第32話 追跡のはじまり

《ラヒームと傑が?友人?》


 咲は、内心、どきついた。


「咲さん!ラヒームに、我々を監視するように頼んだのは本当ですか?」


 傑は、決然とした口調で咲に詰め寄った。


《ラヒームのやつ!》


「ラヒームなんて人、知らないわ。その人、私が頼んだって、言ってるの?人違いじゃないかしら」


「じゃ、ラヒームを連れてきていいですか?実は来てるんです!」


「えっ!」


 こんなこともあろうかと、傑がラヒームに同行を依頼したところ、二つ返事で了解してくれたのだ。


 俊介が、ラヒームを車から連れて来た。


「咲、金は返すよ」


 ラヒームは、咲からもらった金をテーブルに置いた。


 咲は黙ってしまった。


「どうして、そんなことをしたんです?」


 咲は困惑した表情を見せたが、あっさり、本当のことを言い出した。


「名入さんに頼まれたのよ……」


「それじゃ、名入さんの仲間なんですね?僕を殴ってゴバを奪ったのは名入さんとあなたなんですね?」


「いいえ!それは私じゃないわ!羽衣不三と雉間教授よ!」


「やっぱり、そうだったのか!」


 俊介は、不三への疑いは、日本にいるときから始まっていて、名入のことも、なんとなく、信じてよいとは思ってはいなかった。


 咲は、すごすごと後悔するような口調でいきさつを話した。


「本当のことを言うわ。私は、研究に必要だというから、雉間教授や不三のすすめで、軽い気持ちでホルスに入ったのよ。ところが、二人は研究なんて放り投げて、ゴバを手に入れる方に集中してたわ。おまけに、ホルスから、無理やりゴバに関心がある学者をさらったり、脅したりする活動をやらされて、いい加減、ホルスに入ったことを後悔していたのよ」


「そう言えば、咲さんは、自分の研究テーマを熱っぽく語ってたもんな。じゃ、ホルスなんかやめた方がいいよ」


 快斗が、やけに同情するような口ぶりで言った。


「ところが教授が名入さんを連れてきて、ホルスに入れたとたん、ゴバを自分らで手に入れようって言い始めて、教授にラムリアを盗ませたのよ。だから、教授はホルスの裏切り者として、逃げ回っているわ」


「教授がすべて仕切ってるわけじゃないんですね。裏で名入が仕組んでるのか!本当に悪い奴だな!」


 快斗が熱っぽく言うと、ついでに、俊介が、咲を思い切らせるために、名入の話を持ち出した。


「名入という男は卑劣な人間なんです。十年前、僕の姉が名入に襲われるところを、都真子の父親が助けたんだが、名入は腹いせに父親を車ではねて、今では車いすの生活を送ってるんです」


「名入が犯人だったのか!知らなかったぞ!」


 快斗は、ふいに聞かされておどろいた。


「姉は都真子の父親のお陰で元気に生きています。しかし、都真子の父親は、務めた会社を辞め、身体も不自由になり、おかげで都真子の一家は大変苦しい目に遭いましが、都真子の父親は苦しい様子をみんなに見せることなく、気丈に生きています」


 咲は、名入が言っていた、日本でしでかした事件という言葉が頭に浮かんだ。


「でも、やっと証拠が見つかって、名入を捕まえようと思ってエジプトまでやって来ました。もし名入に少しでも事件への償う気持ちがあるなら、私たちと一緒に日本へ戻り、きっぱり法の裁きを受けてほしいと思ったのです。だが、今は日本に帰っているなんて……タイミングが悪かった!」


 咲は、名入の過去の事件をいきなり突き付けられて動揺したが、俊介の話の最中も、咲は都真子の顔を思い浮かべ、話を聞いているうちに観念したような態度で口を開いた。


「このファームも教授の隠れ家として、私が提供したのよ。でも、私は、これ以上はやりたくないって思ってるわ。自分の研究に集中したいのよ。それに、名入は、日本へなんか行ってないわ!昨日までここの二階に居たのよ!」


《しまった!だまされたか!名入がエジプトにいるとなれば、都真子のことだから、とことん、名入を捜し出したいと言うか、次の機会に出直そうと言うか、これは厄介なことになったぞ!》


 俊介は、都真子のたかぶった顔を思い浮かべた。


 快斗は嬉しそうに、俊介たちに咲の弁明をした。


「ほうら、咲さんは悪い人じゃないって、言っただろ!俺は、咲さんが傑を捜すのに一生懸命になってくれた姿を見てそう思ってたよ。もちろん、俺たちと一緒に教授たちの捜索に協力してくれるよね」


「ええ、わかりました。私も協力するわ。教授と不三さんを捕まえましょう。都真子さんや慎太さんにも謝りたいと思います。それに私が思うには、不三さんは、教授と名入に、絶対、裏切られると思うわ。それに、もしかしたら、教授もね」


「名入のやつ!ゴバを独り占めする気だな!」


 快斗は、かっかしながら、語気を強めた。


「私が車を出すわ!」


 咲の運転でアスワン空港に向かって出発すると、傑は、途中、ナイル川のファルーカやアスワンの街並みを目にした。


《ああ、あっという間の二年間だったな。だが、アスワンでの生活や、俊介たちと出会った日の会食を懐かしがってる場合じゃない!この二年間を無駄にするわけにはいかないんだ!必ずゴバを取り戻してみせる!》


 身じろぎもせず、のぞきこむように車窓を眺めている傑に、咲がいきなり尋ねた。


「一つ聞きたいんだけど、それはそうと、よくゴバを神殿から持ち出せたわね」


「俺とラヒームは、ゲブの潜入者だからね。なあ、ラヒーム!」


「ああ、命がけだったよ」


 傑は、二人がれっきとした潜入者だったことを告げた。


「じゃ、殺人スカラベはいたの?どう戦ったの?」


 咲は、胸のすくような話を期待した。


「ええと……そればかりは、残念ながら、ゲブから口止めされてるんだ……」


 咲は、内心がっかりしたが、俊介たちに協力すると決めてから、心がことのほか、晴れ晴れとしたのを実感していた。


 俊介たちが、ファームを出た頃、雉間教授と羽衣不三は、慎太の推測通り、観光客のふりをして、ぬけぬけとアブシンベル神殿を脱出し、バスを使ってアスワン国際空港に到着していた。


 雉間も不三も、せっかく手に入れたゴバを、片時も身辺から離したくはなかったが、それでいながら、あたかもクルーズ船を使って、のんびり逃げるほど心に余裕はなかった。


 いずれにせよ二人は、何よりも肝心な点であるゴバをどうやって無事に運ぶかに、何よりも腐心していた。


「ゴバは、水に浸しているからな。気づかれずに機内の座席まで持っていくことは不可能だな」


「それじゃ、貨物に回すしかないわね」


「だが、ひょっとして、スーツケースごと盗まれた場合は、本も子もないぞ」


 そんなわけで、迷った挙句に、貨物係をわずかな金で買収して、おおげさに言い聞かせた。


「まぎれもない研究のための、とびきり貴重な代物が入っているからな。このスーツケースを厳重に見張ってくれ!」


 そう命じて、搭乗手続きに向かうと、予想以上の混雑で、せっかちな雉間をいっそう苛つかせた。


「こりゃ、けっこう観光客が並んでいる。何で、こんなに人がいやがるんだ!」


「こうなると時間がかかるわね。空港が狭いから仕方ないけど」


 二人は、すっかり待たされて、やっとの思いで手続きを終えたところへ、ちょうど都真子と慎太が空港に到着した。


 慎太が、ロビーの電光掲示板から、次のカイロ行きの出発便の時刻を確認すると、まさに出発まであと二十分しかない。


「これから出発する便に乗るなら、わずかながら時間がある。目の上に大きな黒子のある男と女のペアだな。小さい空港だから、くまなく捜そう!」


「どうやら、もう搭乗は始まっているわね。カウンターに行けば、乗客の名前を教えてもらえるかしら?」


 都真子はさも困った顔つきをして、舌足らずな英語で、カウンターの女性職員に話しかけた。


「友人の日本人が、カイロ便に乗ったかどうか、知りたいんだけど、教えてもらえますか?友人は、旅行に不慣れで、乗り遅れていないか心配でね」


 目の大きな女性職員は、いささか困惑したが、せいぜい観光客の頼みとあって親切に答えてくれた。


「ミスターキジマ、ミスハゴロモ、日本人は二人だけ乗ってますよ」


「えっ!あっ、そう、乗ってて良かった!ありがとうございます!」


 都真子はあわて気味に慎太に告げた。


「たいへん!乗ってるのは雉間教授と羽衣不三よ!」

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