕まえに来たと勘違いしたハッサンは、ぱっと背中を向けて、奥の非常階段から一目散に逃げ出した。
ムハンマドも追いかけたが、扉の隙間から、縄で縛られ、鼻から血を出した男が目に入って、やにわに足を止めると、男は身体に縄が巻き付いたまま助けを求めてきた。
「私は日本の大学教授だ!助手の女性が誘拐され、カイロ空港で脅迫を受けているんだ!二人のアラビラ人の男といっしょにいる日本人の女性だ!助けてやってほしい!」
ムハンマドは、一刻を争う事件と判断して、空港担当の警察官に不三の身の安全の確保と、誘拐した男たちの拘束を依頼した。
音を上げて、けたたましく階段を下りてきたハッサンの前に、今度は、俊介たちが立ちはだかった。
いずれにせよ、多勢に無勢な状況だが、ハッサンは、突破しようとナイフを振り回して向かってきたが、俊介が、傍にあった棒きれでナイフを叩き落とすと、身体の大きい慎太が力ずくで、ハッサンを投げ飛ばし、地面に手ひどく身体を叩きつけた。
「やるねえ!慎太!」
胸のすくような投げ技に、快斗がいちばん喜んだ。
しこたま身体を打って、身動きができなくなったハッサンの腕をねじ上げて手錠をかけたムハンマドは、やけに俊介たちの動きが無鉄砲に見えたのか、何やら心配を口にした。
「危ない!危ない!無茶しないで!」
都真子も、気になってハッサンの顔をのぞきこむと、まさしく見覚えがあった。
「やっぱりそうよ!この男は、カイロ博物館で、いきなり私を襲ってきたやつよ!博物館の防犯カメラに間違いなく映っているはずだわ!とすると、あの時から、一枚からんでいたわけね……」
俊介も、今となっても釈然としなかった疑いが、口からほとばしりでた。
「それじゃ、ギザのホテルでコブラを放ったのも、ひょっとすると、こいつの仕業だったのかもしれないな!」
それはそうと、縄が解けた雉間が二階から降りようと出口から顔を出すと、おどろいて身を引いた。
《ちくしょう!なんで、あいつらがいるんだ!》
雉間は、あわてて中に引っ込むと、ちょうど誰の目にも入らない部屋の窓を開けて、隣の建物へ手を伸ばすと、壁の出っ張りをひっつかんで外へ積んであったゴミの山の上に転げ落ち、いくぶん痛めた足を引きずって逃げて行った。
「二階の男はどうした?」
ムハンマドは、ハッサンをパトカーの中に手錠でくくり付けるやいなや、性急に口走ると、傑が素早く駆け上がって、部屋の中をくまなく見てまわった。
「誰もいないぞ!」
ムハンマドも、おどろいて駆け上がったが、たしかにいたはずの雉間は影も形もなかった。
「しまった!どさくさに紛れて姿を消したんだ!辺りを捜そう!」
俊介たちは、付近を必死に捜したが、いっこうに見つからない。
「この分だと、むやみに捜したところで、とうてい見つからない!カイロ空港の女性の方が心配だ!」
ムハンマドがせきたてるように言うと、俊介たちも捜索を諦めて、空港に向かうことにした。
空港では、ひときわ強張った表情の不三が、アリとザイドに挟まれて、荷物カウンターでじっとしていた。
しばらくしてカウンターから赤いスーツケースを受け取り、即刻、その場でケースを開けたとたんに、きわめて険悪な雰囲気になった。
「おい!ゴバが入ってないぞ!どうなってるんだ!よくも騙したな!」
アリは恐ろしい剣幕で怒り出した。
不三はアスワン空港で、自らの二つ目のスーツケースの中に、まぎれもなくゴバの入った水槽を押し込んだのを覚えていたから、どう考えても解せなかった。
《なんで無いんだろう?貨物係が盗んだ?いや、やっぱり教授が怪しい!》
不三は、いまいましい口調で言い放った。
「教授にうまい具合に騙されたのよ!」
「それならゴバはいったいどこだ!ハッサンに電話して男を締め上げるんだ!」
ザイドが、ハッサンに電話を入れると、どうにもこうにも応答がない。
「つながらないぞ!ハッサンの奴!何をやってるんだ!」
「ハゴロモフミか?カイロ警察だ!」
不三の前に、ムハンマドから知らせを受けた空港付きの二人の警察官がやにわに現れて、ふいに声をかけて来たのだ。
不三は、アリやザイドの前であったが、ひるむことなく切り出した。
「この二人が私を脅して、スーツケースを奪おうとするのよ!」
アリは、警察官の前ということもあって、打って変わって落ち着きはらい、いかめしい口調で言った。
「おれたちは、むやみに人の物に手を出したりしませんよ。だいいち、そのスーツケースにゃ、いったい何が入っているというんですか?何も金目のものは入っちゃいませんよ。ねえ、お嬢さん。何かの間違いでしょう。それとも、初めからでたらめを言ってるんですか?」
警察官は、らちが明かない様子にムハンマドに連絡を入れた。
「今、男女とも見つけましたが、どうしましょうか?」
「あと五分で着くから、空港の保安室に連れて行ってくれ」
「わかりました」
「それじゃ、いっしょに来てください」
警官と不三たち三人は、保安室に消えて行った。
その頃、雉間はカイロ空港から離れたこじんまりした駐車場に姿を現した。
「おい!持ってきたか?」
雉間は、貨物係の男を呼び出していた。
「ええ、大丈夫ですよ」
スーツケースを引きずりながら、どこからともなく貨物係が現れた。
貨物係の男は、貨物室の中で、不三の二つ目のスーツケースから、ゴバを取り出し、用意した三つ目のスーツケースに移し替えて、飛行機が空港に到着するやいなや、周囲の目をかいくぐって早々に外へ持ち出したのだ。
男は、摩り替えたスーツケースを、念入りなことに、人目につかぬように段ボール箱に入れて現れた。
雉間は、スーツケースから、ゴバを浸けた容器を取り出して、持ち運びが容易な背負い式のバックへ移すと、男に車を運転させ、カイロの街から一目散に脱出を図った。
「アレクサンドリアまでは、どのくらいかかるんだ」
「まあ、三時間ってとこだね」
「船の手配はできているんだろうな」
「ああ、できてますよ。イタリアのジェノバまでのんびり行きましょうか」
「ちくしょう!やっぱり、カイロがいちばん危険だと思っていたら、まさしくその通りなったな。途中、ザイドに捕まった時は、いっとき、どうなることかと思ったが、運よく逃げたせたから良かったよ!なあ、名入!」
貨物係の男は、ほかならぬ名入だったのだ。
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