第二十七話 シフォンダール編 ~ビスケット~

 エッゼの宿に戻り、中に入るとロビーの明かりは消されてすっかり閑散としていた。テーブルの合間を縫うようにして奥の階段の方へと向かっていくと、テーブルに突っ伏したまま寝入っている人物と幾度かすれ違った。



 床にはゴミやら客の荷物やらが散乱していて、暗がりを歩くのもままならない。リューザはそれらで、こけないようにランプで足元を照らしながら細心の注意を払って進んでいく。



 そしてなんとか階段を上り切り、二階の廊下の突き当りまで来ると、ブレダのいる部屋への扉を音を立てないように慎重に開け放つ。



 ブレダはベッドに仰向けで静かに寝息を立てているようだ。その寝顔を覗き込むと非常に穏やかな表情をしていて、リューザは安堵で胸をなでおろす。


 控えめに言っても、この宿泊所の環境は最低だ。部屋は狭いし、備え付けてあるのはベッドだけで荷物を仕舞える場所すらない。しかも、時折隙間風が吹いてくるほど脆い造りになっているのだ。 



 ブレダが横になっているベッドも粗末なものでとても寝心地の良いものだとは思えない。しかし、昨日まで野宿をしてきたことに比べれば、満足できるものなのだろう。


 ブレダの掛け布団が腹のあたりまで下がっていたので、リューザは首元まで掛けなおしてやる。



「おやすみ、ブレダ」



 そう言うとリューザは床に右半身が下になるように寝転び、袋から取り出した衣服を掛け布団の代わりに自身に被せる。



 そして、ふとハンフリットとの会話を思い出す。彼は王国への関所が封鎖されていると話していた。もしそれが事実であるとしたら、彼の話を聞く限りこのシフォンダールを囲む崖に阻まれた大地"巨人の足跡"は完全に他の土地から切り離された、謂わば隔絶された土地だということになる。


 これは本格的にまずい事態に入っているということはリューザにも分かる。関所まで行って取り合ってもらうのはどうだろうか。いや、その前にこの町で"解術師"と呼ばれる人物を探すのが先だろうか。状況の変化に戸惑いながらも、リューザは足りないと自覚する自身の頭を必死で回していく。



「ふわぁぁぁ……」



 考え事をしているうちにリューザは大きなあくびをしてしまう。気付けば外では朝日が顔を出し、町を照らし出そうとしていた。



 空の色が変わり始める頃、リューザは自身の眠気に身を委ねていくのだった。





「リューザ」



 どこかから声が聞こえてくる。眠りを覚ます声。リューザは目を覚まそうとするが体が言うことを聞かない。瞼を開く力すら沸かない。


 そうして、端から見れば無反応の様子でいると、突然。



「いい加減に起きなさいよ、この怠け者!!」



 その声とともに頬に痛みが走る。



「ぎゃあぁあぁ!」



 悲鳴を上げながらリューザは上体を起こすようにして飛び起きる。隣を見るとブレダが床に膝をつけて座り込んでいた。どうやら彼女がリューザの頬をキツく抓っているようだ。



「はなひて……」



 リューザがそう言うとブレダはゆっくりと手を離していく。



「全く、いつまで寝てるつもりなのよ。何度呼びかけても起きる気がしなかったわ」



 ブレダの言葉を聞きながらも、リューザは寝ぼけ眼を擦りながらあくびをする。



「あれ……? 今って……」



「もうとっくに朝は過ぎてるわよ。さっさと町に出て"解術師"の手掛かりを探しに行きましょう」



「そうだね……ふわぁぁぁ……」



 リューザは再びあくびをしながら答える。



「あら? アンタったら随分と眠そうね」



「ごめんごめん、昨日は遅くまで起きていてさ」



「あっそう」



 ブレダがあまりに素っ気ない対応をするので、いつものことながらリューザは少し縮こまってしまう。しかし、その直後リューザは思い出したようにブレダに話しかける。



「そうだ。ブレダ、昨日の夜、外を歩いてたらビスケットを貰ったんだ。はいこれ、あげるよ。昨日はほとんど何も食べられてなかっただろうからね」



 そう言ってリューザは上着のポケットから、昨夜ハンフリットに貰ったビスケットの入った布を取り出しブレダの方に差し出す。



「ふん! 献上品だなんて、アンタにしては気が利くじゃないの! 褒めてあげるわ。うふふ、たまには僕しもべを褒めてあげるのも主人の役目よね」



 すっかりご満悦の様子のブレダはリューザの手から布を受け取ると、早速布の覆いを広げると数枚のビスケットが出てきた。ブレダはその内の二枚のビスケットを手に取ると、リューザの方に手を伸ばす。



「これはアタシからのご褒美よ。まっ、ありがたく受け取ることね」



 その言葉にリューザは目を丸くさせる。しかし、驚いた表情を見せた直後リューザは嬉々とした表情で彼女に向き直るのだ。



「へへっ、ありがとう。ブレダ」



 そう言うと、ブレダから手渡されたビスケットの一枚をリューザは口に含む。甘いビスケットの味が口の中に広がる。


 ふとブレダの方を見て笑みを浮かべながら目をやる。彼女もまた、ビスケットを食べていたのだ。そして、目が合うとブレダはツンとした表情で目を逸らしてしまうのだった。



「それじゃあ、アタシはこれから着替えるから、荷物の整理が済んだんだったらさっさと出て行ってもらえるかしら?」



「はは……了解だよ。じゃあ、ボクは先に外に出て待ってるね」



 そう言うとリューザはブレダを残して部屋を後にするのだった。

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