第12話 十年前の事件の男

 そのとき都真子は、見るからに重そうなカバンを背中にしょって、蛇行運転をしながらバイクで走る鹿川を車で追跡していた。


 鹿川は、人通りの少ない煙町に入ってバイクを止めると、辺りを見回しながら、とある古びたアパートに入って行った。


「あのアパートに火を付けるつもりね」


 鹿川が迷いなくアパートに入る姿を見て都真子は直感した。


「ガソリンの入ったペットボトルを出した瞬間にいち早く捕まえるのよ。間違っても火を付けさせたら駄目よ!」


 都真子たちは、鹿川がペットボトルを出すのを今か、今かと待っていた。


「ボトルを出したわ!今よ!」


 都真子の合図でいっせいに鹿川に飛びかかった。


「鹿川伸夫!放火容疑で逮捕する!」


「え!なんでわかったんだ……」


 鹿川は予期せぬ事態に肝をつぶして素っ頓狂な声をあげた。


 あたふたと逃げようとした鹿川は、予想通り、ペットボトルを都真子たちに投げつけようとしたが、もう一人の刑事、遠山が警棒で、ボトルを叩き落したまではよかったが、ふと見ると落ちたボトルからガソリンが漏れ出ている。


 鹿川は、とっさにボトルに向かってライターを放り投げようとした。


「引火させたら駄目よ!」


 遠山はそばにあったポリバケツをおもいきり鹿川に投げつけると、手元に当たってライターがはじけ飛んだ。


「ち!ライターが……」


 それでも、バイクへ飛び乗って逃げようとしたところへ、追いかけた都真子が、やにわに鹿川の足を払って転ばすと、後ろ手にして手錠をかけた。


「都真子さん!お見事!」


 ぶざまに拘束された鹿川を見て、たちどころに取り押さえた都真子の動きっぷりに、新米刑事の遠山はいたく感心した。


 署でも、放火事件の解決はいちやく伝えられたが、都真子は今になっても、あのとき、ガソリンに引火したらと思うと身ぶるいし、肝を冷やした。


 いずれにせよ、口が裂けてもTS1のことを口にすることはできないから、報告書には写真に写った野次馬を丹念に追ったことがそもそも犯人逮捕につながったと心ならずも書いて提出するしかなかった。


 こうして手間取っていた放火事件が、おどろいたことに、すっかり解決したことで、特筆すべきTS1の力にまぎれもない真実を感じた都真子は、矢も楯もたまらずに、かねてから記憶にまつわりついて離れない父親の事件の捜査を俊介に頼み込んだ。


「実は、ぜひともTS1の力を借りたいことがもう一つあるのよ」


「ああ、わかってるよ。親父さんの事件のことだろう?おれの姉ちゃんのほかならぬ恩人だからな。どんなことがあっても全面的に協力するよ。何よりも善は急げだ。できるだけ早く調査に向かおう」


 そんなわけで、俊介と都真子は、あたかも十年前、都真子の父親と俊介の姉のゆいの二人が、とうてい許すことのできない轢き逃げにあった現場に、まるでタイムスリップするかのように足を運んだ。


 永いこと行くことのなかった事件現場は、これまで通り、人通りの少ないどこにでもある公園の脇道で、かつて二人が通った小学校からはさほど離れておらず、今となっても小学生の通学路になっている。


「まさしく公園の角を曲がってすぐだから、この辺りがちょうど現場ね。それでなくとも、公園が死角になって犯人の車には気づきにくかったのよ。おそらく、ふいに公園の角を曲がって現れて、たちまち力任せにスピードを上げたから、ろくすっぽよけきれずに跳ねられたのよ」


 おどろいたことに、都真子の頭の中には、微細にわたって調べ上げられた事故の状況がつぶさに収まっていた。


「おお!公園にはTS1が使える木がいくらでもあるようだ。だが、よりによって、事故現場にそった場所には思いのほかハナミズキが多いな。ことによると桜よりは、いくぶん画像が悪いかもしれないが、とりわけ元気が良さそうな木を選ぼう。十年前の九月二十日だったよな」


 俊介は、慣れた手つきでハナミズキにTS1を取り付けると、そそくさと時間を設定してメインスイッチを入れると、都真子も近寄ってモニターを見つめた。


 モニターには、せいぜい数秒もたたぬうちに、恐ろしい音を上げて正面衝突する二台の車が映った。


 おまけに顔を血に染めたスーツを着た男が運転席から転がり出て、苦しげな目つきをしたまま道路に座りこむ姿が映った。


「きゃっ!」


 都真子もおどろいて甲高い声を上げた。


「いやだわ、いつも何やらぎょっとする映像が映るんだもの。もっとましなスタートにならないのかしら」


「ははあ、ことによると、ここは交通事故がひんぱんに起きる道路なのか……それにしても、黙って立っているだけの木だって、目の前で、こんな事故があれば耐えがたいに決まってるよ。木だって、いっこうに人間と同じく、しょせん感情をもった生命体なんだから」


「ほら!見て!父とゆいさんが倒れているわ!」


 今となって、ふいに映像が切り替わった。


 モニターはとたんに設定した時間の記憶を映し出したのだ。


「おっ!これは、車にはねられたあとの映像だ!時間を戻そう!」


 微調整のできるようになったTS1の時間軸をわずかに過去に戻すと、そのあと

に、いまいましい出来事がおきるとは夢にも知らずに平然と歩くゆいの姿が映った。


「姉ちゃんだ!」


 俊介は姉のゆいに目が行った。


「男があとから来るわ!」


 ゆいのうしろから怪しげな男が公園の角を曲がって映像に現れると、都真子が叫んだ。


「うっ!」


 とたんにゆいは口を押えられ、羽交い絞めにされた。


 ゆいは、おどろいたが、声も上げられない。


「おとなしくしろ!」


 男も押し殺した声を出した。


 それでも、ゆいは必死に振りほどこうと抵抗してもがいている。


「お父さんだわ!」


 牧三が、公園の木々の合間から、すさまじい剣幕で現れたのだ。


 おそらく、公園の中を歩いていて異変に気がついたのだろう、と都真子は直感した。


「何やってる!」


 牧三は、持ち前の腕力で男を引き離し、力まかせに殴りつけた。


 男はすっ飛び、道路にぶざまな格好でひっくり返った。


 男も、どこからともなく現れた牧三におどろいている様子に見える。


「ふざけるな!」


 男は、声を荒げて跳ね起き、牧三に殴りかかった。


「まだ、やるのか!」


 牧三は、男が振り回した腕をつかんで、むしろ反対に、ひねって投げ飛ばした。


「うおっ!」


 男は、背中から落ち、顔をゆがめた。


 男は、牧三を怒りに満ちた目でにらむと、一気に走って逃げた。


「この男が犯人ね。顔は覚えたわ」


 都真子は真正面から男の顔を見て言った。


「大丈夫?怪我はない?」


 牧三はゆいに声をかけた。


「ありがとうございます」


 ゆいは何度も頭を下げている。


 牧三は、千切れたのだろうか、道路に落ちたボタンを拾ってポケットに入れた。


「家はどこ?また来るといけないから家まで送ろう。あとで警察に行くんだよ」


 牧三はそう言って、二人で歩き出した。


「このあとだからね……」


 都真子はけわしい表情になった。


「車が来たわ!二人とも気づいてないわ…」


 都真子はモニターに釘付けになった。


 車はたちまちスピードを上げて二人を跳ね飛ばした。


 牧三はゆいを庇うように背を車に向けたため、まともに跳ねられたのは牧三だった。


「見た?一部しか分からなかったナンバーが、はっきりと全部映っていたわ!」


 都真子はすぐ気がついて、俊介に言った。


 二人は気を失ったのか、倒れたまま動かない。


 ようやく、自転車で近づいてきた主婦が、おどろいて電話をしている姿が映ったから、救急車を呼んだのだろう。


「車が戻ってくる様子はないわね。二人の様子など気にせず、すぐ逃げたのね。なんて、卑劣な奴!」


 ほどなく救急車が到着して、二人は運ばれていった。


 俊介も興奮して映像を見た。


「一部始終を見たぞ!ナンバーから車の持ち主を見つけるんだ!仮に借りた車だって、犯人の顔が分かるから、犯人は、絶対わかるはずだ!」


 二人は、一目散に署に戻り、車の持ち主を調べた。


「見つけたわ!」都真子が声を上げた。


「持ち主の名前は名入孝雄よ。現在は五十五歳ね。おそらく犯行当時は、それでも四十五歳だから、どのみち映像の男じゃ無いわね」


「それじゃ、家族か、知人だな」


「住所はコスモ団地の五丁目だけど、今も住んでいるかどうか?行ってみましょう」


 コスモ団地――通称、蝙蝠団地は、三十年前、完成した頃は、活気があったが、今では高齢化し古ぼけた団地となってさびれていた。


「あったわ!この家よ」


 都真子が、車の助手席から家を探し当てると、薄汚れたブロック塀のあちこちから木々の枝が道路に飛び出し、いっこうに手入れの行き届いていない木造の家が目に入った。


 誰が出て来るのか、ひょっとすると映像の男が出て来る可能性も考えて、いくぶん緊張気味に玄関チャイムを鳴らした。


「どなた…」年老いた婦人の声が聞こえた。


 俊介が、先に言葉をかけた。


「名入さんのお宅ですか?」


「そうですが」


「横州警察のものですが、お話ししたいことがあってきました」


 玄関ドアを開けると小柄な老婦人が立っていた。


「あの、名入孝雄さんのお宅はこちらですか?」


「ええ、でも、孝雄なら三年前に病気で他界しました」


「そうですか、それはご愁傷さまです。じゃ、ご家族は?」


「ええ、息子が一人いますが、今は仕事で外国におります」


「ほう、どちらの国?」


「いえ、連絡もよこさないので、どこの国かはよく知りません。浩二に何かあったのですか?」


「いや、過去におきた事件の参考に聞きたいことがあったのですが…」


「なにしろ浩二は船が好きでね、船の仕事をしたいと言って外国に行ったんです。だから、船で外国のいろいろなところに行っているようですよ」


 俊介に代わって、都真子が質問を始めた。


「そうですか、失礼ですが、お母さまは?」


「それが、浩二が幼い頃、離婚して出て行ってしまいましてね」


「じゃ、今はお婆さま、お一人?お寂しいですね」


「ところで、息子さんの浩二さんの写真ってありますか?」


「待ってください。今、持ってきますから」


 俊介は、さりげなく都真子に諭した。


「なにせ正式な容疑者でもないのに、ことのほか深入りは出来ないからな」


「わかってるわ。どのみち写真だけよ」


 祖母は父親と一緒に写った成人した息子の写真を持ってきた。


 写真を見たとたん、都真子も俊介も顔を見合わせた。


《なんと!この顔だ!モニターに映っていた男だ!》


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