第7話 少年たちの十五年後
ちっぽけだが、おびただしい数のタイコウチを見た俊介は、あっけにとられて、隣にいるフェルにたずねた。
「いったい、何匹いるんだ!何百?いや、何千?」
「なにせ地中にいるタイコウチを合わせれば、ざっと数百万の大群だよ。こうして見ると、さっきから庭土の下に来ていたんだな」
俊介は、何のことはない蟻の行列なら見たことはあるが、そこへもってきて、これほどの虫たちの大軍団を見たのは生まれて初めてである。
「ゴバがもう真っ黒だ!もう見えなくなってる!」
少年たちには、無量無数にいるタイコウチが、ゴバをまるごと包んで地中に引きずり込む一部始終を、まるで底なし沼に引き込まれて暴れる生き物のように、固唾を飲んで見ることしかできない。
そして、最後の一瞬、ひときわ膨れ上がったタイコウチの大群は、一気に地中へと消え去ったのである。
そのあと、わずかに残ったタイコウチが、凸凹した地面を元通りに整地したあげくに、すごすごと地中へ消えたのはおどろきだった。
タイコウチたちの手際のいい作業を見た俊介は、その先、ゴバをエジプトまで運ぶまでの統率の取れた行動を想像して、自分たちが住むこの世界は、言うなれば未知なることに満ちあふれ、それにともなう恐怖と驚きに、いつだって遭遇する可能性があることを実感した。
それは、まるで冒険家や探検家たちが、新しい発見を求めて、ひるむことなく前進する渦の中にいるようなものだ。
俊介は、それにしても、あらためて地球規模でタイコウチを動員することができるゴバの底知れぬ奇怪な力につくづく恐ろしさを感じた。
タイコウチが去ったあと、俊介のそばには、快斗や慎太、傑が集まっていたが、傑は、いつの間にかフェルの姿が見えなくなっていることに気がついて、辺りを見回した。
「ほかでもない、フェルはゴバもろとも、エジプトに向かったにちがいないよ。おれたちも、ゆくゆくはエジプトに行ってみよう!」
俊介がそう言うと、あたかも少年たちは、みんな同じ気持ちになった。
「もし、エジプトに行ったとしたら、ゴバが生まれたという神殿を見てみたいな」
俊介は、なによりかにより、みんなのこうした言葉を聞いて、ゴバとのふしぎな遭遇を、仲間のみんなと分かちあえたことがいちばんうれしかった。
こうして、ゴバと出会った四人の少年たちの人生は、それまでとは違った、新しい人生へとただちに舵を切ることになった。
やがて、すっかり時は流れ、さながら十五年の歳月が過ぎると、ゴバの恩恵を受けた四人の少年たちは立派な大人となり、それぞれが違った人生を歩んでいた。
俊介といえば、明晰な頭脳を獲得したおかげで、一流の大学に入学すると、植物科学の研究と陸上競技に才能を伸ばし、双方の分野で実績を残して、ひいては将来の教授候補として大学から期待されていたが、かねがね希望していた警察関係に就職を決めた。
快斗は、クラブチームでとたんにサッカーの才能を開花させ、サッカーで入った私立高校を卒業すると、ただちにプロのサッカー選手として活躍していた。
慎太も、公立学校の野球チームで打者としての才能を伸ばし、高校では希望どおり甲子園に出場するなどして、何より今は、れっきとしたプロ野球選手として頑張っている。
しかしながら、そこへもってきて傑の人生だけは、他の三人と比べて、思いのほか華々しい栄光から漏れていた。
そもそも母親の重病は、幸いにもゴバの力でみごとに完治したが、こともあろうに傑本人は、どういうわけか行方不明となってしまって所在が分からなくなってしまっているのだ。
それというのも、傑が高校三年生のときに、傑の父親の経営する会社で起きた予期せぬ出来事がきっかけとなっていた。
ほかでもない傑の父親は水産会社の社長であるばかりでなく、誰もが頭が上がらない地元の有力者の一人であり、家も裕福で長男である傑も何不自由のない生活を送っていた。
傑がとくに心配していた母親の病気もゴバの力で完治し、傑は何の心配もなく自分の能力を発揮すればいいだけだった。
ところが、そんな矢先に父親が信頼していた社員の一人が、かねてから隠れて行っていた不正取引が、思いがけず発覚し逮捕されるという事件が起きたのだ。
こうなると当然のことながら、会社も信用を失って経営が行き詰り、おまけに追い打ちをかけるように、傑の父親が体調を崩して、ふいに亡くなってしまったのだ。
傑にしてみれば、ゆくゆくは継ぐはずだった会社は人手に渡り、慣れ親しんだ広い敷地の家からも追い出されて、あげくの果てに母親の実家に姉と三人で転がり込む羽目になった。
それに加えて、傑は高三で大学受験の時期だったにもかかわらず、進学費用が無いため、どのみち昼間にバイトのできる学費の安い夜間の大学を受験することを決断した。
こうして、幾重にも不運な出来事に遭遇した傑は、大学でも留年を繰り返し、とうとう三年前にみんなの前から忽然と姿を消したのだった。
とは言うものの、傑が消息を絶つ以前から、四人はどんなに忙しくても、折をみては会っていて、社会人になってからは、おおっぴらに話の出来る個室をそなえた銀座のレストラン、ボンソワールが集会場になっている。
何しろ四人は、幼い頃から続く友情を、何より貴重な生涯の宝物と考え大切にしていたから、たいていの場合、何とか都合をつけて駆けつけるのが常であった。
もっぱら話題は、将来、どんな人生が待っているかなどの夢や希望のほかに、楽しくも懐かしい少年時代を思い出しては語り合っていたが、傑が姿を消したあとは、三人の心には傑の失踪が思いのほか暗い影を落としていた。
その日も三人は、銀座のレストランで、久しぶりの再会を果たした。
「それはそうと、傑のやつ、相変わらず音信不通なのか?何の連絡もないんだろうな…」
慎太は、警察に勤める俊介に、いくぶんあきらめ顔で尋ねた。
「ああ、傑のことは、行方不明者として警視庁のリストにも上げてあるんだけど、いっこうに情報は入ってないな。それに、実家に寄ってお母さんに会ったけど、何のことはない、無しの礫だそうだ」
「でも、傑の母さんは健康になって本当に良かったな。あの時は末期癌だったんだろ。すっかり完治するなんて、さすがにゴバのパワーは奇跡だな」
快斗がそう言うものの、俊介はもの思わしげな顔をして答えた。
「というよりはむしろ、とうの傑の本音は別のところにあったんだからな。傑は、まさしく母親の病気の完治をゴバに願ったけど、あくまでも、自分自身としての願いをゴバに入れなかったことを、とりわけあとから後悔していたよ。いまさらながら、あの時はどうしようもできなかったんだ。タイコウチたちがゴバをすぐ持ち去ったからな。時間があれば、もっと願い事を入れられたかもしれないけどな…」
快斗は、傑の本心はまさにその通りだとうなずいた。
「そもそも、当時の傑には、正直なところ、ゴバの力なんて無くても問題なかったんだよ。何しろ、まぎれもなく学年でいちばん優秀なやつで勉強も運動もよくできたからな。おまけに学級委員までやって、何をやらせても誰より優れていたから、担任の山本先生も一目置いていただろう」
慎太は、ほかでもない傑の父親の事件に触れた。
「おそらく父親の事件が、傑の心を、いちばん痛め付けたんじゃないかと思うんだ。どうにもこうにも運命ってあるんだな。なぜって、俺の家も近所だったから、傑の家からの重苦しい雰囲気が伝わってきたよ。今でもおぼえているが、傑の一家の引っ越しも手伝って、荷物を運び出した時は、思いのほか気落ちしていて、ゴバはエジプトに行けばあるかなとか、ゴバがどこにあるか分かる植物をさがすとか、独り言のように言ってたな…」
慎太は、傑の傷心をよく理解して、いくぶん熱っぽい口調で話を続けた。
「だいいち、負けず嫌いでプライドの高い傑の性格からしてみれば、どん底に落ちてしまったように感じたんだよ。それでなくたって、俺たちがゴバによってどんどんよくなっていく姿を見たら、気にしないわけには行かなくなったんだと思うんだ」
願いが叶った三人にとっては、傑の家庭の混乱は、並大抵のものではないのを知っていたから、絶望のあまり自らの人生をいっそう嫌悪する傑の気持ちは、とりわけ痛いほど理解できた。
慎太は傑の行動について思いついたように言った。
「あくまで推測だけど。傑は、俺たちの変身ぶりを見て、願わくば、もう一度ゴバの力で自分の境遇を脱したいと考えて、ゴバを求めてエジプトに行ったという可能性はないかな?」
俊介も、傑ならおそらくやりかねないと感じた。
「ひょっとすると、慎太の意見は一理あるよ。あのときフェルが、どういうわけかゴバの危険性を注意したんだ。とりもなおさずゴバには人間を誘惑する秘密めいた力があって、万が一その力に心を魅せられてしまうと、人生を棒に振ってしまうかもしれないってね」
快斗はエジプトと聞いて、だしぬけに自分のスケジュールに触れた。
「それはそうと、たまたま、海外での試合が決まって、それがまたエジプトに行くことになったんだ。もしスケジュールが許せば、ぜひともゴバのルーツのアブ・シンベル神殿まで行ってみようと思ってるよ。おまけにゴバの情報があれば、何かしら聞いてくるよ」
慎太はいきなり快斗のエジプト行を聞いて、いささかうらやましがって快斗につめ寄った。
「えい、快斗に先を越されたよ!だってさ、三人の中で、誰が最初にエジプト行きを決めるかなと思ってたんだよ。いや、俺も行ってみたいな!つぎに会ったとき、詳しく教えてくれよ」
俊介は、ゴバを巡るフェルの注意を記憶の中から拾い上げた。
「そういえば、フェルが言ってたことをもう一つ思い出したよ。ほかでもないがエジプトにはゴバを狙う集団が幾つもあって、ゴバを手に入れるためしきりに活動しているから気をつけろってね」
「ははあ、そんなに競い合っているなら、もはやゴバはエジプトには無いかもしれないな。言うなれば、俺たちはいたって運が良かったんだよ。まさしく俊介が釣り上げてくれたお陰だな。そうだ、さしあたり傑の情報も現地で確かめないとな」
快斗は、何につけてもつくづく前向きな考えの男である。
「ああ、そもそも日本で傑の情報が無いってことは、ことによると慎太が言ったように、本当に出国したかもしれないぞ」
こうして俊介も慎太も、とつぜんの快斗のエジプト行きに、傑発見の一縷の望みを賭けることになった。
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