第10話 年輪刑事の誕生

「こともあろうに奇材先生がとつぜん亡くなったんだよ」


「えっ!」


「でも、おれに言わせると、全く予期せぬ、やりきれない死だった。何しろ先生が亡くなったのは、とうていあり得ないことに、自宅のベランダから、酒に酔って、うっかり足を滑らせて転落したとのことだった。くれぐれも誰かと争って落とされたような跡はなかったそうだから、警察もあくまでも転落事故として処理したんだ」


 俊介はとうてい承服できないとでも言いたげな口調だった。


「それはまた、そうとうな飲み方をしたのね」


「でも、おれには信じられなかった。どんなことがあっても、そんなぞんざいな死に方をする先生ではなかった。そこへもってきて、おれにはいくぶん気になったことがあったんだ。あの頃、先生は大学の評議員のメンバーの一人で、ちょうど同じ評議員の雉間京一教授とちょくちょく口論をしていたんだ。なぜなら雉間教授は、人間科学部の考古学専攻の教授で、呆れたことに考古学関係の予算を過大に要求して、先生も常軌を逸しているといって憤慨していたよ」


「往々にして、どんな職場にも、そういう人っていそうだわ」


「ただ、先生が亡くなる前日のことだけど、なにやら先生の部屋から電話の声が漏れて聞こえたんだけど、雉間がとんでもないことをしているから理事長とじきじきに話がしたいと言っていたんだ。当然、何のことかは、見当もつかなかったけどね。言うなれば、まさにその翌日の転落事故だろ」


「それは怪しいわね。雉間教授のとんでもないことっていうのが気になるわね。それって、警察にも話したの?」


「ああ、記憶にあったことは全部話したんだけど、結局のところ、とくだん不審な点は見当たらないとされて、どうにもこうにも、先生の事故死は確定したんだ。そんなわけで今となっても、あの時の先生の死は、雉間との間の何らかのトラブルが原因にあるように思えてならないんだ。それだけに、この技術がやっと完成したことで、ゆくゆくはきっと真相を暴いてみせると思っているよ」


 都真子は、おどろいたことに、俊介がそんないまわしい事件をしょいこんでいたとは、考えてもみなかった。


《だからだね、私たちの仲が、あまり進まないのは…こんなにも知らないことが多いなんて…》


 俊介は、もの思わし気な表情を口元に浮かべながら研究の話に戻った。


「当然のことながら、頼りにしていた先生が亡くなって、一人になってしまったから、すっかり研究はストップしてしまったよ。それでも、日を追うにつれて、どんなことがあっても先生の死を無駄にしてはならないと考えるようになって、ぜひとも時期設定機能を可能にして機器を完成させようと思ったのさ」


「そう、そうすることが、ひいてはその先生の恩に報いることだわね」


「それでさ、思いがけず、誤差が出る原因は、もしかすると木質の問題にあるかもしれないと閃いたんだ。そうと決まれば、さしあたり研究室に様々な種類の木の幹を集めたり、あるいは地方を訪ねて、もっぱらその土地にしかない木で実験したりしたんだ。ありがたいことに、その方法は的を得て、まさしく木質にあわせて照射量を調節すれば、ことさら誤差の幅を小さくできることがわかったのさ」


「つまり、何より肝心な点は、ずばり木に尋ねてみることだったのね」


「ああ、そういうことだ。おれは、矢も楯もたまらずに、できるだけ確証を得ようと、ためしに後輩の学生に聞いてみたよ。それと言うのも、入学式のその日、構内のどこで、何時頃、誰と記念写真を撮ったかを聞いてその日の映像を取り出してみようと思ったのさ」


「入学式の日だったら、そりゃ、入学式の看板の前ね」


「その通り、その学生は、式後の午後三時頃、東門の楡の木に結びつけた看板の前で、両親と記念写真を撮ったと言うので、その楡の木に行って、その日に日付をセットして、映像を取り出してみたんだ。ところが、ろくすっぽ学生の姿は映らず、おまけにブルドーザーが轟音を鳴り響かせて通る姿が映ったので、またしても失敗かと思ってがっかりした矢先、ちょうどその前日が、グランドの工事の初日で、一日だけブルドーザーが来たのが分かったんだよ。こうして誤差が一日まで迫ったのが分かったんだ。してみれば、あとは微調整すればどのみち時期設定ができることを確信して、とりあえず機器が完成したんだ」


 都真子は、正直なところ、まったく前例のないユニークな研究を成し遂げた俊介をまじまじと見て感心はしたものの、いたって基本的な質問をした。


「それにしても、この機器には名前はあるの?あるいは世の中に発表するつもりはあるの?」


「ああ、考えたよ。さしあたって、名前はタイムスクリーンワン、略してTS1と名付けたよ。断わっておくけど、TS1の技術を学会に発表することはいささか時期が早いと思っている。確かなことはわからないけど、もっぱら保守的な学者たちの前で、威勢よく発表したとしても、とたんにそんな馬鹿な話があるわけはないとにべもなく一笑に付されてしまうか、たちまち潰されてしまうのが落ちだからね。それならいっそ、実績を蓄積して、ごく自然に人々が理解して受け入れてくれる日を待つことだと考えているよ」


《俊介の研究は、まぎれもなく現実離れし過ぎていて、半信半疑どころか、そういう際の常として、嘘つき呼ばわりされるに違いないわ。むしろ反対に、れっきとした真実と証明されるならば、とっぴな研究内容の奇抜さと成果は、ことによると世界を揺るがす、きわめて革命的な技術の誕生であることも間違いないわ》


「言うなれば、むしろこの研究を利用して、これまでの迷宮入りの事件や難解な事件を解決すれば、みんながおどろくわね」


 文字どおり俊介もうなずいた。


「ああ、まさにその通りだ。時がたつにつれて、ほかでもない、この研究が世の中の役に立つことがわかれば、どのみち注目されることになるだろうと確信しているよ」


 俊介はそう言うと、黒い機器を都真子の前にひょいと置いた。


「これは、ひときわ持ち運びを第一に考えて、携帯タイプに制作したタイムスクリーンの一号機、略してTS1だ。一晩、充電すればさしあたり、二日間は大丈夫だ」


 俊介が、あたかも自慢げな口調で説明すると、都真子はおずおずとTS1を手に取ってみた。


「だとすると、木の年輪から事件を解決する刑事か、ドラマのタイトルだったら、年輪デカってところね。きっと私は、俊介の秘密を詳しく知ってアシストするパートナーだね。とは言うものの、一から十までこのTS1を詳しく理解することは難しいけどね。ただ、何を理由に、俊介のことを年輪ケイジとか年輪デカという名前で呼ぶのかは語れるわね」


「おれだって、いざ、このTS1を語るとなると、きわめて長い話になるからな。本当のところ、事件を解決してみて、自分が年輪刑事になったことを自覚する方が合いそうだ」


 俊介は、たった一人の人間であっても、TS1のことを理解してもらったことが何よりも心強かった。


「いや、話を聞いてくれて感謝だよ。まあ、今度メシでも奢るから」


 都真子は、俊介の話を聞いて、なにやらふいに自分の父親のことが頭に思い浮かんだ。


 父親の三色牧三は、都真子が中学生の頃、建設会社に勤める、頑丈な体格の正義感溢れる人物だった。


 牧三は、ある日の仕事帰り、思いがけず路上で、女性が通り魔に襲われていたのに出くわした。


 とたんに牧三は、ひるむことなく持ち前の腕力で、とっさに通り魔を投げ飛ばすと、通り魔は痛みをこらえながらあたふた逃げていった。


 通り魔は、一旦、退散したように見えたが、犯行を妨害された上、道路に叩きつけられたことで、怒りに狂って車で戻って来ると、二人をはね飛ばして逃げて行ったのである。


 牧三が覚えていた車の車種やナンバーの一部の数字から、通り魔はたちどころに捕まるだろうと思われたにもかかわらず、いっこうに見つけ出すことはできなかった。


 それに加えて、女性を庇って大怪我を負った牧三は、脊髄を損傷して車椅子の生活となってしまい、会社も辞めることになったが、育ち盛りの都真子や、弟で小学生の浩一のことを考えると、とうてい、失意の日々を送るわけにはいかなかった。


 そんなわけで、牧三は、退職手当と貯蓄を崩して資金に当てると、妻の笹恵が手伝ってコンビニの経営を始め、もっぱら元気一杯の車椅子店長と評判となり、ずんずんと売り上げを伸ばして、二人の子供にどうやら人並みの生活を送らせることが出来たのである。


 都真子や浩一は、そうした親の苦労する姿を見て、学業のかたわら学校から帰ると店を手伝ったが、そこへもう一人、足しげく手伝いに来た娘がいた。


 あたかも牧三が助けた香原木ゆいである。


 ゆいは、今、目の前で話をしているほかならぬ俊介の姉であり、言うなれば、自分のために身体を張って守ってくれた恩人に、できることなら少しでも報いようとしたのだ。


 都真子は、悲劇に負けない牧三の背中を見て逞しく育ち、両親に辛い思いをさせた犯人を、この手で、必ず捕まえてやると心に誓って、警察官の道を選んだのだった。


 都真子はTS1を手にしながら思った。


《今、自分が担当してすっかり手を焼いている事件に、TS1を使えば、ひょっとすると新しい証拠を掴めるかもしれない。そればかりか、もうすぐ十年が過ぎる、父親の事件のいまいましい犯人を、見つけ出すことができるかもしれないわ》


 都真子は、今まで感じたことがないような期待を胸に、自らの人生を大きく変えるような出来事に出会える予感がして、とっさに俊介に申し出た。


「事件の捜査に使ってみたいんだけど!」


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