第9話 年輪刑事への道
「いったい、いつからそんなことを考え始めたの?」
都真子は、俊介のことを、これまで植物オタクではあっても、いたって常識的な人間であり、謎めいた研究などに、我を忘れて没頭するような性格はいささかも持ち合わせていないと思っていた。
それだけに、たった今、非常識とも思われる研究を続けていたことを知った都真子は、その研究の発想がどこから生じたのか、その理由を知りたいという気持ちになった。
俊介は、そういった質問を、十分承知していたように、しみじみした口調で喋り始めた。
「ああ、きっかけは二つあってね。そう、高校生の夏休みに仲の良かった砂越(さご)啓一という男が自殺をしたことは、おそらく話したかもしれないけど、まあ、部活も同じテニス部で、昼飯もいつも一緒に食べるような仲だったよ。もっぱらサゴッチって呼んでいたんだけどね」
「そういえば、聞いたことがあるわ」
「もともと、サゴッチは理屈っぽくて気難しい性格だったから、受験が始まった頃から、ぶつぶつと独り言を言いながら、廊下を哲学者のように歩いたり、歴史の授業じゃ、歴史上の出来事を否定したりして、学校を休みがちになったんだが、けっして家に閉じこもるわけではなく、ふらふらと外出して通りすがりの車に向かってふいにわけの分からないことを叫んだりするようになってさ。あげくの果てに、学校の近くの雑木林で首を吊っているのを発見されたんだ。」
「わたしも追いかけられたことがあって、すぐ逃げたわよ」
「それで、俺は、サゴッチが自死を選んだその場所に、おずおずと花を手向けに行ったとき、サゴッチが紐をかけた弱々しい楢の木を見たよ。さしあたって、その木の根本に白い百合の花を供えて黙とうしたあと、帰ろうとして、ひょいとうしろを振り向いたときに、そこには堂々とした欅の大木がそびえ立っていたのに気がついたのさ。だってさ、おそらくサゴッチの心はその立派な欅の木と比べて、楢の木にも満たないくらいに、生きるエネルギーを失っていたに違いないんだ。かわいそうなサゴッチと思ったよ」
「そう、どんな気持ちだったんだろうね…」
「まあ、そのとき思ったのさ。その欅の木はサゴッチが、死のうとやって来たところから、死ぬまでの一部始終を、すべて見ているはずだから、かりに、その欅の木が、見たものを語る能力があるとするならば、サゴッチの最期の様子が分かるのにと思ったんだ」
「そうね、その欅の木は生きているサゴッチさんの最後の目撃者ね」
「実は、ふしぎなことなんだけど、欅の木を見た瞬間、どういうわけか頭の中にピリッピリッとした痺れを感じて、青い光になったサゴッチの粒が広がったのを、まるで映像のように見たんだ。その光の由来を考えたときに、欅の木だって生きているのだから、目の前で若者の死を見て悲しいと感じて、幹の中にその悲しみを記憶して、同じ気持ちになった俺に放射したんではないかと思ったよ。その時の感覚は俺の中に消えずに残って、二度と忘れることができなくなったんだな」
思いがけず都真子は、俊介にもそんな不可思議な体験があったことを知った。
俊介は、しばしもう一つの理由を話した。
「でさ、植物の不思議さを体験した俺は、基礎的な植物研究を土台にしながら、人間と植物の不思議な関係を解明したいという理由で東央大学を選んだのだが、なんとその大学には、俺が考えていたことをすでに研究していた奇材五郎先生がいたんだよ。まぎれもなく先生も、人が持つ五感や記憶能力が植物にもあることを証明しようと研究していたんだ。」
「へえ、同じことを考える人がいるんだね」
「おどろいたことに、自分と同じことを考えている人間がいることを知って、たちまちその先生に師事したよ。やがて植物の記憶能力について研究を続けていくうちに、不思議なことに、植物は、人間が発する言語活動や音楽的刺激に即座に反応するのでなく、いったん受容してから反応していることに気づいたんだ」
「いったん、ためておく場所があるってこと?」
「そうだね。だって、反応するってことは、瞬間に近い時間でも、その刺激が何なのかって理解する段階が必要だろ、それが、人が有している心や脳に似た働きなんだ。人は、目で見た映像を脳内の海馬という領域で、ニューロン同士を結びつけてシナプスを形成して、記憶として蓄積しているから、その蓄積した映像を記憶として再現したり、睡眠中の夢のように映像として出現させては喜んだり苦しんだりしているじゃないか」
「なんとなく聞いたことがあるわね」
「言わば、人の脳は電気信号を使って情報の伝達を行っているんだけど、そこには化学物質が関与しているんだけどね。まあ、植物にも人と似たようなしくみがあって、植物が見たもの聞いたものを、もっぱら年輪を形成するようなセルロースやリグニンといった物質に変換して体内に保存しているんだよ。まさしく先生がすごいのは、そういった物質にアプローチをかけて、植物に焼き付けられた記憶を、言うなれば映像や音声として、取り出そうと考えたところなんだ」
まるで学生時代に戻って講義を聞いているようだ。
「それじゃ、そういった物質が植物の記憶の貯蔵場所なのね?」
「ああ、そこで人間の神経のような極細の針を用意して、植物の年輪に刺し、金属が受け取るごくわずかな振動を映像や音声に変換することはできないか実験したんだよ」
「すこし原始的な感じの方法ね」
「たしかにそうだったよ。金属の種類を変えながら実験を繰り返すと、たいていの場合、木質が固い木では、細密な金属ではとても歯が立たないどころか、ついでに金属が年輪に傷をつけてしまって、せっかく保存されている繊細な記憶データを破壊してしまうおそれが心配されてね」
「だったら、何か違う方法があったの?」
「まあ、光波や音波、電磁波、放射線など目に見えない波力に変えたんだ。それなら木質を傷つけることなく年輪に放射することができる上、波力を強めることで狙った年輪を探り当てる深さを調整できることが可能になると考えて、何百回も実験を繰り返したのさ」
俊介がこうした話をするのは、間違いなく研究成果に自信があるからだと都真子は感じた。
《どちらかと言えば、ほかの誰かなら、からきし信じる人はいないどころか、眉をひそめて荒唐無稽なことを語る狂人と疑われてもおかしくない内容だわね。それだけに、とりわけ本人も話したがらなかったわけか》
「すごいわ、実験するって、ざっと成功より失敗の方がはるかに多いって聞くけど、そんなに失敗したら私だったら駄目だわね」
《いつの場合も、諦めない気持ちを持ち続けることって、ゆくゆくは成功につながっていくにのよね。自分も仕事に向けてそういう気持ちを持たないと駄目だわ》
俊介は、本当のところ、自身を振り返ると、研究の大きな後ろ盾になってくれたのは死んだサゴッチだと言った。
「くどいようだが、失敗しても失敗しても、挑戦する気持ちを、とくだん失うことがなかったのは、とりもなおさずサゴッチの生命に、もう一度触れたいという一心だったように思うよ」
「そう考えると、くれぐれも友だちって大事だわね」
「そうして、まさしく千回目の実験となる頃、ついにその日がやって来たんだ。幾つかの木の樹液から生成した琥珀のような透明物質を通して、特殊なマイクロ波と光波を組み合わせて照射してみたところ、不鮮明ながらもまぎれもない映像を映し出すことに成功したんだ」
「すごい!やったわね!」
「それで、ほかでもない最初の映像は、大学の裏側を通る旧街道の両側に、のっぽにそびえ立つ欅の大木に、たまたま機器を当てて取り出した映像なんだけどね」
「何が映ったのかしら?」
「なんと映像に、武士の戦闘が映し出されていたんだ。年輪の深度を考えると、おそらく戦国時代の頃で武士たちの威厳のある顔つきと緊張感のある戦いの様子が映っていたよ。まるでその時代にタイムスリップした感覚に襲われて、先生と一緒に、踊り上がって喜んで、まさしく天にも登る心持ちになったよ」
都真子は、俊介一人だけだったら、どうやら理解する者が誰もいなくて、さぞ孤独だっただろうけど、先生と二人だとしたなら嬉しかっただろうと思った。
「大発明じゃない!録画はしてあるの?」
「ああ、もちろん録画はしてあるけど、ただ、映像のレベルが、からきし不鮮明だったから、いっそう精度の高い映像を映し出すために、さらにもう一年かかったよ」
「そうなんだ」
「とにかく、映像は日を追うごとに鮮明になったよ。むしろこうなると欲が出てきて、年代や西暦、日付等を指定して映像を取り出したり、反対に、映像からその時代を割り出したりする機能が欲しくなったんだ。言うなれば、時間をコントロールして、欲しい映像を取り出す技術のことだね」
「そんなことが可能なの?」
「ああ、照射の強弱を調整できれば理論的には可能だけれども、何度実験しても、当たる時もあれば外れる時もあって、どうにもこうにも完成しなかったんだ。なにしろ、ある日の実験では、十年前の三月を指定して二十回ほどやり直すと、またしても二十年前の七月と出たから、とりわけこの時期設定機能がネックになったんだ。ところが、ここにいたって、思いがけず、とんでもない事件が起きたんだよ」
「とんでもない事件って?いったい、何それ?」
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