第27話 ホルスとゲブ

「だめだ!絶対に帰るわけにはいかない!」


「何をそんなにむきになってるの?もう十分、エジプトに来て、癒されたんじゃないわけ?それとも、何かやりたいことがあるの?」


 都真子は、凄みのある口調で聞き返した。


 俊介は、常軌を逸した傑が、あげくの果てに、何を言い出すのか、とりわけ、その返事が気になっていた。


 都真子に気色ばんで言われた傑は、決然とした口調で言った。


「どんなことがあっても、手に入れたいものがあるんだ!」


「この期に及んで、手に入れたいものって何よ?」


 傑は、とうていどこにでもありそうな、ごくありきたりなフレーズを口にした。


「エジプトの秘宝さ!」


「たわごとを言わないで、そんなバカげたものがあるわけないでしょう。てこでも日本につれて帰るわ」


 都真子は、有無を言わさない口調で、こっぴどく、傑に帰国を言い渡した。


「いや、あるんだ!まちがいなくあるんだ!」


「なによ、それって……いったいどんな代物なのよ」


「それは、口に出しては言えない!」


 とたんに、咲が、しゃしゃり出て、口をはさんだ。


「それじゃ、それって考古学上の発見?」


「ああ、そうとも言える。だとしたら、あと一日だけ待ってくれ!明後日には、何があろうと、帰り支度をしていっしょに帰るから……絶対、約束する」


 都真子は、しばし、むっつりとしたあと、噛んで含めるように、家族というものへの真情を吐露した。


「くれぐれも一日だけよ!それ以上、希望は聞かないからね。これだけは言っておくけど、これ以上、姉の和美さんやお母さんを心配させないでよ。もう子供じゃないんだから、社会性とか、常識ってものを持たないとね。私がいちばん言いたかったのは、我が家だって大変だったけど、私は逃げなかったわ。家族といっしょに居て頑張るのが筋でしょ。それを傑に分かって欲しいのよ」


 慎太も、矢も楯もたまらず、日本で待つ姉の和美の心情を代弁した。


「きっと、今頃、和美さんはね、お前の父親代わりのつもりで心配しているんだよ。すごいいい姉さんじゃないか。だから、一日も早く、和美さんに元気な顔を見せて謝って来いよ。その気になれば、こっちへ来るチャンスはいくらでもあるさ」


 快斗は、慎太が、ふいに大人びたことを言うのを聞いて感心した。


「そうだ!慎太の言う通りだ。諦めた方がいいぞ」


「すまない、金輪際、わがままはもう言わないよ。都真子に言った通り、あしたの目論見が成就したら、即刻、大人しく帰国することを約束するよ。それで、また、来たくなったら、次は、堂々と公言してからエジプトに来ることにするよ」


 俊介たちは、傑がそこまで言うならと、文字通り帰国を一日延ばすことにした。


 咲は、折よく、ゴバの話が出かかったので、蒸し返そうと、何度か質問を繰り返してみたが、傑は、二度とゴバを匂わすようなことを口にすることはなかった。


 そのあと、傑の滞在の話は立ち消えて、この二年間の傑の生活を聞いたり、あべこべに、傑が日本の様子を尋ねたりして、かれこれ二時間ほどが、あっという間に過ぎ去った。


「さあ、もうこんな時間だ!話の続きはホテルでしないか?」


 俊介は、喉から手の出るほど、傑の本心を聞きたいと思っているが、何を隠そう、この場で聞くのは、いたって難しい。


「なあ、仮にもオールドカタラクトホテルだろ。いくら大胆なおれでも、こんな格好じゃ、とっても入れてくれないだろう」


 傑は、みすぼらしい仕事着姿を眺めて気おくれしていた。


「心配するな。ホテルに行けば、俺の着替えがある。サイズは同じくらいだよな」


「それじゃ、立ってみて!」


 都真子が言うと、俊介と傑が立ち上がって、いきなり背丈比べをしたので、快斗が、まじまじと見比べて、ゴーサインを出した。


 念願だった、傑との再会を果たし、おまけに食事と会話にすっかり満足した俊介たちは、アリと咲に熱っぽく礼を言って、二台のアスワンタクシーに分乗し、ホテルへと帰って行った。


 星のきらめく夜空のもと、オールドカタラクトホテルからもれる灯は、煌々と輝いて、彼らの帰りを出迎えてくれた。


 タクシーが到着するやいなや、俊介だけが部屋に戻り、傑の着替えを見つくろって、持って出て来た。


「その姿じゃ、一瞬で追い出されるわね。さて、着替えにもってこいの場所はないかしら?」


 都真子は、ひときわ大きい椰子の木を見つけると、つい立て代わりに快斗と慎太を立たせ、傑を着替えさせた。


 俊介は、フロントで傑の宿泊手続きを済ませると、案内されたのはツインの部屋だった。


「ブラボー!さすがに、オールドカタラクトホテルだ!ゴージャスな雰囲気だな!」


 部屋に入った傑は、めったにお目にかかれない上品な内装や調度品に目が釘付けになった。


 そこへ、飲み物とオードブルが届くと、相次いで快斗と慎太が着替えてやって来た。


「都真子は、どうやら飲み過ぎたようだから、部屋で休んでから来るって言っていたよ」


「はてさて、日本からはるか離れた砂漠の真ん中で、こんなふうにみんなで話をするなんて、世界も広いようで、意外に狭いもんだな。それはそうと、やけに気になっていたんだが、俺についての噂って、どんな噂なんだ?」


 俊介は、都真子の前では黙っていた不三とのやり取りを話した。


「年齢も性別もわからないが、ゴバを見た経験のある日本人ってことになってたな。それ以上はないよ」


「俺のそういう噂を耳にしてるなんて、その人も怪しい人だな」


「なにしろ師事した教授もゴバを巡って、今は行方不明になってるらしい。羽衣さんも、教授と一緒に研究をしてたから、何となれば自分の身も危険だと感じて、日本に戻ったと言っていたな」


「こっちで、ゴバを知っていると分かったら、誰でも危険になるよ。その教授と羽衣って人も、ゴバにとりわけ関心をもったから、ついにホルスに狙われたんだな。なにしろホルスはゴバを狙う一番危険な集団さ。俺だってここに来るまで、そんなグループがあるなんて、夢にも思わなかったよ」


「まさか!お前も何かのグループに入っているのか?」


 いきなり快斗に質問され、傑は、いまさら黙っているわけにはいかず、正直に答えた。


「ああ、俺はゲブというグループに入っているよ」


「えっ!何だって!」


 快斗は、傑の大胆さに、目をまるくして驚いた。


「だって、そうでもしないと、ゴバの情報が手に入らないじゃないか。あとで知ったことだが、ゴバが神殿に戻った時が、いちばん危険なことが起きるんだ。俺たちの時のように、タイコウチがゴバを世界中から探し出して、神殿に戻すだろう。その時を待ちかまえて、ゴバを手に入れようと、各集団が一斉に動き出すのさ」


「ゴバを手に入れるためとなると、べらぼうに、危険な争いになるだろう。結局のところ、誰かが手にすることができるのか?」


「もっともそう簡単には、行かないさ。なぜって、ゴバはタイコウチが運んで来たあと、アブシンベル大神殿の至聖所の壁の裏側にある、秘密の間の祭壇に奉られるんだ。いったいぜんたい、秘密の間は神殿を移す際に、初めて知られた場所で、それまでは、ゴバの存在を知る者以外は、誰にも知られてはいなかったのさ。恐ろしいことにそこには、何匹いるか知らないが、並外れて巨大なスカラベがゴバを守っていて、侵入者を喰っちまうんだ。だからこそ、グループ同士、命懸けのゴバの争奪戦が起きるのさ。よしんば、勝ち抜いて、ゴバを手に入れたとしても、どういうわけか秘密の間の中では、ゴバの効力は封じ込められていて、秘密の間から出ないと使えないんだ。さもないと、そこで、まごつけば巨大スカラベに喰われてしまうのさ。まあ、こうしたことは所属しているゲブから聞いた情報だから、実際に、この目で見たわけじゃないけどな」


 驚いたことに、傑は、恐ろしいほどゴバに詳しくなっている。


「俺たちの時は、すぐに使えたということは、そういう理由があったから苦も無く、ゴバを使えたのか」


 おまけに傑は、ゴバが日本に来た経緯も、ゲブから聞いていた。


「それというのも今から五十年前に、神殿からゴバの獲得に成功したアラビア人のテトラというグループがあってな。ゴバを手に入れて喜んだ束の間、神殿から出たとたんに、ホルスの襲撃を受けたんだが、危うく難を逃れて、ナイル川を船で逃げたそうだ。だが、ついに途中で追いつかれて逃げきれず、その首領は、ゴバもろとも、ナイル川に身を投げたらしいが、必死の捜索にもかかわらず、首領の死体は見つかったが、ゴバはとうとう発見されることはなかったそうだ。つまり、ゴバは、その時からまさしく五十年もの歳月をかけて、ナイル川を下り、地中海に出て、はるか遠くの日本の海底まで流れ着いたのさ」


「今になって考えると恐ろしい話だな。そんなゴバを巡る戦いがあって、挙句の果てに日本まで流れ着いたのか」


 俊介は、傑の話を聞いて、五十年という歳月ののち、ゴバを釣り上げた確率を考えると、実に不思議なことではあり、まるで暗闇で針に糸を通すくらい困難なものだとも思えた。


「おれの見方によれば、そもそもゴバの情報は、ひいては何千年も前から、様々に存在していて、証明されていない伝承もあるはずだ。耳に入った情報には、ひょっとすると偽情報も混在している可能性も大いにあるかもしれないから、即刻、信じることには慎重な方がいいな」


 傑は、ゴバの情報には振り回されないようにと言いながら、肝心なことを言っておくと前置きして、自分がすぐに日本へ帰れない理由を話した。


「ゴバに反応するラムリアという植物を憶えてるか?そのラムリアが、アブシンベル大神殿の方角を向いて蕾が花を咲かせようとしているんだ。つまり、今は、タイコウチの大群が、ゴバを運んでいる真っ最中で、明日には、秘密の間に到着する予想なんだ」


「えっ!もうすぐじゃないか」


 快斗は、明日と聞いて、すっかり驚いた。


「今こそ、ゴバを手に入れるチャンスが来たんだ!その日は、どのグループからも、平等の人数の潜入者が秘密の間に入り、ゴバの到着を待つことになっている」


 慎太は、恐ろしくなった。


「スカラベに喰われるような危険な目に会うんだろ?命がけじゃないか!」


「実は、俺もその潜入者に選ばれたんだ!」


「なにっ!」



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