第25話 アスワンの夕陽の中で
四人は、ゴバを狙う危険な組織であるホルスの、数少ない日本人のメンバーだったのだ。
「いつまでも、このファームの二階を隠れ家にしているわけにはいかないわ。早く、ゴバを手に入れる計画を急がないと、ここに潜伏してるのもばれるわよ」
咲は、先ほどとは打って変わり、別人になって急き立てた。
元はと言えば、事の発端は半年前、雉間教授がホルスを裏切って、ゴバの動向を感知することができるラムリアという不思議な植物を、こともあろうに、アスワン支部から盗んで逃げるという事件から始まった。
何しろ、ホルスが栽培するラムリアは、ゴバの位置を知るための、とりわけ貴重な植物であり、そこへもってきて、たった一鉢であれ、盗まれて放って置くことは許されないのだ。
不三と名入は、ただちに雉間を捕まえて、ラムリアを取り戻すように、ホルスから固く命じられたが、むしろそれよりも、教授がゴバを手に入れる可能性を打算するようになって、咲も道づれして、三人でホルスを裏切って教授をかくまうことにしたのだ。
「昨日も、アスワン支部からラムリアの発見はまだかって、催促の連絡が入ったわ。ラムリアの盗難が、いずれ、ホルスの本部にばれたら、きわめてまずいことになるぞって言われたわ」
不三も、ホルスの組織力と恐ろしさは分かっており、ここで捕まったら、正直なところ、自分の命も危険であることを心配していたのだ。
「ちくしょう!エジプト各地に散らばっているホルスのメンバーに発見されるのは、どっちみち、時間の問題に決まってる」
名入は、そう言いながらも、雉間との関係は深く、雉間の日本での不正に関わっていたり、奇材教授の殺害に手を下したりして、雉間からかなり甘い汁を吸っていたものの、実際は、その指示に従いながら、しまいにはゴバを自分のものにしたいと思っているのだ。
不三はなぜか、ことさらに俊介たちの動向が気になっていた。
「香原木俊介という警察官が、行方不明の友人を捜したいと、私を訪ねて来たから、ついでに話を聞くと、ゴバを知っていたというのが腑に落ちないのよ」
「おれも、香原木といっしょに三色という警察官が来るって聞いて、とうの昔、おれが、しでかした事件の相手が、あたかも三色牧三と香原木ゆいだったんだ。つぶさに調べてみると、そいつらの娘と弟であることがわかって、おどろいたぜ」
「ふん、身から出た錆ね」
不三は冷たく言い放った。
「まあ、そう言うなよ。だとすると、アスワンに来るのは、おれを捕まえに来るかもしれねえんだ。顔を合わせるのはまっぴらごめんだ。だから、ハッサンに襲わせたり、コブラを放ったりしたが、失敗しやがってな。とにかく、会うのだけは避けるため、何も知らないアリに任せたというわけだ」
雉間が口を挟んだ。
「ああ、香原木なら、おれも知ってる。死んだ教授の弟子だ。そいつらは友人探しの名目で、本当のところ、ゴバを探しているかもしれないな」
「その可能性はあるわね。面倒なことになる前に、傑って子を見つけ出して、さっさと、追い払わないとね。咲!あいつらの行動を、くれぐれも監視して、けっして目を離さないようにね」
咲に念を押した。
最後に、雉間教授は、偉そうな口調で実行計画をぶった。
「ラムリアの蕾が、明日には開くから、もうじきゴバが神殿に戻って来るぞ。さしあたり、俺と不三は、昼間に神殿に潜入し、夜を待ってゴバを手に入れる。名入は、一足先にカイロで待って、アレクサンドリアから船で逃げる手筈を整えろ。咲は俊介たちと行動し、様子を見張るんだ」
「いよいよ、ゴバのお出ましか?どんな代物か、拝んでみたいもんだ」
こうして、ゴバの虜になった四人は、その威力に呑み込まれていくのである。
翌日、アブシンベル神殿に向かった俊介たちは、アスワンからバスで約三時間かけて、延々と続く砂漠地帯を走り、ヌビア遺跡にある、大小二つの神殿に到着した。
大神殿の入口には、ラムセス二世の座像が鎮座していたが、おどろいたことに、ラムセス二世の若い頃から壮年までの姿を、四体の石像で表しており、足元には、母や妻のネフェルタリ、息子、娘のちっぽけな石像が張り付くように立っていた。
快斗は、ルクソールにひけをとらない石像を見て、熱っぽい口調で言った。
「こりゃ、この神殿が、水没しかけたなんて、信じられないな。こうして見ると、おれは、どちらかといえば、ルクソール神殿のラムセス二世像より、水没を免れたこの神殿のラムセス像の方が、好きだな」
「快斗!おまえ、いつ、ラムセス二世のファンになったの?」
慎太は、快斗がラムセス王を親友のように、喜色満面で言うのを笑った。
神殿の中に入ると、両側に各四体のラムセス二世像が並び、俊介は、とりわけ入口の壮大さに比べ、神殿内の静けさに違和感を覚えた。
「おい!ずいぶん大きな壁画があるぞ。戦いの場面だな」
「ああ、この壁に彫られているレリーフは、ラムセス二世がカディシュの戦いで異民族、ヒッタイトと戦う姿が彫られているんだ。それでいて、この奥には入口から六十メートルのところに至聖所と呼ばれて、いわゆる、この神殿の心臓部が置かれているよ」
「俊介が、神様の名前を、ずらずらと並べ立てていた場所ね」
都真子が、思い出して言うと、俊介は、祀られている神々を説明した。
「右から、ラーホルアクティと言って、ラーははやぶさの頭をもつ太陽神と鷹の頭をもつホルスと合体した神様だ。次はラムセス二世、そして、次のアテンラーはラーがアテン神として現れた神様、左端は、プタハと言って、闇を好む神として死の世界とのつながりがある神だ。だから、陽が射しこんでもプタハの顔には光が当たらないようになってるよ」
「プタハ神ね。そんな神様もいたんだ」
「ラムセス二世が、至聖所で三人の神様と同列で並んでいるは、王が神様の地位に自分を高めたんだな。人間、誰しも最上位の位になると、その上は神様だからね」
大神殿を見学したあとは、北側にあるラムセス二世、最愛の王妃、ネフェルタリイのために建てたアブシンベル小神殿を見学した。
正面には、またぞろ四体のラムセス二世像と、その間に挟まれて二体の王妃ネフェルタリイ像が立っている。
都真子は、ルクソールのツタンカーメンの夫妻像を思い出した。
「まあ、好きな相手と一緒に、永遠に石像を刻むなんて古代の王様も、ロマンティックね。日本では、そんな古代の芸術品を見たことないわね」
俊介はしみじみした口調で言い添えた。
「ただ、ネフェルタリイは美女の誉れ高き女性だが、残念ながらラムセス二世より先に死去しているよ。王はくれぐれも落胆したに違いないだろうな」
神殿の中に入ると列柱や壁画もあるが、都真子は、女性神の姿が気になった。
「巻き毛の女性の顔があるわね」
「これは牛の耳をもつハトホル神だ。ホルスの母だね。愛と美の女神であり、死者を導き諭すとも言われているよ」
「母親のような神様ね」
こうして、都真子を除く三人は、ゴバの誕生した大神殿に足を運んだことで、まぎれもないゴバへの感謝と尊崇の気持ちを懐いた。
四人は、見学を済ませバスに乗ると、咲と待ち合わせをしたアスワンのバス乗り場にまっしぐらに向かった。
そこへは、咲が先に着いて、束の間、待っていてくれた。
「昨日は、ありがとうございました」
全員が、咲にいんぎんに挨拶し、そそくさと車に乗りこむと、賑わうアスワンの街並みを抜け、ナイル川に面したファルーカの船着場にある事務所で降りた。
「眺めのいい所だな。ここからも、ファルーカがよく見えるぞ。この前のアジア人らしき船頭に上手く遭遇できないかな」
慎太は、やにわに、片っ端から目に入るファルーカを観察した。
事務所に入ると、まるきり事務員なのか、責任者なのか、一目ではわからない中年の男が椅子に座っていた。
「何人ですか?」
俊介たちを、あたかも観光客と勘違いして、人数や希望の時間を質問してきたので、察した咲は、自分たちはファルーカの客ではないことを説明した。
「アリさんの紹介で来たんだけど、ファルーカの船頭に日本人はいる?」
アリの名前が出ると、とたんに男はにっこりして、親切に咲の質問に答えてくれた。
「日本人の船頭?アジア人なら一人いるよ」
男は、日本人と言われても、中国人なのか、東南アジアの人なのか、からきし区別がつかぬ様子だった。
「名前は、何て言うの?」
「ミナガワスグルです」
男は、しわくちゃな勤務表を取り出して、記された名前に目を通した。
「アジア人なら名前はカイだよ。もう戻る頃だ。船着場は向こうだから行ってみて」
「えっ!カイ?なんか俺の名前に似ているな。まさか、傑が俺の名前の一部を使ったわけじゃないだろうな」
快斗は、いくぶん、いぶかし気にそう思った。
「船着場に戻って来るそうよ。さっそく行ってみましょう!」
咲が男に礼を言って、事務所から続く船着場に向かった。
ちょうど、慎太は、正面に、ナイル川に夕陽が沈みかけ、水面がオレンジ色に焼けているのを見た。
「なあ、快斗、この美しく、心が洗われるような一瞬は、ファルーカの船頭にとっても稼ぎ時だろうな」
「それはきっとね。慎太の汚れた心が、エジプトに来て、浄化されたってことだよ」
快斗は、慎太に冗談をとばしながらも、アフリカの大自然に自らの心が洗われているように感じていた。
しばらくして夕陽が沈むと、ファルーカは一艘また一艘と、戻って来たので、五人は、誰一人見落とさないように、できる限り船に近寄っては、船頭の顔をのぞき込んだが、ことごとく傑に似た船頭は発見できない。
やがて、遠くから戻って来る、一艘のファルーカを見て、慎太が言った。
「おっ!ひょっとすると……」
俊介と慎太は、船頭の顔を見ようと、足早に、そのファルーカに近づいた。
ファルーカは岸壁に接岸すると、船頭は客を降ろし、いつもしているように、何食わぬ顔で帆をたたみ始めた。
船頭は、近寄ってきた人影とごく自然に、目を合わせた。
「あっ!」
船頭は、とたんに、顔を強ばらせた。
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