第41話 大騒ぎの隙に

「キーッ!キーッ!」


 不三や咲が、ふいに窓に向かって、歯を噛み鳴らして、甲高い声を上げた。


「どうしたの?何ごと!」


 都真子が、そっとカーテンを開けると、十階にもかかわらず、窓枠にしがみついて、一匹のサルがこちらを覗き込んでいる。


「えっ!仲間なの?」


 都真子が、おそるおそる窓を開けると、強い風と共に、サルは部屋の中に飛び込んで来た。


 不三は、さも訳がありそうな顔で、しげしげとそのサルを指さすと、都真子にメモを差し出した。


『警官だったムハンマドよ!人間に戻してほしけりゃ、私たちに協力しろって、メールを送ったら、仲間を引き連れて、私たちを助けに来たのよ!警察が私たちを捕らえようとホテルを囲んでるって言ってるわ』


「ああ、ムハンマドって、あなたを助けた警官よね!」


 都真子は、カーテンの隙間から顔を出し、外を見ると、パトカーがぞくぞくと集まって来るのが見えた。


「たいへん!万事休すだわ!」


 都真子は、抜き差しならぬ状況に、俊介たちに部屋に来るように連絡した。


 俊介たちは、都真子の部屋に勢い込んで入って来ると、三匹のサルが目に入った。


 快斗が、とたんに不思議がって口走った。


「おや、二匹は不三と咲、あれ?もう一匹は?」


 都真子が、説明しようと口を開きかけると、ムハンマドが、快斗に近寄って、ひょいとメモを差し出した。


『覚えてる?ムハンマドです!』


 快斗は、名前を聞いて、食い入るようにサルを見つめた。


「えっ!エジプト警察の警官のムハンマド!あれっ!じゃ、ホルスだったのか!」


 不三は、俊介にメモを渡した。


『実はムハンマドは、ホルスの統領。雉間がゴバを手に入れたと知って、警官のふりをして、雉間からゴバを奪おうとした。私たちが人間へ戻れるように計画していると言ったら、協力すると言っている』


 ムハンマドは、俊介にも、ぴしりとメモを差し出した。


『サルになった全世界のホルスのメンバーに、われわれを救ってくれる日本人がいるが、雉間から命をねらわれているので、ホルス全員で助けようと連絡を回した。協力は惜しまないから、我々を元通りの人間に戻してくれ!』


 俊介は、決然とした口調でムハンマドに言明した。


「わかった!ムハンマド!おれたちは、ゴバを手に入れて、その力ですべてを元に戻す計画だ!おれたちに協力してくれ!こうなるともう、一刻も早く、アスワンのアブシンベル神殿に行かないと、自分たちが先に、捕まってしまう!」


「アスワンに行くには、交通機関が必要だ!なにせ、このホテルから逃げるのも難しいぞ!」


 傑は、なによりかにより、どうやってこの窮地をしのげるのか、ムハンマドに尋ねた。


 ムハンマドは、メモを書いて傑に渡した。


『われわれに任せろ!人間の警官にも、味方がいる。一旦、ホルスの隠れ家に逃げて、明日の便でアスワンに飛ぶ。飛行機がいちばん早くアスワンにつけるはず。今、地下の駐車場に車を用意している。私の味方の人間が運転するから大丈夫だ!』


 いよいよ、サルにされたホルスのメンバーの、人間に戻るための死に物狂いの攻勢が始まったのだ。


 どこからともなくやって来た多くのサルたちは、敵意をあらわにして、ホテルに足を踏み入れようとしていた警官たちを片っ端から襲った。


『応援が来た!脱出だ!』


 ムハンマドは、俊介たちに、非常階段を使って、地下の駐車場に下りるよう指示した。


 何となれば、地下の駐車場には、協力者のアラビア人が、二台の車に分かれて、あらかじめ待機していた。


「早く!早く!乗って!乗って!」


 俊介たちを乗せた車は、地下出口から、ふいに猛スピードで飛び出ると、運転者がサルに襲われて乗っていないパトカーの合間を、いとも簡単に突破した。


 何しろ警官たちは、追いかけようにも、無数のサルの襲撃を受けて、さんざんな目に遭っていた。


「すごいぞ!誰も追って来る警官はいない!」


 運転手は、いまいましそうな口調で嘆いて言った。


「なんとまあ!うちのカミさんが、サルになっちまっただよ!あんたがたが助けてくれるって聞いて、協力する気になっただよ。必ず、もと通りのカミさんにもどしてくれよ!お願いだよ!」


《正直なところ、ゴバをめぐっては、ホルスは、まぎれもない危険な組織であることは十分に分かっている。だが、雉間のやったことは、人間として余りにも堪えがたいことだ》


「ああ、必ず、元の人間に戻すよ!」


 俊介は、怒りを露わにして、くれぐれも解決することを約束した。


 アラビア人の車は、あたかも警察の追跡を避けるように、もっぱら狭く細い道を選んで走り、翌日に出発しやすいように空港の近くにある、ホルスの隠れ家に一目散に向かった。


 やがて到着したのは、ホルスが経営していたちっぽけなビジネスホテルだった。


「どれ、このホテルは、経営者も従業員もサルになっちまって、誰も客が泊ってねえから、心配いらねえよ。俺たちが一階を見張るから、二階で寝てくんな。朝食も用意しとくからよ」


「ありがとう!今からなら、三時間くらいは寝られるかな」


 傑がアラビア語で言うと、全員で二階のツインの部屋に分散した。


 傑は、ベッドに入っても、寝付けず俊介に話しかけた。


「雉間は、俺たちが逃げたことを知って、怒り狂って、襲って来るだろうな」


「ああ、どっちみち飛行機で動くしかないと踏んでるんじゃないかな。きっと、空港を狙ってくるだろう。だからと言って、船や陸路じゃ、アスワンまで、とっても時間がかかり過ぎて、返って格好の標的になるおそれがある。おそらく、ムハンマドに何か名案があるようだ……あとはホルスの軍団に守ってもらうしかない」


「そうだな。アスワンに近づけば近づくほど、ホルスのメンバーはごっそり数が増えるに決まってるからな」


「それに期待しよう。もう寝るぞ」


 夜が明けると、カイロ空港付近には、いちやく検問所が増え、警察官もあちこちに配置されていた。


「警官ばっかりじゃないか!」


 ムハンマドは、俊介にメモを渡した。


『今から、空港で騒ぎを起こすから、ジェット機まで突っ走れ!機長や乗務員はおれの知り合いだ!機内に潜り込めればあとは大丈夫だ!』


「わかった!いささか乱暴な作戦だな……」


 さしあたって騒ぎは、ふいに検問所から始まった。


 それというのも、どこからともなく現れたサルの群れが、俊介たちが、まさに通過しようとする検問所の警官を襲った。


 たちどころに、俊介たちの車はおろか、通過しようとしていた車が戻ったり、進んだりで、検問所の役目が滅茶苦茶となった隙に、あっさり通過することができた。


『チケットを買った段階で、身元がばれる可能性がある!チケットは買わずに、搭乗口に行け!騒いでいる隙に、ジェット機まで走れ!』


 ターミナルに入った俊介は、ムハンマドのメモを受け取った。


「また、騒ぎを起こすんだな!本当に物騒な作戦だ!」


 とたんに、騒ぎは始まった。


 おびただしいサルの襲撃に、警官も、職員も、付近の観光客も一人残らず、肝をつぶして大混乱に陥った。


「今だ!みんな逃げ出して行ったぞ!」


 俊介たちは、気づいてみれば無人となった搭乗口を、すばやく通り抜けると、一気に飛行機まで走って、即刻、乗り込んだ。


 機内では、機長を始め、乗務員たちも俊介たちを歓迎するやいなや、ムハンマドは、片方の腕を高く掲げて、飛び上がって喜んだ。


日本語の分かる乗務員の一人が、打ち明けるように言った。


「私の弟がサルになったの!何とか助けてね!」


「大丈夫ですよ!必ず、助けます!何はさておき、アスワンに着かないと!」


 カイロ空港の混乱は、俊介たちの乗ったジェット機が、無事離陸するまで続いた。


『もう、いいぞ!引き揚げろ!』


 ムハンマドの指示が、空港のサルのリーダーに飛んだ。


「やったぞ!次はアスワンをどう抜けるかだ!」


 快斗は、手を叩いて喜んだ。


「おい!大変だ!エジプト空軍の戦闘機だ!」


 慎太が、窓の外に発見した。


「なに!そこまで、やるか?」


 快斗は、青くなって、甲高い声を上げ、窓の外を見た。


(ダダン!ダダン!)


「おい!撃って来たぞ!」

 

「他の乗客もいるというのに!」


 戦闘機は、猛スピードでジェット機を追い越し、先に行って旋回すると、真正面からジェット機に向かってきたのだ。


 ジェット機は、もはや、撃ち落されるしかなかった。

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