第39話 七つの人生

「じゃ、そのゴバってやつの力で、人間がサルになったというわけ?」


 都真子は、どのみち傑に言われたように、サルになった咲の姿を見ると、現実を受け入れざるを得なかった。

 

 俊介は、断定的な口調で言い切った。


「くどいようだけど、ゴバに願い事を書いて入れると、例外なく、その願い通りになるんだ!」


《都真子だって面食らってしまうよな。誰だって、もっぱら自分の尺度で、物事を測るクセがあるのだから、未知のことを理解するのにてこずるのは、くれぐれも仕方がないことに決まってる》


 俊介は、都真子に、まるで押し付けるような言い方をしたのを反省した。


「シッ!」


 傑は、ラジオから、しきりにアラビア語で流れる事故のニュースを頭で聞き流していたが、とつぜん、被害者の状況が耳に飛び込んで来たため、会話の遮断をうながした。


 傑は、内容におどろいて、たかぶった口調で日本語に訳した。


「砂漠道路での車二台の事故の続報だ。一台目に乗っていたのは日本人で世界的に有名な考古学者の雉間京一さんで死亡。車を運転していたレストラン経営者の名入浩一さんは意識不明の重体。不思議なことにもう一台の車を運転していたドライバーは行方不明だ。ということは、雉間は死に、名入は重体だ!」


 都真子は、だしぬけに名入が事故に遭って、それでも生きていると聞いて、とたんに叩きつけるように言った。


「名入が重体?あっさり死なせるわけにはいかないわ!」


《何ということだ!恩師の仇である雉間が死んだのか!雉間に法の裁きを下すことができないではないか!》


 俊介も、まさしく奈落の底に落ちたような絶望感におそわれた。


「俊介!どうする?」


 傑は、せきたてるように俊介にたずねた。


「ああ、予期せぬこととは言え、今は、一刻も早く、咲さんと不三さんを人間に戻すことが最優先だ!何よりも方法は一つ、ゴバの力を使って元に戻すしかないな!まてよ!ホルスは全員、サルにされたのだから、ゴバはホルスの手にはないはずだ!つまり、タイコウチがアブシンベル神殿にゴバを持って行ったことは間違いないぞ!」


 咲であるサルがメモを傑に差し出した。


『ファームにラムリアがあるから、ラムリアの向きと花が咲いているかどうかを見れば神殿に戻ったかどうかわかるわ』


「おい!俊介!ファームに行けばラムリアがあるそうだ!」


「よし!カイロ空港に引き返してアスワンにとんぼ返りだ!快斗たちには、アレクサンドリアへの飛行機には乗らないように連絡してくれ!出発時刻はまだのはずだ!」


 俊介は、もう一人、サルにされた不三の安全に心を砕いていた。


「不三さんは無事だろうか?人間に見つかって危害を加えられていないだろうか?いずれにせよ、カイロ空港に来るようにメールしてくれ!二人を人間に戻すまで、みんなで二人を守ろう!」


 都真子は、名入のことが気になってつぶやいた。


「雉間と名入の二人が、どう処置されたか確認しないとね!」


 そこへもってきて、にわかに都真子がおかしなことを言い始めた。


「でも、雉間教授は残念ね。世界有数の考古学者だったのに、学会にとっては大変な損失でしょうね」


 サルとなった咲もうなずいている。


「おい!都真子!今、何て言った!雉間が世界有数の考古学者だって?いったい何のことだ?」


 その言葉を聞いた傑は、都真子のけろりと言った言葉に耳を疑った。


「何を言っているの?雉間教授は、世界でも有名な考古学者よ!日本人としてもっと尊敬しなさいよ!」


 俊介と傑は、おどろいて目を見合わせた。


「俊介!都真子が変だぞ!」


「何が、変なのよ!常識よ!」


「間違いなくゴバの力だ!雉間は、死ぬ前にホルスのメンバーを変身させただけでなく、まぎれもなく、自分自身の栄達を願いとしてゴバに書いて入れたんだ。それがどうやら、何を隠そう、世界トップレベルの考古学者になるようにってことだ。だが、実に不思議なことに、おれには、からきし、雉間をそうした目で見る気持ちが起きないぞ!」


「ああ、おれも同じだ!」


 傑も、雉間が世界有数の著名な考古学者であるとは、さっぱり思えなかった。


 俊介は、都真子の認識のどこまでが、洗脳されているのか、おそるおそる、試しに質問した。


「都真子!お前がエジプトに来た目的はなんだ?」


「今さら、何を言ってるの?私は、当然のことながら、どんなことがあっても名入を捕まえるために、エジプトへ来たのに決まってるじゃない!でも、雉間教授は、関係ないわ!」


 俊介も傑も、正直なところ、都真子が、ある意味で正気であることは、とりもなおさず理解できた。


「俊介!これ以上、雉間について質問しても無駄だ!これはゴバの力で固く信じ込んでいるみたいだ!」


「雉間は、本当のところ、大考古学者になることが、奴の願いだったのだろうか?いずれにせよ、事故で死んでしまったのだから、今さら、有名になったところで、後の祭りというものだ」


 俊介たちは、カイロ空港に到着すると、ゴバが使われたことで、さしあたり、世の中が何か変化したのか気になって、周囲を見まわしてみたが、とくだん何も変化は感じられなかった。


「おい!ここだ!」


 出発寸前にストップをかけた快斗と慎太が、俊介たちの下へやって来ると、傑が背中にしょったリュックから、サルが顔をのぞかせているのを見て、びっくりしてとびのいた。


「おいおい、なんでサルを背中にしょってるんだ?」


「実は、咲さんなんだよ!ゴバの力で変身させられたんだ!」


「えっ?咲さんなの?冗談はよせよ!そんな姿に変わってしまって……」


「雉間が、自分と名入り以外のホルスのメンバーを、ゴバを使って、全員、サルに変えたんだよ!」


 サルである咲が、メモを書いて見せた。


『不三さんが建物の外に来てるわ!』


「なに!わかった!外へ出よう!」


 俊介たちが向かうと、一匹のサルが人目のつかない建物のひさしの陰に登って、こっちを見ていた。


「やあ!不三さんなら、リュックを用意したから、この中に入ってくれ!」


 俊介の声を耳にしたサルは、急いで飛び降りて来て、リュックの中にひょいと入り、顔だけ出して、ひたと俊介たちを見つめた。


「まだ、おれたちの言葉は、かろうじてわかるようですね。これからアスワンに移動してゴバを使ってもとの姿に戻しますからね、もう少ししんぼうしてください」


 すっかり、わけの分からなくなった快斗が、舌足らずな口調で質問した。


「いったいどうなってるんだ?!もうアレクサンドリアには行かないんだな?」


「そうだ!実は、交通事故があって、雉間は死に名入は重体なんだ!」


 俊介は、あべこべに快斗や慎太にたずねた。


「お前たち、雉間を尊敬する気持ちってあるのか?」


 快斗も慎太も即答した。


「俊介!いきなり何を言ってるんだ?バカなことを言うな!あるわけないだろう!」


「ほかに、どこか変わったことないか?」


「何ともないって!どこも変わっちゃいないよ。誰が、雉間なぞを尊敬するもんか!」


 俊介は、ゴバのルールを確信した。


「やっぱり!思った通りだ。おれたち四人には、ゴバの効力は現れていないぞ!」


 傑は、潜入者として、秘密の間で戦った経験を思い出して言い添えた。


「実は、俺が神殿でスカラベと戦った時に、俺だけ、スカラベの力が及ばなかったんだよ。つまり、俺たちのように、一度なりともゴバの力を使った者は、あらためてゴバの影響を受けないと考えられるんだ!」


 俊介も、はじめのうちは、傑による勝手な解釈だと思っていたが、今となっても、この四人だけは、雉間を尊敬する気持ちを、豆粒ほども持たないのは、まさしくそう考えるしかなかった。


 サルになった不三は、言いたいことがあるようで、けたたましくペンとメモを要求した。


 メモには次のように書いてあった。


『雉間大教授は、いみじくも七人の自分になること、大考古学者、大富豪、大政治家、大芸術家、大スポーツ選手、大教育者、大実業家になること、つまり七つの人生を送ることをメモに書いて用意していたから、その願いをゴバに入れたのに違いない。だから、死んだ雉間大教授はその中の七人のうちの一人に過ぎない』


 俊介が、不三のメモを読んで聞かせると、慎太は目を丸くしておどろいた。


「ということは、雉間は、死ぬ前にゴバに願い事を入れて、ゴバの力で、七人の自分の分身を作ったということなのか?」


「その通りだ!ゴバの力からすれば、地上の人間は、雉間が作り出した七人を、実在の人物として無意識に認め、その気持ちを抑えるのは、誰人たりとも、けっして不可能だろう。だから、都真子や咲さん、そして不三さんは、俺たちと違って、雉間を大学者として認める心が生まれたんだよ。どっちみち報道されているように、大考古学者としての雉間は、事故で死んだが、残る六人の雉間は、死なずに、この世界のどこかに存在しているはずだ!」


「そりゃ、異常だな!ゴバを使って、七人の人生を生きることをゴバに頼んだのか?ずいぶん欲張りな男だな!」


 慎太が、神妙な顔つきで切り出した。


「それじゃ、かりにも、こうしてゴバが悪用されたときは、ゴバの力を知る者、つまり、俺たちに、それをただす責任があるということじゃないのか?」


 俊介は、決然とした口調で言った。


「つまり、俺たちで雉間に立ち向かうしかないんだよ!」


 快斗は、一抹の不安を口にした。


「そんなこと言ったって、いったい、どんな方法があるんだ?」


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