第28話 秘密の間の戦い

 慎太は驚いて、あわててて聞き返した。


「ええっ!お前が潜入者だって!それって!命が懸かってるんじゃないのか?危険すぎるぞ!」


 傑は、それどころか、目を輝かせて言った。


「ああ、この日のために、エジプトに来た甲斐があったんだよ。そんなに心配することはない。かねてから策は考えてあるんだ。そもそもスカラベは、ゴバの力で至聖所に現れるから、かりにゴバを手に入れたら、すぐに水に沈めて力を封じてしまえば、スカラベはまたたく間に消滅するはずだ。次が肝心なんだが、至聖所の外に出た瞬間に、他のグループに奪われてしまう可能性が高いから、その日はゴバを水槽に入れたままにして、怪しまれないように、手ぶらで至聖所から出るとする。そして、翌日の昼間に、あたかも観光客に紛れて、ゴバを取りに戻る計画さ。なにしろ手強いのはホルスだ。くれぐれもゴバが秘密の間にある限りは、絶対に諦めないからな」


「そりゃ、むしろ反対に、ゴバにたどり着く前に、スカラベに殺られてしまうんじゃないのか?そこが、何よりも肝心な点で、あくまでも失敗したら命はないぞ!」


 慎太の指摘はどちらかと言えば的を得ていた。


 なぜならば、傑がこの方法を選んだのは、とりわけ賭けに似た理由があった。


「実は、ついでに言っておくけど、一つだけ、未確認だが、重要なことがあってさ。こともあろうに、ゴバを一度でも使った人間は、ゴバが記憶していて、スカラベが襲わないという伝承があるんだ。実際のところそれが正しければ、俺はゴバを使った経験があるのだから、スカラベに襲われずに、難なくゴバを手に入れることができるわけだ」


「だったら、それは要するにただの言い伝えだろ。まさしくお前が言っていたように信じちゃいけない情報だったら、きわめて危険じゃないか!実際に誰かの実行例があるならやってみる価値はあるが、偽ネタなら失敗だぞ。なぜなら、スポーツの世界だって、賭けに出るプレーはいくつもあるが、確実なデータに裏付けられてこそ、賭けはできるもんだ。それだけに一つしかない命を懸けるなんて、あまりにも伝承というのは、根拠が怪しすぎるじゃないか!」


 こうやって快斗が説得しても、いまさら、傑は計画を止める気は無かった。


 俊介は、何よりも確かなのは、傑の決意が間違いなく固いことだと分かり、明らかに頑固な傑の考えを変えることは難しいと判断した。


 快斗や慎太も、同様に、かねてから傑の気性は、よく知っていたから、真っ向から反対しても無駄だとさとった。


「それじゃ、頼みが一つあるんだ。俺が、首尾よくゴバを手に入れたら、ここへ戻ってゴバを渡すから、預かってくれないか?俺は、帰国する支度をして、すぐさまアスワンを出発するから、カイロ空港で合流しよう!」


 言うなれば、傑は、俊介たちが現れたお陰で、万が一ホルスに見つかった場合でも、ただちに自分が囮になって、まんまとホルスを引き付け、無事にゴバを運び出すことができると自信を持った。


 こうして四人による、途中からがらりと作戦会議に変わった相談は、夜が白々と明ける時間まで続いた。


「いつの間にか、こんな時間だ!必ず、かえって来いよ!傑!」


 快斗と慎太は、そう言って廊下に出ると、おそらく夜番と思われるボーイが廊下の奥にいた。


「たしかオードブルを持って来てくれたボーイだ。一晩中仕事なのか……」


 二人は、眠気まなこを擦りながら部屋に入って行った。


 レストランでは、長広舌をふるった都真子も、傑を発見できたことで、いくぶん緊張の糸がほどけたのか、ぐっすり寝てしまって最後まで姿を見せなかった。


 そのくせ、まったく予期せぬことが起きていた。


 こともあろうに、オードブルを届けに来たボーイが、ぬけぬけと部屋に録音機を仕掛けて、四人の会話をすっかり録音していたのだ。


 ボーイは、あとから、オードブルを片付けに来て、ついでに録音機も回収し、その向かった先は、いまいましいことに咲のファームだった。


「録音機を持って来ました」


 ボーイは、うやうやしく咲に録音機を渡すと、これまでどおり報酬を受け取った。


「明日、また来て!仕事があるわ」


 咲は男を帰すと、ただちに名入を呼んで、俊介たちの会話を再生した。


「なんだと、傑がゲブのメンバーとして、ゴバを狙っているのか!不三の言う通りだったな。おどろいたことにあいつらは、ゴバをよく知っている上、それどころか、傑がゴバを使ったことがあるなど、ぬけぬけと出任せを言ったもんだ。よしんば傑の計画が上手くいって、手に入れたなら、神殿にいる教授たちがただちに奪い取ればいいだろう。ほかでもないが、上手く神殿からゴバを奪えるなら、こいつは見ものだぞ!」


 名入は、ふてぶてしい口調でばかにしたように言った。


 翌朝、まぶしい朝陽に気づいて目を覚ました俊介は、たちまち傑がもう部屋にはいないことに気づいた。


 そればかりかテーブルの上には、まさしく傑の書いたメモが置いてあって、おまけに傑の書いた相変わらず傑の強い意思を表すとりわけ角張った、四角い字体が目に入った。


『エジプトまで来てくれて感謝するよ。必ず成功させて戻るよ。無事を祈っていてくれ』


 俊介は、メモを読むと、固く決心した傑の顔が思い出され、いずれにせよ、傑がやり遂げて帰ってくることを信じて待つしかないと思った。


 その頃、すでに傑は、かねてから所属する集団、ゲブの集会に駆け付けて、ほかでもない長老の演説を聞いていた。


「聖なる夜、秘密の間に偉大なる神の御袋、ゴバが旅からお戻りになる。はるか昔から、われらの神は、いやまして純粋に信仰する者のみに、ゴバを授けて下さる。それというのも代々純血なる神への信仰の血が受け継がれているのは、あくまで我がゲブのみである。してみれば神がこの三人の勇士をじきじきにお選び下さった。必ずやゴバを持ち帰ってくれるだろう!」


 もったいぶった長老の演説が終わると、ただちに潜入の儀式に移行して、傑も含めた三人の男が紹介された。


 傑は、いまだかつて日本人がゲブのメンバーに加わったことはなかったこともあり、特別扱いされて、名誉ある潜入者にも選ばれた。


 長老は、これまで通りゲブに永く伝えられた掟を、だしぬけに三人に言って聞かせた。


「ゴバが、帰還しても、それを見てとたんに、行動を起こしてはならない。何より恐れなければならないのは、スカラベは人間の貪欲な心を見抜いて、すかさず襲ってくるのだ」


 傑は掟を聞いて、まま、そういうことはあるものだが……と考えた。


《おれに言わせると、正直なところ貪欲でない人間はいないだろう。貪欲故にゴバが誕生し、そればかりでなく、ゴバを得ようと命まで懸けるのだからな。だが待てよ!それならいっそ、あべこべに、自分の貪欲さを捨てることは、まぎれもなく聖なることだ。文字通りスカラベを前にして、きっぱりと無欲な気持ちに成ってみるか!》


 長老は、続けてもう一つ話をした。


「実は、スカラベの攻撃をぴしゃりと避ける方法がある。それというのも、我が教団だけに二千年前から伝わる、言うなれば秘密の丸薬がある。ほかでもないこの丸薬を、スカラベの口に放り込めば、とたんに口に入れた人間を襲う力を失うのだ」


 長老は丸薬を持ってこさせ、一人に二十粒ずつを配った。


《二千年前からの伝承など、どっちみち当てにはならないが、それでも何も無いよりはまだマシだ》


 傑は、半信半疑だったが、うやうやしい手つきで丸薬を受け取った。


 最後は、本当のところ、余りいい気持ちはしなかったが、顔に変てこな彩飾の顔料を塗られ、黒々とした色の聖衣に着替えさせられ、ゴバの到着に合わせて神殿に向けて出発した。


 陽の高いうちのアブ・シンベル大神殿は、大勢の観光客でにぎわい溢れかえっていたが、陽が沈むころには、すっかり観光客は去り、その代わりに最も勢力の大きいホルス、古さでは一番のゲブ、ヌビア人の教団であるヌビアン、最も新しい教団のテトラなど、もっぱら二十あまりの教団の人々が神殿の入口に集まった。


 こうしている間も、入口のラムセス二世像は、何事も無いような顔で鎮座し、集まった人々を傲然と見下ろしていた。


 さしあたって、秘密の間に入ることのできる潜入者は、各教団から三人ずつの割当てになっていて、それでいながら配置場所を決める籤引きを行って、引き当てた順番で神殿の中に入っていく決まりになっていた。


 どちらかと言えば傑は、籤引きは得意な方ではなかったが、珍しいことに祭壇のすぐ左隣を引き当てた。


《とりあえず祭壇の近くの位置を当てたぞ。幸先がよさそうだ!》


 傑は、ただちに潜入者の列に連なって、奥へ奥へと進むと、至聖所のラムセス二世像と神々の像の並ぶ右側は、普段は誰が見ても壁になっているにもかかわらず、今宵ばかりは扉となって開き、おまけにその奥に秘密の間につながる階段が地中に延びていた。


 それに加えて階段の両側には『悪魔のろうそく』と呼ばれるマンドレイクという植物が生えていて、発光して足元を照らし、その灯を頼りに階段を下りて行くと、頑丈な石柱が何本も立つ広い空間がいきなり現れた。


 傑は、ひときわ神秘的な光景を目にして、ふたたびゴバと出会うことに、今さらながら期待を膨らませていた。


《こともあろうに神殿内にこうした場所があるなんて、まぎれもない知る人ぞ知る場所だ。さすがのラムセス二世も、この秘密の間を造らなければ、ゴバを無事に保つことはできないと考えたのだろう。むしろ完全に消滅させることのできないゴバにとっては、唯一安全な安置場所であり、だからこそ秘密の間は存続されたのかもしれないな》

 

 この秘密の間は、かつて神殿を解体した時に、たまたま発見され、この秘密の間を破壊して、ゴバの存在を葬り去ろうとする議論もされたが、それは、ゴバに帰る場所がなくなって返って危険なことになると反対され、きわめて忠実に再現された。

 

 そればかりか、まさしくゴバの存在にエジプト復興の希望を託したとも言える。

 

 今でもエジプトでは、クフ王のピラミッドから、謎の巨大空間が発見されたり、ツタンカーメンの王墓にも未知の部屋があったりとされているから、予期せぬ空間の発見はあるものだ。


 それはそうと籤で決まった祭壇横のスペースに立った傑は、命懸けの戦いを前に、身震いするような感覚が、幾度となく全身を駆け巡った。


 そのうち、やっと最後の一人が降りて来て配置に着いた。


 凍り付いたような時間が、砂時計が最後の一粒を流し終えるのを待つようにじれったく流れた。


 しばらくすると、どういうわけか、誰もがびくっとして、タイコウチがゴバを運搬してやって来る予兆を感じ取った。


 わずかながら、秘密の間全体に響く振動が起き始めた。


「振動してるぞ!」


「いよいよ、きたぞ!ゴバが戻って来る!」



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