第38話 えっ!人がサルに

「思い出した!貨物係の男よ!」


 不三がふいに叫ぶと、慎太と快斗が追っかけて、あっけにとられている男を、はがい絞めにした。


「いてて!何するんですか?」


「スーツケースはどこにやったの?」


 不三が、アラビア語でたずねたが、男は口止め料をもらっているらしく、とたんにむっつりとして下を向いた。


「ふん、この男は力ずくでは駄目ね!」


 不三は、おもむろに現金を取り出し、面と向かって見せると、男はがらりと一変、あっさり本当のことを口にした。


「ええと、日本人がスーツケースを持ってやって来てな、預かったスーツケースと交換してくれねえかって言うから、ダメだって断ったのさ。でもな、こりゃ、雇い主からの指示だと言って、おまけに金もくれたから、いいよって言って渡したよ」


「きっと、名入だわ!」


 咲は、いつぞやレストランで名入と撮った写真を男に見せた。


「ああ、この人!この人!」


 不三は、呆れたような口ぶりで切り出した。


「それじゃ、名入は、まるっきりアレクサンドリアにすぐ行かずに、カイロで動いていたのね。だとすると、ホルスの手先になって、私と教授を空港で捕まえさせたのも名入かもしれないわ」


 咲は、考え込むような表情で、やにわに反論した。


「でも、ホルスに戻るということは、せっかく手に入れた例の物を、挙句の果てに、ホルスに差し出すことになるわ。おそらく雉間とは、どっちみちグルになっていっしょに逃げてるのよ」


 俊介も名入の行動には、とりわけ疑問を持った。


「それでなくてさえ、例の物を手にしたんだから、好きこのんで雉間と会う必要はないんじゃないか?」


 不三は、ぴしりと肝心な点に触れた。


「なぜって、雉間に会わなければならない理由があるのよ。アレは革袋だけじゃなくて、もう一つ軽金属のケースに入っていて、その鍵は雉間が持っているわ。だから、雉間に会って鍵を手に入れないと開かないのよ」


 慎太が、いまいましそうな口調で言った。


「何という用意周到な奴だ!」


 咲は、疑い深そうな目で言った。


「きっと、名入は、どこかで雉間を裏切って、例の物を手に入れようとするに違いないわね」


 名入だけが気になる都真子は、しびれを切らして言った。


「時間がもったいないわ!さっさと追いかけましょう!」


 俊介と都真子、そして傑と咲は、途中で追いつけるかもしれないとレンタカーを借りて、通称、砂漠道路を使ってアレクサンドリアに向かうことにした。


 快斗と慎太は、飛行機を使って、一足先にアレクサンドリアに到着して、雉間と名入を待つことにした。


 文字通り、ホルスの実態を暴露しようと並々ならぬ決心をした不三は、ムハンマドやウマルといっしょに警察署に向かったが、一つだけ、やけに気になっていることがあった。


《どうして、警察署内のホルスが動いていないんだろう?間違いなく情報は入っているはずだわ。それとも、ニセ警官として動いたから、幕を引いたのだろうか?いや、そんなはずはない……》


 ムハンマドがいきなり振り返り、後部座席の不三に言った。


「署には行かないよ。行くと我々が困るんでね」


「えっ!やっぱり!あなたたちがホルスだったのね!署内からホルスのメンバーが、ふっつり出てこないと思ったら……」


「おとなしくしていてもらおう!腕を出せ!」


 不三はムハンマドから拳銃を向けられて、がっちり手錠をかけられた。


「二人を見つけました!追跡します!」


 だしぬけにムハンマドに無線連絡が入った。


 雉間と名入は、休憩のためにサービスエリアに寄ったところを、くまなく網を張って待っていたホルスのメンバーに、たちどころに見つかったのだ。


「こりゃ、やばいぞ!いたる所にいやがる!教授、なんとかする方法はないのか?このままじゃ、間違いなく捕まるぞ!」


 名入は、わき目も振らず猛スピードを上げた。


「こうなったら、ゴバを使うしかないな」


《なんて書いて入れたらいいんだ?》


「パンッ!」


「おい!銃を撃ってきやがったぞ!」


「何でもいいから書いて入れないとやられちまうぞ!まず、ホルスの奴らは全員、サルにしちまえよ!いや!だめだ!おれもお前もホルスの一員だ!いっしょにサルになっちまう!」


「今、ゴバを出したら数分でタイコウチが来て、持っていかれてしまうからな」


「いいから早くしろ!」


 名入は、一本道の高速道路を猛スピードで逃げたが、ホルスも負けずに追いかけてくる。


 雉間は、バッグからメモ用紙とペン、そして、革袋から軽金属のケースを取り出し、ケースを開ける鍵も準備した。


「さあ!あとは何と書いて入れるかだ!まず、ホルスのメンバーを俺とお前以外全員、サルに変える!と、その次だ!おまえは何になりたいんだ?世界一の……なんだ?世界一の……大統領か?スーパーマンか?」


「とりあえず!世界一の大富豪でいいや!いや、待て!ここで撃たれて死んだら、大富豪の意味は無いな!ちくしょう!」


「わかった!世界一の大富豪はダメだな!」


「撃たれても死なないとすれば、怪物しかないぞ!」


「パンッ!」


「また、撃ってきやがった!タイヤを狙ってやがる!早くしろ!」


「パンッ!」


 ホルスの弾丸は、狙い通りタイヤに命中した。


 すると、猛スピードで運転していた車は、タイヤが破裂してふっとび、一気にハンドルを取られると、極度に操作不能となった。


「うわあ!」


 車は、ガードレールにどかんと激突し、はじかれて宙に舞った。


 ぶざまに一回転した車は、前部から地上に落下し、道路に叩きつけられると、たちまちガソリンに引火し爆発を起こしたのだ。


 名入は、運転席から車外に放り出され、道路際まで転がり、助手席の雉間は、車内に取り残され、紅蓮の炎に包まれた。


 追跡してきたホルスの車といえば、名入たちの車の脇を通り過ぎ、どういうわけか、まっしぐらに突っ走って、やにわに車から何かが飛び出たかと思うと、からきしコントロールを失って壁面に衝突し大破した。


 異変はそれから起きた。


 辺りに、がたがたと鈍い振動がしきりに起きるやいなや、高速道路の真ん中が何やら盛り上がり始めたのだ。


 ついに道路が裂けると、裂け目から黒々とした物体が溢れ始めた。


 まさしく、タイコウチの大群だった。


 大群は、押し寄せる波のように、燃えている車を目掛けて、つき進んで行った。


 すると不思議なことに、炎に包まれ煙を上げる車の中から、真っ赤に焼けた物体が、ひとりでに道路に飛び出して、真っ白い灰の塊に変化したかと思うと、次の瞬間、灰の一つ一つが、青く輝き出し、形のはっきりした、美しい物体に変わった。


 何と!その青碧色の物体こそ、ゴバであった。


 タイコウチの大群はゴバに向かって進み、ゴバを覆いつくすと、先ほどできた道路の裂け目に向かって、引き波の如く引き返して、吸い込まれるように、地中へ消えていった。


 残ったタイコウチたちは、あたかも砂粒のような物体を口から吐いて道路を元通りに修復すると同じく地中に消えた。


 奇妙なことに、その一部始終について、野次馬のような顔をした数匹のサルが、惹きつけられるようにひたと見つめていたのだ。

 

 しばらくすると、後続の車が、燃え上がる車の前で立ち往生をし始めた。


「車が燃えていて通れないぞ!何とかしてくれ!人も倒れてる!」


 ドライバーから警察に連絡が入った。


 はるか後方を走る俊介たちも、きわめて驚く出来事に遭遇した。


 つい今しがたまで、咲が座っていた座席に、突然、サルが座っているのだ。


「たいへんだ!咲さんが消えた!どこへ行ったんだ!代わりにサルがいる!」


 隣の座席の傑が、素っ頓狂な声を上げ、車の中はてんてこ舞いになった。


 サルは、咲のバッグを引き寄せ、がさごそと中を探ると、ペンとメモ用紙を取り出して、さらさらとメモ用紙に文字を書いた。


『どうなってるの!私は、咲よ!』


 メモを見た都真子は、頭がくらくらするほどおどろいた。


「魔法じゃあるまいし、こんなことってある?」


 俊介も、常軌を逸した現象にぎょっとして動揺したが、高速道路を走っているため、次のサービスエリアまで車を止めるわけにはいかない。


《こんなことができるのはゴバしかない!雉間がゴバを使ったのに違いないぞ!自分が気に入らない人々を動物に変えたんだ。じゃ、自分のことは何に変えたんだろうか?いずれ分かるに違いないが、とうとう、始まってしまったのか……》


 傑も、俊介と同じことを考えていたが、都真子の前でゴバの話をするわけにはいかず、途方に暮れた。


「あっ!掲示板に事故の表示が出てるぞ!ラジオをつけてみてくれ!事故について報道があるかもしれない!」


 一方、不三の身にも同様の現象が起きていた。


 ムハンマドやウマルも含めて、パトカーに乗っていた三人は、ちょうど信号待ちをしているときに、サルに変身してしまった。


 運転ができなくなったこともあって、三人は、いや三匹は、あわててパトカーを乗り捨てて車から逃げ出した。

 

 しかもそれどころではなく、エジプト各地で、いや、世界各地でホルスのメンバーとされる人間がサルに変身してしまったのだ。


 ムハンマドやウマルとは、あべこべの方角に逃げた不三は、人目につかない場所を探して、まだ、頭が人間の知能を宿しているうちに、どうすべきか対策を考えようとあせっていた。


 持っていたスマホで電話をしようとしたが、人間の言葉を喋ることができない。


《メールなら打てるわ!咲にメールを入れてみよう!》


 不三は咲のスマホにメールを送信した。


《不三からのメールだわ!不三も変身したって!》


 咲は、不三も変身したことをメモで傑に知らせた。


「不三さんも変身したらしいぞ!」


 傑が甲高い声を上げると、俊介は冷静に考えた。


《二人の共通点は何だ!そうか、ホルスのメンバーであることだ!雉間もホルスのメンバーだが、ホルスの追手から逃れるために、自分を除いて、メンバー全員を動物に変えたのかもしれない!》


 傑も俊介と同じ考えが口からほとばしり出た。


「二人の共通点は、ホルスのメンバーだ!」


「それがいったいどう関係するの?」


 都真子が、とうてい理解しがたい現象に面食らって、問いかけるような口調でたずねた。


「俊介!もう、都真子にも言うべきだ!隠しきれないぞ!」


「そうだな!都真子!信じられないかもしれないが、聞いてくれ!雉間が持って逃げたマンドレイクというのは、実はゴバという名前の魔法のパーツなんだよ。雉間は、おそらく逃げ延びるために、それを使って、追ってくるグループのメンバーを動物に変身させたんだ!」


「何を言ってるの?そんなバカなことってあるの!信じられないわ!」


 傑も、熱っぽく説得するような口調で言った。


「じゃ、現に咲さんを見てみろよ!」


 都真子は、無論、返答に困った。


 事実に勝るものはないのだ。


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