第33話 おぞましき妄想

「雉間教授と羽衣不三は仲間だ!みんな、すっかりだまされたんだよ!」


 慎太が、いまいましそうに言った。


「なによ、雉間は行方不明になっているはずだし、おまけに羽衣は身の危険を感じて、エジプトに来るのはまっぴらだと言っていたはずよ。それにもかかわらず、その二人がいっしょに行動する?」


 都真子と慎太は、思いがけず、出発寸前のランプバスに当たりをつけた。


「まって!あのランプバスに乗ってないかしら!」


 慎太と都真子は、バスに駆け寄ると、バス内は、ぎゅうぎゅうの詰め状態で、だれかれ、からきし見分けがつかなかった。


 実のところ、雉間と不三は、まさしく、乗客の集団の中に紛れて、ターミナルビルから、飛行機に向かって出発しようとしている、そのランプバスに乗り込んでいたのだ。


 雉間は、キャップを深くかぶり、不三は大きな日よけ帽に加えてサングラスをかけていたため、実際のところ、誰も二人を見分けることはできなかった。


「なによ!あれじゃ、車内にも入れないし、さっぱり捜せないわ!」


 都真子は、てこずって、もう一度カウンターに行って交渉した。


「友人を捜したいんだけど、あの便の機内には入れない?」


 職員は、何のためらいもなく、きっぱりと言った。


「緊急の用ならともかく、もう駄目です!」


 都真子は、あっさり断られてしまった。


「じれったいわね、現場が日本なら、おそらく警察官の立場を利用して何とかするのにな。ましてや、エジプトで強引なことはできないわね。おまけに下手に呼び出しをかけたら、余計に警戒するに決まってるわ」


 都真子と慎太は、なす術も無く、首を長くして俊介たちの到着を待つしかなかった。


 とかくするうちに、雉間たちが乗った飛行機は、さっさと離陸してしまい、ようやく入れ替わるように俊介たちが姿を現わした。


「すまん!待たせたな!」


「咲さんも協力してくれることになったよ」


 都真子は、おどろいて、咲の顔をまじまじと見たが、事情を聴くことは後回しにして、雉間と羽衣の乗ったカイロ行きの便が、今しがた出発したことを告げた。


 俊介は、すれ違いになったことをわびた。


「だとすると、エジプト航空の時刻表では、カイロまでの所要時間は一時間二十一分だから、ひょっとすると、次の便で追い付けないこともないな。いずれにせよ、捕まえるまで追い続けるつもりなら、次の便でカイロに向かわないといといけないが……」


 咲は、都真子の反応が気になったが、面と向かって、名入の名前を口にした。


「名入がカイロ空港に行っているはずです!雉間と羽衣をアレクサンドリアから船で逃がす手筈ですから!」


「えっ!名入がエジプトにいるの?」


 何のことはない、咲がしゃしゃり出て、俊介より先に、名入がまだエジプトにいることを公言してしまった。


「都真子!名入は日本には、行っちゃいなんだ!咲さんの言った通りだ!」


「なんだい!名入も仲間なのか!」


 慎太も、呆れた顔で言った。


 都真子は、おどろいたが、きっぱりした口調で切り出した。


「実は、私の父親を車ではねたのは名入なのよ!みんなには言わなくて悪かったけど、私がこの旅に参加したのは、もちろん、傑のことは当然あったけど、名入がエジプトにいるらしいって情報を聞いて、矢も楯もたまらず来ちゃったのよ。でも、アリから名入は日本に行ったと聞いて、あらためて出直すしかないと、諦めていたところだったわ!」


「すみません。私が先走って、言ってしまったばかりに……」


「いいのよ、咲さんの話を聞いて、俄然、捕まえる気になったわ」


 都真子の目は、逮捕に向けて、火花のようにきらめいた。


 咲は、想いが口からほとばしり出た。


「都真子さんも慎太さんもごめんなさい。私は、みなさんを騙して名入たちの言いなりなっていたことを謝るために、進んでここに来たんです。あの人たちといるのは、もう耐えられません。それに加えて、ホルスの一員であることで、テレビや新聞に誘拐事件のことが出るたびに、いつ警察が来るか毎日びくびくしていました」


「ほらね、みんな、咲さんを許してやってよ」


 快斗は、咲に代わってしみじみした口調で言った。


「私、研究が上手くいかなくて、心底やけになっていたんです。そんなとき、浅はかにも上手く利用されたんです。今ここで、名入たちやホルスに立ち向かわないと、どのみち、深みにはまって、取り返しのつかないことになるところでしたから……」


「ええ、よくわかったわ!咲さんが、ああいう連中を見限ったなら、ことさら何も言うことはないわね。要するに、奴らはカイロに着いた後は、アレクサンドリアに行くのね。その先はどうするのかしら?あくまで、まっすぐ日本に向かうのか、それとも、他の国を経由して日本へ向うのか?」


 咲は、ちらと耳にはさんだことを口にした。


「あの、私が聞いたのは、ヨーロッパに渡ってから、結局のところ、不慣れな船旅より、一気に飛行機で日本に入る予定だと言ってました。日本にはこっそり隠れ家も用意してあるらしいですから」


「おっつけ、どこで捕まえるのかが肝心で、ゆくゆくは日本で捕まえることを前提に行動した方がいいんじゃないかな?」


 考え深げに、しかも問いかけるように慎太が提案した。


 快斗は慎太の顔をひたと見つめ手を叩いて感心した。


「そりゃ、間違いなく名案だ!」


 都真子も、正直なところ、わけもわからず追いかけるのは、おそらく無駄骨になると考えたが、何はともあれ、名入りだけは捕まえたかった。


「私も慎太の意見に賛成よ。カイロ空港から成田空港への直行便があったよね。出発は、今夜の十一時半だから、その便に乗れば、やつらより早く日本につけるから、雉間や不三は、むしろ日本で見つけるしかないわね。でも、アレクサンドリアで、名入だけは捕まえたいわ!」


 こうして、微に入り細に入り、考えをめぐらして方針を決めると、一行はアスワンに別れを告げて、目指すカイロ国際空港に飛び立った。


 アスワンをいち早く飛び立った雉間と不三は、混雑した機内の中で、咽喉から手の出るほど欲しがっていたゴバを、たとえ横取りであろうと手に入れたことに、とくだん悪びれることなく有頂天になっていた。


「教授!それはそうと、ゴバを使って何を願います?」


 不三は、雉間の腹を探るように面と向かって質問した。


「まあ、おのずと、いろいろ考えたが、いちばんその気になったのは、おれが古代エジプトの太陽神ラーになって、世界中の人間が、おれを崇拝するようにと願うことだ。神になっちまえば、永遠の命と自在の力が身に備わるからな。おれは、人間としての、栄誉、財産、楽しみなどはいらないよ。神として、永遠の命やパワーを手に入れて、何でも思い通りになる存在になる方を望むな」


「えっ!だとすると、人間を辞めるんですか?」


 雉間は、熱に浮かれたようにしゃべり続けた。


「そうだ!人間じゃダメなんだ!神になれば、風を吹かそうと思えば、風が吹き、雨を降らそうと思えば、どんな雨でも降らすことができるじゃないか。かりに人間になろうと思えば、人間の姿に変身し、猛獣になろうと思えば、猛獣にも変身できるだろう。おまけに自然に対しても、山を造ろうと思えば、地面が盛り上がって山となり、海を造ろうと思えば、陸地を海に変えることができるというのが神の力だ」


 不三は、雉間の常軌を逸したバカげた話に呆れた。


「でも、神という存在自体、もともと有るのか無いのかは、私には分からないけど、先生は神の実在を信じてるんですね」


「その通りだ。おれがラーになったら、さしあたり、どの国にあっても、その国のいちばんいい場所に、ピラミッドとスフィンクスと神殿を建造させて、おれは、その神殿に神として舞い降りるのさ。全世界に、ラーに変身したおれを熱烈に崇拝する場所を用意させるのさ」


 不三は、雉間のおぞましく、べらぼうな妄想が鼻について、茶々を入れた。


「ですけど、神々の世界って、月には月の神がいて、銀河には銀河の神がいるから、太陽の神ラーの力の及ぶ場所は、太陽による範囲だけじゃないですか?空に浮かぶ月を、空気と海で満たそうとしても、月の神に遮られてしまうってことはありませんか?つまり、あくまでも力の及ぶ範囲はこの地上だけとしたらどうします?」


 雉間は、不三に、ことのほか妙なことを言われて、むしろ反論できず、文字通り深刻に受け止めた。


「そうか、宇宙全体は神々の世界だからな。そうなると、神になっても、ほかの神々との戦いが出てくるのか……」


 さらに、不三は、歴史上の出来事を、言いがかりをつけるように引用して話を付け加えた。


「たとえば古代エジプトで、アメンホテプ三世と息子の四世との間で、アメン神信仰とアテン神信仰で対立しましたよね。それまでのアテン神を光とするならば、そこには影としてのアメン神が生まれるのは道理の示すところですわ。教授がラーになれば、それに対抗する影としての神が必ず現れますわ」


 雉間も、二つの信仰が、エジプト史上に大きな混乱をもたらした歴史ぐらいはよく知っていた。


《となると、唯一の神になろうという考えはダメだな。もし、この宇宙以外に別の宇宙があれば、そっちの宇宙を作った神もいるわけだ。神々の世界も、人間同様、階級や、テリトリーや、複雑な世界になっていたら面倒だ。なんてことだ!まさしくラーとなって、悠々自適に地上に君臨する神をイメージしていたが、別の神との戦いに明け暮れてしまうではないか》


 不三は、さらに、追い打ちをかけるように言い添えた。


「それに、ゴバだって、ゴバを誕生させた神がいるはずなので、その神と戦うことだってあり得ますわよ」


 雉間は、神になる道を、願望から闇に葬ることにした。


「これじゃ、人間の中で、最高位になった方がまだマシだ!」


 かりに、そばで聞いている人間がいたとしたら、度外れに狂っているとしか思えない雉間と不三の問答は、雉間の根負けで幕切れになった。


 やがて、ナイル川のデルタに夕日が沈むころ、俊介たちはカイロ国際空港に到着した。


 機内での時間を利用して、慎太と都真子の考えをもとにして相談をすすめ、結局のところ、名入を追う俊介、都真子、咲と、日本に帰国して雉間たちを待ち構える快斗、慎太、傑という二手に分かれることを決めた。


「それじゃ、私たちは、アレキサンドリアの港に向かうわ!あとはよろしくね!」


 都真子は、名入を捕まえるまで、てこでもエジプトを離れるつもりはないと言った様子だ。


 その時だ、快斗がひょいと異変に気付いた。


「人が騒いでるぞ!人だかりがしてる!」


 駆け寄って、のぞきこむように見ると、がっちりした警察官に両腕を掴まれ、それを拒んで甲高い声を上げている二人の日本人の男女にばったり出くわした。


 俊介は、女の顔を見て驚いた。


「あの女!羽衣不三だ!」



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