第2話 願いの叶う袋の物語

 そもそも時代は、エジプト史上、長きにわたり絶対的な権力を誇った古代エジプトの新王国第十九王朝のファラオ、ラムセス二世の御代のことである。

あるときラムセス二世は、強敵、ヒッタイトとの戦いが、思うように進まないことを気にして、戦いの成り行きを神官に占わせた。


 おりから占いには『民を慈しむ中に真の勝利あり』との告占を得た。


 それを聞いた王は「たしかに兵を用いるばかりが勝利の鍵ではない」と考え、むしろ戦争を後方から支える民衆に慈悲を垂れ、民衆の要望を叶えることこそが、とりもなおさず戦争の勝利につながると考えた。


 と言うわけで民衆に呼び掛けて、ただちにパピルスに願い事を記させて、アブ・シンベル大神殿の至聖所に山のように積み上げた。


 それに加えて王の命令を受けた神官たちが、まさしく民衆の願い事が実現するように、神々にしごく慇懃に祈祷を行った。


 なにしろ至聖所は、陽の光の届かない暗闇の空間だが、まぎれもなく年に二回、十月と二月に太陽の光が神殿の奥へと射し込む日があり、ほかならぬ祀られた神々の顔を照らす設計となっている。


 それはそうと、神官が祈祷を始めた、その年の十月の射光日のことだ。


 何もない空に、突然、不気味な雷雲が出現し、彼方此方で雷鳴が鳴り響くと、地上を振動させて、あたかもこの世を揺るがす程の、恐ろしく巨大な落雷があった。


 そればかりか目映い雷光は、射光道をまっしぐらに貫き進むと、かねてから積んであったパピルスに火が付き、ひときわ燃え上がると、全てのパピルスをことごとく燃やし尽くしてしまった。


 心ならずも落雷を恐れて、こっそり神殿の隅に隠れていた神官たちが駆け寄ってみると、こともあろうに鎮火したあとのパピルスの灰を見つけ、まさしく王に知られたら、おそらく自分たちの命はないと考えた。


 何しろ大変なことになったと困惑した神官たちは、もはやどうすることもできず、絶望のあまり唯々神々への宣訴を始めるしかなかった。


 するとどういうわけか、世にも摩可不思議な現象が起きたのだ。


 積もった灰たちが、ふいに自らの力で自然により集まって、見るからに個体を形成し始めたのだ。


 驚いた神官たちはその場から飛び退いて、恐ろしい光景をおそるおそる黙って見ているしかなかった。


 やがて集まった灰たちは、おどろいたことにみるみる紺碧色の美しい塊を形成して光り輝いた。


 こうした神秘的な出来事を、神官たちはこれもすべてエジプトの神々のまぎれもない御威光の賜物と解釈するに至り、その塊をにべもなく素手で持帰るのはいたって畏れ多いことだと、塊の乗る四方を床もろとも切りとって神輿に乗せ、もったいらしく宮殿に持ち帰って、つぶさに起きた出来事を王に伝えた。


 神官の解釈するところでは「ひいては神々がほかならぬ王の慈悲心に感応して、あたかも落雷と共に舞い降り、まさしくこの灰の塊になったに違いありません」と伝えると、きわめて現実的な考えの王は、こうした神官の話を、あくまでも疑ってまるで信じようとはせず、むしろ反対にパピルスを燃やしてしまった神官たちの責任を追及し、こともあろうに神官を皆殺しにしようとした。


 ところが女王のネフェルタリイが何より肝心なのは、灰になろうが灰の塊になろうが、民衆の願いの成就こそ、だいいちに王の力の証明であると訴えた。


 ほかでもない女王の言葉とあっては、いくぶん王も考えを改めて、ついには塊を神殿に安置するように命じて、引き続き神官たちに今一度祈祷を続けさせた。


 そんなわけでこうして、しばらく祈祷を続けると時がたつにつれて不思議なことが起きた。


 とりもなおさず民衆の間から、パピルスに記した願いが叶ったという話が続々と広まり、喜んだ民衆が続々と王の宮殿に感謝に詰め掛けたのだ。


 神官たちは、それは間違いなく灰の塊によるものだと王に告げたので、王はこれまでと態度を変え、まさしく吉祥な出来事だと喜んで、ほかでもない灰の塊を神殿から王の宮殿に移し、もはやすっかり灰の塊には神の力が宿っていることを信じるようになった。


 そればかりか、王にとっては、このときに神が灰の塊として降臨した理由はかねてからの宿敵、ヒッタイトとの戦いの勝利を固く約束してくれるものに違いないと考えた。


 あたかもその夜のことであった。王の夢の中に、どういうわけか灰の塊を手にしたホルス神がじきじきに現れておごそかに神託を下した。


「まぎれもなき民衆思いの王よ。この灰の塊をゴバと名付け、ゴバに何よりも欲する願いを書いて入れよ。まさしくいかなる願いもただちに叶うであろう。但し、ゴバはけっして水に浸けてはならぬ。さもないとゴバの力はたちまち封印されるであろう」と。


 翌朝、目覚めた王は、昨夜の不思議な夢を、もはやすっかり吉夢と考えて、いささかも疑うことなくホルス神に言われた通りに自らの筆で『異民族ヒッタイトとの戦いに勝利するように!』と書いて片方の口だけが開いた袋状になっているゴバに何のためらいもなく入れてみたところ、おどろいたことに今までの苦戦が、まるきり嘘であるかのように一気に勝利へと変わり、見事ゴバに書き入れた通り、ヒッタイトを打ち破ることができたのであった。


 それ以来、ゴバを固く信ずるようになった王は、とりわけ困難な事業にゴバを使い多くの業績を残した。


 しかしながら王は、亡くなる直前になると、むしろ反対にゴバの力を恐れるようになった。


 それというのもゴバが敵の手に渡れば、かえってエジプトの繁栄をおびやかされてしまうと考えたのだ。


 王は、ひそかにゴバを石棺に閉じ込めて、言うなれば何よりもゴバの力を封印できる海の底に沈めてしまった。


 こうしてゴバは永遠に姿を見せることはないと安心した矢先、どこからかそうした事実を漏れ聞いた者たちが、こともあろうに海に潜ってゴバを奪おうとしていることが発覚した。


 それらの輩はただちに捕まって処刑されてしまったが、ことによるとこうした手合いがまたぞろ出て来ることをきわめて心配した王は、こうしたことからゴバを守るために巫女に命じてゴバの処遇について神託を請わせた。


 してみれば神託が下った巫女は言った。


「アブ・シンベル大神殿の奥深くに秘密の間を設けてそこに祭壇を作りゴバを奉納せよ。よしんばゴバを奪う者があっても、たちまち聖なるスカラベの餌食となるであろう」と。


 というわけでそれを聞いた王は、神託通りに行ってみると、もっぱら神殿に侵入してゴバを盗もうとした者たちは、恐るべき巨大なスカラベに喰い殺されて誰一人として生きて帰るものはなかったという。


 王はついにゴバの力を封印することができたと心から安堵した。


 やがて、王が崩御すると、時がたつにつれてゴバの話はもはやすっかり伝説と化してしまったのだった。


 やがて、千年ほど過ぎた頃の新しいエジプトの支配者に、プトレマイオス王朝が建つと、どういうわけかゴバの伝説が再び蘇った。


 それどころかゴバの伝説を信じる人間の中には、ひるむことなく神殿の秘密の間に侵入して、こともあろうにスカラベの襲来を潜り抜けてゴバをまんまと手に入れた勇者もいたようである。


 ひょっとすると歴史上の英雄の中には、手にしたゴバの力を利用して歴史に名を残す者もいたらしく、何より確かなのは、ゴバは今でも、神殿又は地球上の何処かに存在しているはずであると、本の最後に書かれて終わっている。


 こうして読み終えた俊介の心には、ゴバの物語は、あくまでも怪奇な話とは思えず、とりわけ好奇心を満たす話として残った。


 年が明けて、俊介は小学校六年生になるとふと思った。


《今年は、小学生最後の一年だ。来年は中学生になって、勉強も部活動も大変になるから、それならいっそ、いっぱい遊ばないとな》


 こうなるともう、ほかでもない俊介とその仲間たちは、もっぱら家の近くの防波堤のある桟橋に、決まって毎週、魚釣りに通った。


 そこで、俊介はある奇妙な出来事に遭遇することになるのである。

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