第8話 年輪刑事のはじまり
「俊介は、今もそうして植物の研究をやってるのか?よくまあ、警察の仕事がありながら続けてるよな。ほとほと感心するよ。ゴバの力が効きすぎて、何でものめり込むようになったからな」
快斗がどちらかといえば探るように質問を投げかけた。
「どうにもこうにも、いっこうにやめられないんだが、正直なところ、そろそろ一区切りがつきそうだと思っているよ」
研究を手短かに説明することは、ことのほか難しいと考えていた俊介は、毎度、研究にはあいまいな答えを繰り返していた。
「都真子は、とくだん、変わりなくやってるのか?ついに刑事になったって?そもそも正義感が強い娘だったからな。お前もそばで見ていて危ない目に会いそうで、内心ひやひやしてるんじゃないのか?」
慎太は、ほかならぬ幼馴なじみの俊介と都真子が、あたかも同じ職場で仕事するのも思いのほか偶然だと思っていた。
「おいおい、だいいち、危なくない刑事なんていないだろう!」
俊介があべこべに切り返すとみんなも笑った。
「元気にやってるよ。そればかりか、ときおり傑のことも心配して、情報を集めてくれているよ」
「ありがたいことだな。都真子も、かねがね親父さんのことではずいぶん苦労したからな。それだけに傑の家庭のことは、それでなくたって身につまされることがあるんだろう」
快斗は、都真子のことは、まさしく芯が強くて思いやりの深い苦労人だと思っている。
俊介は、都真子がいるところで、思い切って話をしようかすまいか、往々にして迷っている事情をかかえていたが、こうしてみんなと話しているうちに、今となってふいに心が決まった。
《呼んで話してみるか…》
こうして楽しい時間の流れる三人の再会は、もっぱら傑の話題にたっぷり時間をかけながらも、これまで通り、ざっくばらんに互いの近況を知らせ合いながら、ようやくお開きになった。
それから一週間後、俊介は、都真子のもとに、だしぬけに一本の電話を入れた。
「やあ、帰りにハウスに寄ってくれないか?どうしても見せたいものがあるんだ」
季節は、暑い日差しが、ぎらぎらと朝から照りつける、まさに盛夏を迎えている。
その日、俊介は休暇を取って休んでいたとは言うものの、けっして暇にしていたわけではなかった。
「見せたいもの?分かったわ…無理なときは連絡する…」
担当している事件の解決の糸口がいっこうに見つからず、いささか閉塞した気分をかかえている都真子は、いくぶん無愛想な口調で返答した。
もともと、独身の都真子は、どのみち遅くまで仕事をして帰っても、しょせん帰宅を待つのは自営業の父親と母親、加えて学生の弟だから、さしあたって俊介の勧めに応じることくらいは何でもない。
「うん、何時になっても構わないから、ぜひとも寄ってくれ」
俊介にしては、めったにない強引な言い方で念を押された。
とは言うものの、俊介にそうした言い方ができるのは、二人は、幼馴なじみとして過ごし、永いこと顔見知りだったことと、口には表さないもののお互いに好意を持っていたからであろう。
それでいながら、性格上、二人ともきわめて仕事人間の部類のこともあって、こうして見ると、付き合いの進捗状況はからきし停滞気味だ。
とは言うものの、都真子から見ると、俊介は、昔から、優しく誠実な人柄で好感が持てる男だったが、あたかも小六の頃から、がらりと一変していきなり何でもできる優秀な人間に変身した。
それだけに、とうてい人が計り知れぬような一面も持っていて、かねてから自宅の離れを『ジャングルハウス』と名付けて、学生時代に始めた植物研究を、もっぱら警察に就職してからも続けている。
「そんな歳になってまで、にべもなく夢中になって研究をしたいことがあるなんて、我が子ながら、いささか変人じゃないの…何とかしてほしいわ」
ほかでもない俊介の母親の菊子も業を煮やして、ちょくちょく都真子にも愚痴っていた。
もっとも、都真子は、俊介をれっきとした植物オタクだと思っているから、仕方なく菊子に同情して忠告を入れている。
「お母さんが心配してるわよ。ほどほどにできないの?」
「おれに言わせると、あと少し頑張れば何とかなるんだな…」
俊介は、いつも平然とした口調で同じ言葉を繰り返した。
「何とかなるって…何がなんとかなるの?」
なにせ、そう言われても、都真子には、いっこうにわけが分からないが、そんな矢先の俊介からの誘いだった。
「その何かが…何とかなったのかな?」
結局のところ、都真子がハウスに着いたのは、たっぷり夜の九時を回っていた。
どのみち入口の鍵は掛けられていないため、ろくに声もかけずに勝手に入っていくと、毎度、天井から垂れ下がった植物がにんまりと出迎えてくれる。
実験室のドアを開けたとたんに、うつけたようにモニター映像を見つめる俊介の後ろ姿が見えた。
「やっぱり遅くなったわ…」
「いや、すまないな。それはそうと、さっそく見て欲しい映像があるんだ」
俊介は、モニターの手前に置かれた見慣れない黒色の機器を操作した。
都真子が、モニターに近づくと、いきなり映った映像は、鮮明とは言えず、それに加えて、なにやら、若い男が出てきて、きょろきょろと辺りを気にしながら、トラックの荷台から、大量の廃材を運んで、何かに荒っぽく覆い被せる姿が映った。
と、やにわに映像が、とつぜん切り替わると、今度は廃材の合間から、血を流し苦悶に顔を歪める男がふいにアップで映し出された。
「何これ?ホラー映画なの…気味が悪いわ」
都真子はいくぶん興奮気味に言った。
「とくだん、ドラマみたいな撮り方じゃないし、やけにリアルだわね。ひょっとすると、誰かが隠しカメラで撮った映像なわけ?」
「いや、人が撮ったんじゃなくて、まあ、木が撮ったんだよ。まさしく地面から生えている、ほかでもない本物の檜の大木から取り出した映像だ」
都真子は、さも真面目くさって言う俊介を見て、だとしたら、研究に根を詰め過ぎて、発作的に頭がおかしくなったのかと、とたんに心配になった。
だが、こうして見ると、俊介は思いのほか真剣な表情をしている。
都真子は、何のことやら言葉の意味がとうてい理解できずに眉をひそめて聞き返した。
「どのみち、檜に仕掛けたカメラから撮った映像なんでしょ?」
俊介は、なんのためらいもなく首を振った。
「くどいようだが、とりもなおさず檜そのものがビデオカメラなんだよ」
こうなると何度説明されても、都真子にはいっこうにわけが分からない。
「つまりさ、おどろくことに檜自体がカメラの役目を果たして、目の前で起きた出来事をすっかり記憶しているんだ。してみれば、何より肝心な点は、その記憶した映像を取り出す方法を発見したのさ」
俊介は、なにやらいっそう熱をこめた口調で説明した。
どうやら都真子は、正直なところ、俊介の研究にはからきし無関心だった自分に気がついた。
《どちらかと言えば、かねてから俊介が、いったいどんなことを研究しているのか、まともにたずねたことはなかったわ》
なぜなら、都真子は、ほかならぬ俊介については、せいぜい変わった植物でも見つけては、その植物の知られざる生態を研究して、論文にでもまとめて、ひそかに自分だけで喜んでいるようなオタクな男と思っていたからである。
「じゃ、本当に、木から映像を取り出すことができたっていうことなの?」
俊介は、言わば研究がようやく完成に近づいたことを受けて、これまでずっと心に秘めたまま、けっして誰にも語らなかった研究内容を、今夜初めて都真子に話そうと決めていた。
「もともと、俺の研究テーマは、植物の感性の証明、つまり、植物にも人間と同じような目や耳の働きをする五感が存在することや、また、人間の脳の働きに見られる記憶の保持やその貯蔵能力が存在することを究明することなんだ」
「そうね、私も聞いたことがあるわ。野菜にクラシックを聴かせると生育がよくなるって農家の人が話していたわ」
「俺に言わせると、数百年以上も生き続ける杉や檜の大木は、自らの幹のまわりで起きた出来事について、大木が持つ五感によって感じ取って、その映像や音声を年輪に記憶し閉じ込めているかもしれないと考えてみたわけよ。ああ、ちょっと待って…」
俊介は、買っておいた飲み物を冷蔵庫から出して、都真子に渡すと、また喋り始めた。
「そこへもってきて、年輪に記憶された過去の出来事を映像や音声に再現することができたら、資料があまりない歴史上の出来事や証拠の乏しい未解決の事件なんかでも、あたかも木の前で起きていれば、新たな真実を発見することができるだろう」
「まあ、文字どおり誰ひとり目撃者のいない事件や、かりに防犯カメラのないところで起きた事件にはまさしく役立つかもね」
「ただ、当然のことながら、人が聞いたら馬鹿げた空想と笑うかもしれないさ。でもさ、それにもかかわらず、俺たちの住んでいる世界は、住居用、食用、薬用と、もっぱら植物の恩恵に浴しているじゃないか。こうした植物に、俺が考えたような能力が追加されれば、思いのほか、未知の分野にだって、植物の力を活用できるかもしれないと思わないか?」
都真子は、俊介の説明を、ずいぶんとっぴな話だなと感じた。
《だいいち植物が、まるでフランケンシュタインみたいな怪物に思えて来るわ。俊介が、こうした奇怪な研究をしていたなんて、まるきり想像できなかったわ》
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