第六十一話 ジュノ編 ~星映る水面~

「はあ、仕方ないわね……。アンタってアタシと似て一度言い出したら、人のこと全然聞かなくなっちゃうものね。いいわよ、もう勝手にすれば。ただやるからには手ぇ抜くんじゃないわよ? ここが正念場なんだから、男なら意地を見せなさい!」


 ブレダに今夜の討伐に参加するむねを伝えると、らしくもない渾身の自虐とともにリューザを罵倒し激励した。彼女は腕っぷしは強いが、野犬や狼が苦手という理由で討伐に行く気は全くないらしい。しかし、闘争本能は剥き出しになっているようで、少しだけ興奮気味だ。普段なら絶対に言わないようなことを口にして、冷静さも少し欠いている。それはまるで、酒で酔っぱらった漁夫のようだった。


 それでも、別れ際に少しだけ不安げな表情を見せたので、リューザは彼女を励ます言葉を言った。すると、彼女は顔を真っ赤にしてリューザの背中をバシバシと叩いてきたのだ。背中は蚯蚓みみず腫れになりかけたものの、いつもの彼女の姿が見られて少しだけ安堵の気持ちがわいてきた。




 そして、討伐準備をしているうちに、辺りはあっという間に夜闇に包まれていた。暗がりの中、篝火かがりびを持つ者たちが村中を駆け回って、討伐への最後の準備をしている。ありったけの木材が村の中央へと集められる。


 リューザは、ひとまず手伝いを終えると、村のはずれにある小川の方へと向かっていた。暫くの間、心を落ち着けたかったのだ。

 

 しかし、漸く河原に差し掛かったところで、リューザはその縁に一人の影を見つけたのだ。

 気になって、その方へと進んでいくと、そこにいる人物が誰であるかはすぐに分かった。


「ラミエナさん……」


 一人、小川の淵に佇み、彼女は夜空の煌々とした星々を写し取った水面を見つめていたのだ。そして、水辺に向かって岸に跪き、右手を川の水につけている。リューザが声をかけると、彼女は誰も来ないと思っていたのか少し驚いた表情で振り返ってきた。


「あら、リューザ君だったのね」


「どうしてここに?」


 少し安堵した表情を浮かべるラミエナにリューザは問いかける。


「ジュノの森と密林の境にある大河を見たでしょう? この川はあの大河の支流で下流で合流しているのよ。以前は人が亡くなるとあの大河へ水葬したらしいわ。今はあちらへ近づけないから、この支流へと遺骸を葬っているの。川が死を連想するのは、この村ならではなのかもしれないわね」


 それを聞いてリューザはハッとする。恐らく彼女の言っている『死』というのは、狼と干戈を交える中で命を落とした人々、特に親しかったナハトのことを言っているのだろうということに気が付いたからだ。


「満足に弔ってもあげられないから、今はこうしてここで彼が次の世へと無事辿り着けるように祈っているのよ」


「次の世……」


 転生という概念自体はフエラ村にも、あったが親しみがなかったため、ラミエナの口から出た『次の世』という言葉はリューザにとってとても新鮮に感じられたのだ。


「ボクも一緒に祈ってもいいですか?」


 ラミエナの隣へと歩み寄りながら尋ねる。


「あら……誰のことを祈ってくれるのかしら……?」


「戦いの中で亡くなった友と討伐隊の皆さん…………それと狼たちのことも……」


 そう言ったところでリューザは思わず口を抑える。彼女の恋人の敵である狼に弔いを示すなど、本人の前でするにはあまりにも心無いことだ。せめて、正直にいうべきではなかったとリューザは心の底から後悔する。


「もし気分を悪くされたのなら、ごめんなさい。……ただ、どうしてもボクたちも狼も同じこの世界に生きとし生けるもの。そんな彼らを間接的にも殺めてしまったことはとても心苦しくて……」


 ラミエナの顔色をうかがいながら、慌てて弁明をするリューザに対して、彼女は怒りを表すどころかうっすらと笑みを浮かべた。


「そうね、きっと、死んだ狼たちも天で報われているはずよ……」


「怒ってはいないんですか……?」


「ナハト、それに村人を殺した狼 でも、あなたの言っていることは正しいことだと思うわ。それに、私たちにだって十分落ち度はあるわよ……」


 ラミエナは片膝をついて、再び手を水面に突き入れる。そしてそれを真似するようにしてリューザも彼女と同じように右手を河の中へと挿入するのだった。


 川の水は冷たく、手を入れた瞬間に身体が震えあがりそうになったが、すぐにそんな感覚は薄れていった。小川の向こう側の暗闇を背後の村明かりが仄かに照らしている。

 目を閉じれば、静かな川の潺と虫の音が耳に入り、さらに耳を澄ませば遠くから村人たちの討伐準備の声が聞こえてくる。


 暫くして彼女はリューザの方へと顔を向ける。


「ねえ、一つだけ聞いてもいい?」


「なんですか?」


 いきなりのことで驚きつつも、リューザは彼女の言葉に答える。


「彼は最後、あなたになんて言っていたの?」


「村の者には悪かったと……、もし皆がこれからのことで迷っているのなら背中を押してほしいと、そう言っていました」


「そう……」


 静かにそう言う彼女に対して、リューザは再び失言をしてしまったと思い、また取り繕おうとする。


「ああ、ごめんなさい。他にも……」


 そう言うリューザに対して、ラミエナは眉を寄せて軽く笑いかける。


「いいのよ、そんな風に気を使わなくて。あなたは、彼の言葉を継いでそれを私たちに伝えてくれた。それに私が好きになったのはそういう人なんだもの。いつだって自分よりも、誰かのため、彼はそういう人だったわ……」


「ラミエナさん……」


「私と彼はね、この村での幼馴染だったの。村の掟で、一族は村外へ出ていくことは許されていなかったから、彼は私の同世代の数少ない友人だった」


 彼女の言葉にリューザは、自身とブレダを重ね合わせる。


「それに私たち、幼い頃に両親を失っていたから、どこかお互い親近感を覚えていたのかもしれないな。狼との諍いはもう七年に渡るのかしら。そういえば、マジェンダへの道が閉ざされたばかりだった七年前のあの時は酷いものだったそうよ。私が覚えているのは父を含む多くの村人が亡くなったことだけだけれど、狼の力量を完全に甘く見積もっていたみたい。討伐に向かったメンバーはほぼ全滅、生き残った人たちも帰還した時には虫の息だったと聞いているわ」


 リューザは彼女の話に言葉を失う。この村と狼との因縁という物は想像以上に深いものになっていたのかもしれない。長い時を経ても、家族や友人を相手に殺された者の怨みは募りに募り、次の争いをまた生み続けていくのだ。


 ラミエナは続ける。


「それにね、お母さんも私が幼い頃に"陰人族いんじんぞく"に襲われて殺されちゃったのよ」


「"陰人族"、ですか?」


 聞きなれない言葉にリューザが首を傾げる。


「黒い影の姿をしている生き物よ。とても人間とは似ても似つかない、不気味な姿をしているけれど、"魔術"や"生物"に精通している人たちによれば、それは人に近しい存在……っていうことらしいのよ」


 人間とは似て非なるもの。彼女の話しぶりからするに人の姿をした影というわけでもなさそうだ。


「それが、この村に……?」


「ええ、どこからともなく現れて村を荒らして回ったの。もう村は大混乱だったわ。あの頃は陰人族なんて存在を誰も知らなかったし、あの年は不作だったから、今ほどではないけれど食糧も底をついていたし……。でも、近づいてしまえば、また、襲われてしまうかもしれない……。その後で、村へ来たニファ様がその陰人族の暴走を抑えて、なんとかその場は収まったのだけど……」


「それで、陰人族の方はどうなったんですか?」


「ええ、ニファ様でも だから、"陰人族"自体の力を"魔術師"に宿らせることによって封じ込めようとしたのよ。そして、その"魔術師"に選ばれたのがギャレット。彼の首に巻き付いている黒い影がそれよ」


「ええっ!?」


 確かにギャレットの首の黒い影は不気味なものではあったが、まさかあれが命を持ち、さらにそんな逸話を持っていることなどリューザには想像もしていなかったのだ。


「今はギャレットが力を制御しているからほとんど害はないのだけれどね……」


 ラミエナは静かにそう言うと、また水面へと目を移した。


 祖父ガストルを残して、全てを失ったラミエナ。その瞳には哀愁と落胆が交互に見え隠れしていた。彼女は自身に課せられた運命を呪っているのだろうか、よりにもよって愛した人物が人一倍責任感が強く、自信が戦いに赴くこと以外に考えのないナハトであったことを後悔しているのだろうか。


 彼女の横顔を見ながらリューザの胸にふっとそんな感情が湧き上がってくる。 


 と、その時。


「探しましたよ、リューザさん!」


 振り返ると、そこには華奢な姿のクレルがちんまりと佇んでいた。どうやら慌てた様子で、リューザに討伐隊の出発を伝えに来たようだ。


「ああ、ごめん。そろそろ出発だね」


 立ち上がったその時、ふとクレルの後ろに一つの影があるのを見つける。そして、その影の持ち主を見た時リューザはハッとした表情を浮かべた。


「あれ……君は……」


 そこに立っていたのは、討伐初日に同じ部隊にいたパンタローナだったのだ。リューザが声をかけたのに気が付くと彼女は小さく言葉を発する。


「私も……」


「え……?」


「私も……私も、討伐に向かわせて欲しいの」


 その言葉に、クレルとラミエナは意外そうな顔を見せた。


「でも、パンタローナさん……。あなたは……」


 クレルが小さな声で呟く。恐らくは彼女のことを心配して止めようとしているのだろう。


「ずっと、ここで待っていることなんてできない。また誰かが、エヴのようになってしまうのが嫌よ!」


 身体を大きく揺らしながら彼女は叫んだ。上半身をくの字に曲げるようにして必死に叫ぶ彼女の声は、風に揺れる鈴の音のようだ。


「それなら、ボクと一緒に行こうよ」


 そんな彼女にリューザは手を伸ばす。彼女は驚いた表情で顔を上げる。


「えっ……!」


「ボク、狼と戦うのはやっぱり今でも怖い。でも、もっと怖いのはボクの力が及ばなかったせいで仲間が死んでしまうこと。ナハトさんのことだって、ボクにもっと力があれば……って。誰かを守りたいって想いはきっと形になる。綺麗ごとなんかじゃないよ、そういう強い気持ちは力になるんだ。ボクからもドンガさんにお願いしてみるよ。とは言っても、あの人ならきっと了解してくれると思うけどね」


「リューザ……」


 パンタローナもリューザが隊を励まし、背を押したことは聞いていた。正直、始めは彼なんて背も低く気弱で、戦いなんてまっぴらだと思っていた。しかし、実際にはそうではなかったのだ。幼馴染を無残な姿にされて、嘆いていた自分。


 同朋が戦いの中で死んでしまった哀しみは同じなはずなのに、そのことを顧みずに逃げ出そうとしていたことを彼女は心の底でずっと恥じていたのだ。


 それに比べて、彼女はリューザをどこか羨ましく思っていた。彼は一度は折れたが、それを還元して自身の力にしていたのだ。そのきっかけが何であったかはわからないが、彼には何物にも潰しがたい強さがあるように感じられたのだ。


 見上げた顔は、何処かあどけなく、邪気の一つも感じられない、少し間の抜けたような顔だった。しかし、今の彼女にはそんな彼の顔が心強く思えた。


 パンタローナは伸ばされた手を取る。リューザが強く握り返した手が少しだけ頼りがいがあるように感じられた。


「ありがとう……」


 小さく、しかしはっきりと呟いたその言葉に、リューザは歯を見せてにんまりと笑って見せた。


 辺りをうかがっていたクレルがリューザたちに声をかける。


「このまま川に沿って岸を下っていきましょう。恐らく他の討伐隊の皆さんとはそこで合流できるはずですよ」


「それじゃあ、あなたたちが無事に帰ってくることを祈っているわね」


 寂し気な様子でラミエナがリューザたちにそう言う。彼女も心中不安で仕方ないのだろう。真っ向からの争いに犠牲はつきもの、ここにいる三人だって帰ってくる保証はどこにもないのだから……。


 しかし、リューザはそんな彼女の不安を吹き飛ばすくらいの気の良い声を返した。


「はい、きっと帰ってきますよ! 今度こそは誰一人欠けることなく! ……えっとそれじゃあパンタローナ、クレルも行こうか」


 小川に沿うようにしながら、下流に広がる西の森の方へとリューザたちは足を進めていったのだった。


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リューザの世界紀行 長倉帝臣 @harunosato-johnsonlong

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