第5話 少年たちの夢
《さあ、まだまだ、余裕で加速できるぞ!》
先頭を走っていた佑大は、おどろいて横へ並んだ俊介を見るやいなや、風のように追い抜かれ、気がつくと俊介の背中しか見えない。
《今日の俊介は、恐ろしく速い!ああ、とても追いつけない!》
「あの子、いつの間に、あれほど足が速くなったのかしら」
誰よりも驚いたのは、運動会を見に来た姉の活子や母親の芳子で、とにかく目を丸くして、走る俊介の姿に釘付けになった。
「パンッ!」
ゴールのピストルの音が鳴ると、俊介はダントツ一位でテープを切ったのだ。
俊介は、その瞬間、心の中で叫んだ。
《本当に一位になったぞ!ゴバは本物だったんだ!》
「おい、よくやったな、俊介!」
担任の山本先生が飛ぶように走ってきて俊介を誉めた。
「うそー!すごいぞ!俊介!学年でいちばん速い佑大に勝つなんて!」
クラスの誰もが、俊介が一位になったことを喜んで熱狂的な叫びを上げている。
それどころか、そのあとに行われたクラス対抗リレーでも、本来は補欠だった俊介は、急きょ代表に抜てきされて、こともあろうにアンカーを務めてみごとにクラスを優勝させてしまったのである。
そんなわけで、俊介はいちやく運動会の英雄になった。
とは言うものの、俊介の心が感じていたのは、願いが叶った喜びとは反対に、心ならずもゴバの不思議な力への怖さにほかならなかった。
それに加えて、家に隠してきたゴバが気になって仕方がない。
《ゴバの力はなんとすごいことか?ひょっとすると、タイコウチが早めにやって来ていないだろうか?いやいや、それは水に漬けてあるから大丈夫だろう。さもなければゴバを狙う大人たちがやって来て盗んでしまわないだろうか?》
気が気でない俊介は、運動会が終わると、とりもなおさず一目散に家に帰り、押し入れの奥のゴバの入った水槽に手を入れて、ゴバのゴツゴツした表面におそるおそる触れてみると、微妙に発熱している。
《ああ、ちゃんとあってよかった!でも、まるで生き物みたいだ》
本当のところ、俊介にはもう一つ叶えたい願いがあったのだ。
それと言うのも、かねてから、からきし勉強が苦手な俊介は、何よりも勉強を得意にしたかったのである。
とりわけ算数が嫌いで、もっぱら算数の時間は、ほとほと恐怖の時間になっていた。
《ああ、当てられたらいつも答えられない。みんなの前で、何度、恥をかいたことか!そうは言っても、いつまでもゴバを手元に置いておくわけにはいかないから、この願いを叶えたら、どんなことがあってもゴバを返そう》
『勉強が得意になりますように』
やにわにメモ用紙に書くと、しげしげとゴバに入れた。
《ええと、つぎに算数の授業があるのは、あさってだ。どのみち算数の授業には間に合うな。その日の朝には、ゴバを水槽から出して登校しないとな。あとは、もっといい隠し場所はないかな?よりによってゴバを母さんや姉ちゃんに見つかったら大変なことになるからな》
思いついたように押し入れの中によじ登った俊介は、ずるずると天井板をずらし、水槽の入った段ボール箱を持ち上げて真っ暗な天井裏に置き、天井板をしまいまで閉じると、これで捜す者はいないだろうと安心した。
《ゴバをちゃんと返すまで、何があるかわからないからな。だとしたら、あと一日は遊びに行くどころか、家にいてゴバを見張っていることが何より肝心なことだ》
こうして俊介は、かたくなに一日中、部屋にこもったが、それを母親が見つけて、さすがにおかしいと思ったにもかかわらず、あえて何も言わなかったのは、いつもは遊びまわっている俊介に、ずんずん遊びに行けとも言えずにそのままにしていたのかもしれない。
というわけで、何はともあれ何事もなく一日が過ぎ、週が明けた。
いくぶんいつもより早く起きた俊介は、ゴバを水槽からスポーツバッグに移し替えてから家を出たが、ここまでも誰も気づいてはいないようであった。
さて、運動会の興奮が冷めやらない俊介のクラスでは、ちょうど二時間、算数の授業が始まると、山本先生から座席順の指名で真っ先に当たった俊介が、問題を解くために黒板の前に立っていた。
先週の運動会のヒーローも、いわば算数の時間になると、もとの冴えない劣等生に転落する姿を、誰もが想像してしていたにもかかわらず、おどろいたことにまさに奇跡が起きたのだ。
俊介は、黒板の算数の問題に目を通すと、どういうわけか、ちょっと見ただけで問題の解き方が頭の中に浮かんだのである。
俊介は、我ながらびっくりしたが、にんまりとほほ笑んだ。
《ふむふむ、解き方がよく解るぞ。ふん、こんな簡単な問題、誰にでも分かるのに》
俊介が黒板に書かれた問題の計算式をすらすらと解いて、最後に答えを書いて席に戻ったのを見て、文字通りクラス全員があっけにとられてしまったのだ。
「ずばり正解だ!俊介!よく勉強してるな!」
かねがね、簡単な問題をやらせてもできない俊介が、がらりと一変して、ただちに問題を解いたのを見た山本先生は、とび上がるほどうれしくなって俊介をほめた。
そこへもってきて、となりの席の三色都真子の目にも、ほかならぬ俊介の変身ぶりが信じられぬくらいに不思議な姿に映っている。
「俊くん、最近、何でもできるね」
俊介は、心ひそかに好意をもつ都真子にほめられてどぎまぎして顔を真っ赤にした。
一方なによりかにより、全く予期せぬ俊介の変わり様を見た俊介の友人たちは、確かなことはわからないにしても、何かしら秘密めいたことがあるのではないかと俊介をしきりに疑いの目で見始めていたのだった。
「だってさ、俊介のやつ!とたんに何でもできるようになるなんて…。それでなくたって、なんか怪しくないか?どっちみち、俊介の様子を偵察してみれば理由が分かるかもしれないぞ。ひとつ、俊介の家に遊びに行ってみよう」
あくまでも怪しむ快斗は、慎太や傑をけしかけて、その日の放課後、強引に俊介の家に押しかける計画を立てたのだ。
「なあ、俊介!学校が終わったら、お前の家で遊べないか?」
「でも…。あまり遅い時間までは無理だけど…。まあ…いいか。新しいゲームもあるから」
「よし、家にカバンを置いてから、俊介の家に集合だ!」
と言うわけで、快斗、慎太、傑の三人は、思い思いにゲーム機を持って俊介の部屋に集まると、やにわに俊介の部屋の隅々まで、しげしげと見回したが、とくだん怪しいものは見当たらない。
業を煮やした快斗は、ストレートに俊介に質問した。
「あのさ、俊介はとたんに何でもできるようになっただろ?まさか、魔法かなんかができるのか?」
だしぬけに質問された俊介は、思いがけずゴバのことを言うか言わないか迷ったが、何より肝心なことに、三人をゴバの世界に巻き込んでしまい、万が一恐ろしいことになったら取り返しがつかないと考えた。
「ああ…来年は中学生だから勉強を始めたんだ。それに…運動会だって、走る練習をさんざんやったんだよ」
何しろ快斗は、できることなら魔法か何かの不思議な力の発表を期待したものの、心ならずも望んだ答えが返らずにいささかがっかりして言った。
「いやあ、魔法が使えるようになったんじゃないのか、期待したのにな。だってさ、もし使えるなら、俺にもサッカーが上手くなるように魔法を使ってほしかったんだよ。なぜって、俺は、絶対にレギュラーになりたいんだ」
「俺も野球が誰よりも上手くなりたいんだ」
慎太も目をきらきらさせて熱っぽい口調で喋っている。
「俺は母さんの病気を治して欲しい」
傑もまさしく本心から母親の健康を心配している。
三人が、けっして悪びれることなく、真っ向から本心を語り始めるのを聞いて俊介は思った。
《当然のことながら、誰もが世界征服や悪事を考えることはないんだな。してみれば、今夜にはゴバは無くなってしまうことを考えると、それならいっそ、ここにいる友だちの願いは叶えてあげてもいいのではないかな?》
俊介は、とりもなおさず、きっぱりと真実を喋る決心をしたのだった。
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