第21話 ファルーカの船頭
光の入らない地下の墓は、即刻、漆黒の闇に閉ざされた。
「まずいわ!閉じ込められた?」
都真子は、あたかも何者かの仕業であるかのように疑った。
何人かが、スマホのライトを照らしたとたん、数人の観光客と、ヒステリーを起こしていた女性の顔が、ぱっと暗闇に浮かび、恐怖に顔をゆがめて叫んだ。
「ツタンカーメンズカース!マミーブレス!」
「なんだって?ツタンカーメンの呪いだって、ミイラが息をしたと言ってる!」
そのときだ、ライトを灯した職員が、あたふた駆け下りて来た。
「ブラックアウト!ブラックアウト!エニイワンゼア?」
「ウィアヒア!」
都真子が応答した。
「えっ!停電?人騒がせね!」
職員は、停電なんて、からきし初めてだと面食らっていた。
俊介たちや観光客たちは、こぞって職員のライトを頼りに、狭い階段を這い上がって表に出ると、たちまち、まぶしい太陽の光に目を覆った。
ミイラが息をしたと震えおののいていた観光客は、真っ先にその場から離れ去った。
「えい!おれたちが中へ入ろうとした矢先、こうしたことが起きるなんて!ひょっとすると、さっきの老人の占いが的中したのか?」
快斗がちらと口をすべらすと、都真子があっさり否定した。
「まさか!偶然よ!停電なんて、どこにでもあることよ!」
ひとまず待っていると、すっかり復旧した。
「ほらね、この分だと、もう心配ないわ。さ!入り直しましょう!」
とくだん、びくともしない都真子の神経に、俊介はたいそう敬服したが、いくぶん怖気付いた快斗は、慎太に先頭を頼んだ。
「体の大きい慎太がいちばん前な。何があっても、慎太が真っ先に、防いでくれ!」
「さっきは、おれが先頭じゃ、前が見えないって言ってたくせに!」
ツタンカーメンの墓は、前室、玄室、宝庫、付属室と四つに分かれているが、話によると、他にも未発見の隠し部屋があるらしい。
玄室に入ると、中央には石棺が置かれ、周囲の壁には、ツタンカーメンやヒヒなどの彩飾画やヒエログリフが描かれていた。
肝心のツタンカーメンのミイラはガラスケースに入れられ、身体には布がかけられていたが、防腐剤処理によって真っ黒になった頭と足が飛び出ていた。
「さっきの人は恐ろしく騒いでいたが、ミイラが息をしたって言うけど、あの歯が飛び出している口が開いたってことか?」
慎太は、食い入るように見たが、とうてい口は開きそうにない。
「死後、死体が動いたという話はないことはないわ。ミイラ化した死体のじん帯が収縮して、身体に沿っていた腕が開いたという例もあるらしいけどね。何千年も前のミイラじゃあり得ないわね」
都真子はいたって冷静だ。
「時価にしたら三百兆円ともいわれる黄金のマスクと比べたら、人間は死んでしまえば、こうした炭のようになってしまうのが本当の姿だ。生きてるってことを大事にしなきゃな」
慎太が考え深げに言うと、快斗が感心して言った。
「慎太は、ときどきいいこと言うね」
四人は、もう一つセティ一世の王墓を選んで、見学すると、実にツタンカーメンの王墓に比べて、何倍も巨大なものだった。
俊介は、ツタンカーメンが気の毒になって、言い訳するように言った。
「こっちの墓が大きいじゃなくて、ツタンカーメンの墓がちっぽけなんだ。いきなり亡くなったから、間に合う墓になったということだ」
こうして王家の谷からは、死の町にふさわしい静寂さを感じながら、ようやく、この日の最後の見学地、ハトシェプスト女王の葬祭殿に向かった。
都真子は、女性のファラオと聞いて、いささか興味をもった。
「クレオパトラなら知ってるけど、ハトシェプストなんて名前、初めて聞くわ」
「ハトシェプスト女王は、言わばエジプト史上、初の女性ファラオだけど、意外に知られていないかもしれないな。この葬祭殿は、三千年以上も前に、崖を背負って三層に造られた建造物で、とりわけ中央の傾斜道を使うと、三層目にじかに上がることができるんだ」
四人が、上りきると、そこには、両腕を胸の辺りで交差させた姿のハトシェプスト女王像が待っていた。
「両腕の交差は、オシリス神のポーズと言うんだけど、王は死んだらまさしくオシリスの神になると信じられていたからね」
「あら!女性なのに、あごから髭が伸びているわ」
「ああ、おそらく男性と偽って政治を行ったから、つけ髭のある男装した石像になってるよ」
「だがな、そこへもってきて、その反動がすごいことになってるよ。女王が死ぬやいなや、義理の息子のトトメス三世が、即位を阻まれたことを恨んで、女王の像や業績を綴ったレリーフをことごとく破壊してるんだ。むしろ、敵も多かったはずだ」
「まあ、一歩も引かず、王になりたかったんだろうな」
階下の第二層に下りて行くと、人に牛の耳をつけたハトホル神、鷹の頭のホルス神、犬の頭のヌビア神などの神々が祀られていた。
「なにしろ、エジプトは多神教だからな。スフィンクスは胴体が獅子で頭が人間だろ。ここの神々は逆だ。鳥獣の頭で考え、人間として行動する神だ。こうして見ると、この神々は本当に実在したように作ってあるな。まあ、ここは死者の町だから、人間と神々、生と死が入り混じって黄泉の国そのままなのかもしれないな」
「ルクソールは見るものがたくさんあったな」
四人は、ひとまわり葬祭殿を見終えると、バスでナイル河畔の船着き場に向かった。
そこには、観光客たちがひしめいて、それぞれの国の言葉でがやがや喋りながら、クルーズ船に乗り込んでいるのが見えた。
「話によると、ナイル川のクルーズ船は、大型、小型を合わせて四百艘以上になるらしいな」
「さすがに、世界に誇るナイル川だ」
クルーズ船の旅を選択したのは、ほかならぬ俊介である。
それと言うのも、羽衣不三から、むしろルクソールからアスワンへは、ひと思いにナイル川を遡るクルーズ船を利用したほうが、ことのほか快適だとすすめられたことによるのだ。
「なにしろ、飛行機であれば、わずか二時間で移動できるところを、わざわざ二泊三日で行くのだから、優雅な旅になるぞ」
俊介は、なにやらもったいぶった言い方をした。
「その昔、中国の皇帝が、たいそうな大船団を組んで、悠々と揚子江を遊覧し、停泊地ごとに地元の特産品をことごとく簒奪して、すっかり美食に興じたことがあるが、そういう雰囲気が味わえるかもしれないな」
「いやあ、船中泊って、日本でフェリーに乗って以来だな。クルーズ船も、百人くらい乗船するんだよな。『移動するホテル』って聞いたから、中はどれほど豪華になっているか、今から楽しみだな」
慎太もすっかり上機嫌だ。
都真子は、ナイル川をじかに見渡して、たまたま歴史の授業で習った言葉がちょうど頭に浮かんだ。
「たしか、エジプトはナイルの賜物って、ヘロドトスの言葉だったかしら?高校の世界史の授業で先生から聞いたんだわ。こうしてナイル川を訪ねることになるなんて、正直なところ、夢にも思わなかったわ」
俊介は、ふと言葉尻をうまくとらえて表現した。
「ただ、現在のナイル川は、どちらかといえば、観光はナイルの賜物って言葉に置き換わっているよな。観光に携わるあまたの人々は、さしあたりナイル川のお陰で生活できているのだろうからな」
「そもそもナイル川は、全長一万キロ以上に及ぶ大河川だ。その水量たるや、まさに約八百億トン、日本の琵琶湖の約三倍に上るけどな。むしろ反対に、近年では、気候変動によって水量の減少も起きてるらしいよ」
船は、ひょいと岸を離れた。
デッキに出た都真子は、心地よい風を浴び、ひっきりなしに水面に立つさざ波を食い入るように見つめながら、思いがけずクルーズ船の航行を自らの人生に当てはめていた。
「本当のところ、エジプトに来て良かったわ。なぜって、自分の一家は、やっかいな運命に翻弄されて、てんてこ舞いになったけど、永い人類の歴史と比べれば、私が経験したことなどは、今見ているナイル川のさざ波くらいの小さな出来事に感じるもの」
俊介は、だしぬけに都真子のことばを聞いて、ことのほか船旅を選んで良かったと思った。
《一人の人間が、こんなふうに、心にわだかまる失意から立ち上がり、ぐいぐいと期待や希望に胸を膨らませる効果があるならば、船上は最良の環境であるかもしれないな。とりもなおさず、船がまっしぐらに目的地に向かって、滑るように水を切って進む姿が、まるきり人生に似ているからなのだろうか?おれも傑に会える気がしてきたぞ」
時とともに、ナイル川の水上には、名物の帆掛け船、ファルーカが、青空に白い帆をたなびかせて、幾つも浮かぶようになった。
「ファルーカで寛いでいる人たちを見ろよ!気持ち良さそうだな!」
快斗は、遠くに見えるファルーカを指差した。
慎太も、数多く浮かぶ、別のファルーカに注目していた。
「あれ?いちばん、右に見えるファルーカの漕ぎ手は、顔つきがアジア人のように見えないか?」
俊介は聞いたとたん、心臓の音が高鳴るのを覚えた。
「えっ!まさか!傑じゃないだろうな?」
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