第24話 隠れ家の男女

「傑!俺だよ!快斗だよ!おれがわかる?」


「えっ!だれのこと?」


 男は、むしろ反対に、快斗の顔をじろじろ見て、いっそう、あっけにとられた表情になっている。


「うむ!いや、待て!なんか違うぞ!」


 慎太も、さも不思議そうに、男の全身をくまなくながめると、顔付きは、きわめてそっくりだが、それでいながら、どちらかといえば、背丈や体つきが異なることに気がついた。


「この人、杉浦さんっていうのよ!」


 俊介たちが、どういうわけか、しごく勘違いしていると感じた咲は、男の代わりに甲高い声で答えた。


「おどろいたな!本当に、傑にそっくりだ!」


 世の中には、あながち自分に似ている人間が三人はいるというが、まさしく予想を上まわるほど、傑によく似た顔だ。


 なによりかにより、俊介が話かけてみると、声の音色も違う上、決定的なのは出身地が九州だったのである。


「失礼しました。私たちは、友人を捜しているんですが、うっかり、あなたが、その友人と思い、まるで瓜二つに見えて、むやみと騒いでしまいました」


 俊介は、照れくさそうにあやまった。


 杉浦も、ことのほか状況が呑み込めて、要らぬ心配を口にした。


「とたんに、私も、仕事疲れで、知り合いを思い出せなくなってしまったのかと、心配になりましたよ。初対面ですよね。ほっとしましたよ。だったら、ご友人が見つかるといいですね。それじゃ、咲さん、野菜はここに置いときますね。作業があるので失礼します」


「いやあ、くどいようだけど、てっきり傑だと思ったよ。俺たちだって、広い世界には、自分に似ている人間がいるかもしれないな」


 慎太がしみじみとした口調で言った。


「こうなると、あとは、都真子の作業に期待するしかないな。それはそうと、咲さんは中東大と言ってましたが、ひょっとすると、羽衣不三さんをご存知?」


 俊介は、咲が、思いがけず、中東大の院生だということが気になって質問した。


「羽衣不三さん、ああ、名前なら聞いたことはあります。同じ考古学専攻ですが、その人とは、研究テーマが違うので、話したことはありませんね」


「ああ、あまりご存じないのですね。と言うのは、私たちは、羽衣さんから、傑の手掛かりを教えてもらって、こうしてエジプトにやって来たのです」


「まあ、そういうきっかけがあったんですね。私が発掘調査しているのは、ヌビア遺跡なんだけど、根本的にはエジプト文明の起源を探りたいと思ってます。ピラミッドやスフィンクスを考え出した発想が、どこから生まれたのか知りたいんです。難しいテーマだから、そう簡単にはいかないですけどね」


「素晴らしい研究テーマですね。文明のルーツを探求するなんてロマンがあるな。おまけに、名入さんも紹介してもらったんです」


「ああ、名入さんなら、レストランに野菜を届けてるので、知ってますよ」


「だめだわ!傑らしい人はいないわね!」


 都真子が名簿を見終えて、肩を落として、みんなに報告した。


 とどのつまり、傑の捜索は、どうやら振り出しに戻ってしまった。


「ほら、ジャイカの職員じゃないってことだね」


 アリも残念がった。


「他には、心当たりはないんですか?」


 咲が尋ねるので、俊介はクルーズ船でのあやふやな出来事だったが、口にして見た。


「ただ、確かなことはわからないんだけど、クルーズ船から見たファルーカの船頭が、妙にアジア人の顔付きをしていたんです。折しも、傑はヨットをやったことがあるので、ひょっとすると、ファルーカの仕事をしているんじゃないかと思って訪ねてみようと思ってます」


 慎太も思い出したことがあった。


「そう言えば、傑が自慢していたけど、家族で湘南の海に遊びに行ったとき、ヨットの操縦を習ったって言ってたな。さすが、皆川家だなと感心したよ」


「あの、ファルーカって、船頭はエジプトの人だけですか?」


 都真子が咲に尋ねた。


「ええ、ファルーカの船頭には、往々にしてヌビア人が多いと聞きますね。でも、そのくせ、私が乗った時はインド人だったわね。アリさんはファルーカへ観光客を案内してるから詳しいでしょ?」


「ファルーカの船頭はヌビア人が多いね。ほら、仕事さえちゃんとできれば外国人だって構わないさ。ファルーカの事務所に、いつも客を紹介してるよ。行ってみる?ほら、でも、明日は、外せない予約があるから、行けないな」


 咲は、明日なら、たまたま時間が取れることを理由に、俊介たちの手伝いを申し出た。


「私が行きましょうか?ついでに車も出しますよ?」


「それは、有難い。可能性は低いかもしれないけど、宜しくお願いします」


 調子のいい快斗は、咲の気が変わらないうちに、ぬけぬけと決定事項にもって行こうとしている。


《こうなったら、正直なところ、よっぽど細い糸のような手掛かりだって、たぐり寄せないとな。何よりも確かなのは、行動することだ》


 俊介は、そう心に決めて、咲の協力に感謝した。


「明日は、元はと言えば、アブシンベル神殿だけは見たいので、あらかじめ行く予定でいました。とうてい傑の捜索を忘れたわけではありませんが……」


「大丈夫だわ。みなさんが神殿から帰ってくる時間から出かけて行けば、ちょうどファルーカが戻って来る時間にぴったりだわ」


 咲もアブシンベル神殿の見学は、ぜひとも行くべきだと熱っぽい口調で勧めた。


「アスワンまで来て、くれぐれもアブシンベル神殿を見ないで帰るのは、まさしく画竜点睛を欠くってやつだわ。実際のところ、あの神殿は存続が危なかったのよ。ついでに言っておくけど、アブシンベル大神殿はアスワンハイダム建設のためにダムの底に沈む予定だったのよ。それにもかかわらず、ユネスコが尽力したおかげで、二百メートルほど離れた丘の上に寸分違わず移動されたというわけよ」


 快斗は、柄にもなく憤りをあらわにした。


「こともあろうに、そんな立派な文化遺産を、いとも簡単に湖底に沈めてしまおうと考えるなんて、そりゃ、ひどい話ですね」


「行って見るとわかるけど、ルクソール神殿と同様、ラムセス二世の風体は素晴らしい威厳と迫力よ。ファラオかくあるべしね。あれだけの遺跡を水底に沈めても仕方がないなんて論外な話よ」


 俊介は、話を聞きながらも、むしろ別の理由を考えていた。


《確かとは言えないが、おそらくゴバの存在を知っている人々が、悪人の手に渡らないようにゴバを消滅させようと、有無を言わせず、神殿をダムの底に沈めてしまおうとしたかもしれないのだ。それでなくとも、ゴバの力は危険視された可能性があるのではないかな》


「何より肝心な点はね、至聖所に四体の石像が祀られていて、ここでのラムセス二世はスフィンクスや多くの神々とともにあるエジプトのファラオではなく、神々と同じ地位に上がったファラオになっているのよ」


 すると、やにわに俊介は神々の名前を呼称した。


「冥界神プタハ、ホルアクティ神、アメンラー神そしてラムセス二世像ですよね。それに、おどろくことに、この暗闇にある至聖所には、年に二回、十月と二月に、太陽の光が差し込み、石像を照らすように設計されているんですよね」


「まあ、よくご存じね」


「こいつ、小さい頃からエジプトオタクなんですよ」


 快斗が、十分承知しているように、もったいぶって言った。


「私も見る機会があったけど、あたかも、そんな奥まった所に、日が射すなんて、そりゃすごいわよ」


 まさにその通り、俊介も、畏敬の念を禁じえず、いつか光が射すところに足を踏み入れたいと思った。


《ゴバが生まれた時は、日光ではなく落雷だったのだから、二月より十月のことだろうな。そもそも目に見えない何かが、まぎれもなくその場所にゴバを誕生させたのだ》


 話がしまいまで済むと、アリが俊介たちをホテルまで送ることを申し出た。


「明日は、見学が終わったら、ほら、寄ってください。席は他にも空いてますから」


 俊介たちは、咲に礼を言うと、アリの運転でファームをあとにした。


「やっと、帰ったな」


 車が見えなくなると、建物の二階から、二人の男と一人の女が、しびれを切らして下りて来た。


 こともあろうに、男は雉間教授と名入浩二、女は羽衣不三だった。



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