第十一話 異郷へ
階段を降りて奥へと進んでいくと、だんだんと外から漏れ入る光が少なくなってゆく。そして、リューザは階段を踏み外さないように慎重に足を一歩一歩下ろして進む。
「ブレダ? いる?」
前方にいるであろうブレダにリューザは声をかけて安否を確認する。
「いるけど」
「うわぁ!!」
予想外にも、前方でなく後方から彼女の反応がありリューザは驚きの声を上げる。
「ちょっと、何よ!」
「いつの間に、そこに回り込んでたの……?」
「仕方ないじゃない!! こんなにも暗いと足を踏み外しそうで怖いのよ!! だから、アンタが先に行って安全を確認しなさい」
「確かにその方が安全かも……?」
そう呟いた時、彼は突然、前方にある物体に衝突した。
油断していたせいか衝撃でリューザはそのまま後方に尻もちをついてしまう。
「ちょっ! なになにどうしたのよ!?」
リューザの声で不安になったのかブレダが慌てた声を上げる。
「大丈夫だよ。」
どうやら階段を下りた先には壁があり行き止まりになっていたようだ。
「突き当りまで来たのかな?」
「はあ? 何もないことはないでしょ! アンタ、真面に探す気あんの?」
「本当だよ! 手触りに違和感はないよ」
前方にそそり立つ平面上の物体をリューザは暗闇の中まんべんなく触り確認する。
その時――。
「あら?」
ブレダが怪訝そうな声を上げる。
「どうしたの?」
「アンタのポケットのそれ……」
リューザが下方に目をやると、彼の上着のポケットから青い光が放たれていたのだ。
そっと、そこに手をやって見ると出てきたのは、昨日湖岸の洞窟で見つけた金属棒だった。その棒切れはリューザがこれまで見てきたよりも、さらに青く輝かしい光を放っているのだ。
そして光が限界の煌きにまで達した瞬間。その青い光に共鳴するかのように、二人の目の前の壁が一面に青い光を放つ。
「何なのよ! 一体どうなってんの!?」
「わ、わからないけど……。ブレダ、下がって!!」
リューザは咄嗟にブレダを後方へと押す。
「ちょっと! いきなり押さないでもらえる! 転倒したらどうすんのよ!」
ブレダはそう言った瞬間、眼下の光景に息をのむ。
青く光り輝いた壁が音もなく崩れ散ったのだ。
「もう! 奇々怪々すぎて意味わかんない!! どうなってんのか説明しなさいよ!!」
「この先に進めっ……てことなのかな?」
「そういうことを聞いてるんじゃないわよ!!……まあいいわ。なんだかここでうだうだ言い合ってても結論が出てきそうにもないし」
リューザが手元を見てみると、彼の持っていた棒切れはまるで役目を終えたかのように朽ち塵と化していった。よくよく辺りを見ると再び自分が暗闇に立たされていることに気が付いた。
「消えちゃったよ……」
「役目を終えたら、明かりとしても使えなくなるだなんて、まあ役立たずなガラクタね!」
悪態をつきつつもブレダは扉の先へと前進する。
「あら?なんか奥の方に明かりが見えない?」
ブレダにそう言われ、彼女の視線の先を見ると確かに揺ら揺らと仄かに揺れる炎の影が見える。
「ほんとだ。もしかして先客でもいるのかな?」
「それはちょっと怖いわね……」
かなり天井が高く広い大部屋のようだ。床を見ると部屋の中央を中心とした円形上に不思議な文様がいくつも層を作るようにして広がっている。そして、天井にはいくつもの篝火が浮かび上がっている。部屋の広さに合わないその弱々しい光はむしろその空間の荘厳さと神秘を増させていた。
「さっき見えたのはあの篝火の光だったのね、でもあんなに高いところ、どうやって火をつけたのかしら。そもそも、火が灯されてるってことはやっぱり誰かいるのかしら? ここまで来てそんな感じは一切しなかったけど」
「わからない……でも、人の気配がしないよ。それに、ここに入ったのは僕達が最初な気がする。なんとなくだけど」
そして、リューザは大部屋の中心部、そこにまばゆい光を放つ謎の物体を見た。いや、物体というよりは光そのものと言った方がよいのだろうか。
「なんだろう、あれ?」
リューザはそこへと徐に詰めかけていく。
「ちょっと! リューザ!」
赫灼の光。人智を超えた美しさで煌きを放っている。
リューザはその神々しい光にそっと右手を伸ばそうとしたところで、突然、反対側の手を後ろから掴まれてはっと正気になる。
「ちょ、ちょっとアンタ何考えてる訳!? こんなの絶対おかしいわ! 変なガラクタで扉が開いたり、不気味な紋章があったり、この訳のわかんない光だってそうよ……とにかく、この神殿何か変だわ。今度こそは一旦引き返しましょうよ」
たしかにブレダの言う通りだ。このまま、二人で未知の光へと進んでいくよりかは村の大人たちに伝えた方が無難な選択だろう。
しかし、今のリューザにはこの先へと進む理由がある。地上の広間で見た文字のような記号の羅列……、この期を逃したとなればアルマの消息を得るためのチャンスを失うこととなるかもしれないのだ。仮に一度村へ帰った時、再びこの場所に戻れる保証などどこにもない。
そして、アルマの消息を辿ること以上に彼を光の向こうへと駆り立てるものがあった。それは、彼の冒険に対する憧れと執着心とも言い換えられるほどの飽くなき探究心である。
そのとき、リューザはふと気づいた。自分の中で今にも破裂しそうなほどに煮え張った情熱が湧いて出てくることに。
謎深き神殿内に眠る未知の世界への扉。
それだけでも、リューザの好奇心を満たすだけには十分すぎるのだ。
「ねえ、今じゃなきゃダメなのかしら?」
沈黙の後、ブレダが尋ねる。
「わからない......でもこの光今にも消えてしまいそうなんだ」
「そうは見えないけど」
「わからないよ……。ボク達がここを離れれば消えて二度と光を放たなくなってしまう気がするんだ」
「わからない、わからないって。アンタ、ここに来てからそればっかりじゃないの!! 感覚でものを語るのはやめなさいよ! こっちまでおかしくなりそうだわ!!」
「ごめん。でも、何かがボクを求めてるんだ。そして、この先にその答えがある……」
すると、ブレダが声を張り上げる。
「いいわ! ならアタシも行くわよ!」
「ええ!! 大丈夫? 怖くない?」
ブレダの反応にリューザは驚きを見せる。
「ふんっ! この先に何か楽しいことがあるとして、アンタだけがその楽しみを独り占めするなんて許せないもの。楽しいことは分け合わさせて、嫌なことは押し付ける、それが私の流儀なの!」
ブレダのいつもどおりの態度にどこか励まされる。これは彼女なりの気遣いなのだろうか。不安で満たされた気持ちが少しだけ軽くなるような気がした。
「そっか……へへっ、ありがとう」
「ちょ、ちょっと!ここで『ありがとう』はおかしいんじゃないの?……と思ったけど美人で可愛くて賢い私がついていってあげるんだから感謝されて当然かしら」
「うん、そうだね」
いつもと変わらぬ姿を見せるブレダを見ていると、リューザの不安も少しずつ収まっていく。
「よぉーしっ!それなら、もう躊躇ってないでさっさと行っちゃいましょう。一歩踏み出したら迷ってたことなんて全部バカバカしくなっちゃうわよ」
気合を入れるブレダにリューザは図らずとも心のうちに表れたことを口にする。
「でも、村のみんなに一筆寄越した方がいいかな……。あんまり心配させたくもないし……」
「しょっちゅう迷惑かけてるアンタがよく言うわ。仕方ないわね......。いいわ、このアタシがアンタに代わって手紙をしたためてあげる」
「本当に! でも、村で文字の読める人って……」
「うちのパパは文字を読めるから安心なさい」
「そっか。じゃあブレダ、お願いしてもいいかな」
「そうね、今生の別れになるかもしれないんだし」
ブレダの言葉にリューザは悄悄とした表情を見せる。
「そんなこと言わないでよ......ブレダ......」
「ちょっ! 冗談よ冗談! 何真に受けちゃってるわけぇ?」
ブレダはリューザを笑って揶揄う。
「そっか、そうだよね......。ごめん、ブレダ」
ブレダは石壁の比較的平らな部分を見つけると、そこに紙を張り付けてペンで書きつけていく。
「アンタは何か書いておかなくていいの?」
「"今生の別れ"にするつもりはないからね」
「まあ、随分と楽天的なのね。頭のおめでたいアンタらしいわ」
ブレダはその紙切れを紐で結んでマリエットに括り付ける。
「いいこと? これをアタシのパパに送り届けるのよ」
マリエットはブレダに諭されるようにそう言われて床におかれると、広間の床を瓦礫を避けながらマリエットは駆けていく。広間の入口でブレダの方を一瞥下かと思うと扉を抜けていってしまった。
「ちゃんと届けてくれるかな」
「安心しなさい!うちのフェレットちゃんはあんたなんかよりも全然お利口なんだから!」
リューザは光の方へと振り返る。神々しく神秘的な何かがそこにはあった。
「ブレダ……準備はいい?」
「ええ……あっそうだわ!」
「どうしたの?」
「あんた、わかってるでしょうけど、もし私が少しでも危険な目に遭ったら直様あたしのことを守るのよ。せっかく一緒に居てやるんだから、それくらいの責任は持ちなさいよね!」
「はいはい分かってるよ、お嬢様」
緊張感を崩すようなリューザの普段見せない妙なキザったらしさにブレダは口を曲げて苦い顔をする。
リューザの期待は不安とともに高まっている。むしろ、今感じている未知への期待は不安なんて覆い隠してしまう程にまで膨らんでいるのかもしれない。
――ごめん、父さん……約束は果たせそうにないや。母さん……少しの間、心配かけるね……。
リューザは一歩ずつゆっくりと踏みしめて光の中へと歩き出す。二人が完全に光りに包まれたとき、ブレダがリューザの裾を軽く引っ張られているのに気づくこともなく彼の意識は遠のいていた。
だんだんと光が輝きを失い始める。そして輝きが完全に失われたその時、大広間の空間から二人の姿は跡形もなく消えていた。
広間を照らしていた蝋燭は燃え尽き、神殿内には水の滴る音が響き渡った。
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