第二十六話 シフォンダール編 ~王国の騎士、町の憲兵~

 男はカウンター席についたので、リューザもその隣の席に腰を掛ける。椅子が高いせいか足の短いリューザは足が宙に浮いてしまう。



 リューザが少し気まずい様子で隣を見ると、男は葉巻タバコを取り出して火をつける。


 彼は見ると気障きざたらしい印象を受ける。いかにもブレダが嫌いそうな類の人間だ。もし、ここにブレダがいたとしたら何かと言いがかりをつけて悪ければ喧嘩沙汰になっていたかもしれない。リューザはほっと胸を撫でおろすような感覚になる。



 しかし、男の衣服は酒場にいる他の者のそれとは全く異なるものであり、小奇麗でどこか高貴な印象を受ける。



 煙草を吹かす男とリューザ。この空気の中で口火を切ったのはリューザの方だった。



「あの……」



 そう言いかけたところで、男はリューザの方を半目で見ながらゆるりと答える。



「まあそう気構えるな。俺はハンフリット、ここで会ったのも何かの縁だ。なんか欲しいもんはあるか?」



 ハンフリットがリューザに何かを驕ろうとするが、リューザは思わず遠慮気味に断ろうとする。



「いえ……結構です」



「子供が遠慮するもんじゃないぞ」



「えっと……ならクッキー……みたいなお菓子はありますか?」



「ああん、クッキーだぁ? ビスケットならあったと思うが……。おい、ご主人! ビール! あとビスケットを頼む!」



 カウンターの奥にいる酒場の主人に向かってハンフリットが叫ぶ。



 直ぐに店の主人が出てきてジョッキに入ったビールと布に包まれたビスケットが目の前に置かれる。リューザはビスケットをそっと上着のポケットに忍ばせる。


 一方、ハンフリットは早速出てきたジョッキを手に取ると傾けて一気に飲み干す。かなりの酒豪のようだ。かなりの量を吞んだにもかかわらずハンフリットは顔色一つ変えない。


 彼は、「カーーーーッ」と嬉々とした声を上げるとリューザの方へと顔を向けた。



「ところでお前さん。俺もこの地区に世話になってから長いが、お前さんの姿を見るのは初めてだ。それが、少々気がかりでな。お前さんは一体何者だ? なぜ南の門からこの町へ入った?」



 それが彼がリューザを態々庇ってここに留めた理由なのだろうか。若干の違和感を覚えつつもリューザはそこまで気に留めずに彼に応える。



「えっと……ボクはリューザと言います。ハンフリットさんの言うようにボクはこの町を今日初めて訪れたんです。南の門から入ったのは……えっと成り行きと言うか」



「つまり、この町の南側を通ってこの町へ来たということでいいんだな?」



「はい……」



「成程なあ……それで南方で何か変わったことはなかったか?」



 その言葉に、リューザは自身の記憶をたどる。野犬の襲撃にマルサルとの出会い、人のいない草原に森の廃墟。この地の常識というものはリューザの知るところではない。少し混乱しながらもリューザは何とか答えをひねりだす。



「そうですね。でも、人が一人もいなかったのが気になりました。あんなに広い土地に村の一つもないなんて……」



「そりゃそうだ。この地の南のルートは数百年前に閉じちまったみたいだからな、人が態々住むような場所じゃないのさ。まっ、情報提供に関しては感謝するぜ」



 そんな満足げなハンフリットに対して今度はリューザが仕掛ける。



「ハンフリットさんはどうして南方をそう気にしているんですか?」



「俺は元マジェンダ王国騎士の一員だったからな。一応まあ、ここらの情勢には関心があるんだ。今はこうして派兵先のこの町でこうして憲兵をしてるわけだがな。そうしてこの町の治安を守ってるってことだ」



 その言葉にリューザの中で彼が異彩を放っていた理由の合点が付いた。どうりで、彼が高貴な雰囲気を放っていたわけだ。王国に縁があり、なおかつ騎士であったからこその気品だったのだろう。



 そんな感心するリューザだったが、そこに近くのテーブルに座っていた男がハンフリットの方へ上半身をねじり返して横槍を入れる。



「嘘言え。マジェンダ直属の憲兵も今はすっかり腐敗しちまったって聞くぜ。お前も横領に加担したか何かで謹慎処分にされたことがなかったか? まあ、それもそう長い期間じゃあなかったようだがな」



「それは仕方ないだろ。憲兵を取りまとめてた王国がいなくなっちまったんだからよ。あとは雪崩のように瓦解していくしかないぜ。こうして憲兵の形を保っていくってだけで精いっぱいだ」



 ハンフリットはそう言い返すが、向こうのテーブルの男は呆れ気味だ。そして、今度はリューザが疑問を投げかける。



「そういえば、さっきこの町に来た時にマジェンダ王国がこのシフォンダールを裏切ったという話を聞いたんですけど、それは事実なんですか?」



「まっ、王国からの一切の連絡が途切れたのは、王国が裏切ったからってのが専らこの町での通説だな。だから、王国出身の俺はそれだけで疎まれてんだ。それでも、どんなレッテルを張られようがこうして居場所を提供してくれる場所はあるのだがな」



 やはり、王国がこの町を見切って関所を作って出入りを封鎖したというのが正しいのだろうか。しかし、そんなことをする意味が王国側にあったのだろうかという疑問が残る。この町に多大な投資を行い、さらに自国の騎士を憲兵として派遣するほどにマジェンダ王国はこの町を重要視したように思える。なぜ重要視したのかはわからないが、少なくともそこまで尽くしてきたシフォンダールを見捨てるのは王国にとって大きな損失につながってしまうのではないか。



 もしや、王国側でこの町の人が知りえない不測の事態が起こったのではないだろうか、あるいは……。



 リューザが考えを巡らせる中、ハンフリットは話を続ける。



「マジェンダへの関所の先にある橋は、この岩壁に囲まれた一帯で唯一外部に出られるルートだ。王国はそこをなんの前触れもなく塞いじまった。この町の連中はそれが一番気に食わないんだろうよ。おかげでこの町は崩壊しかけてる。王国の裏切りって罵られるのも当然だ」



「本当にそうなんでしょうか……」



「さあな……結局王国に直に理由を問いたださなければ真意は知りようがない。こちらから王国への連絡通路が閉ざされた以上、万事休すだな」



 周りを見れば人の数も着た時よりはかなり減っている。皆、各々の住処に帰っていったのだろうか。酒場の中にはそのままテーブルに突っ伏したまま寝入った者も何人か見受けられる。リューザもそろそろお暇しようとハンフリットの方に向き直る。



「そうなんですね……。色々教えてくれてありがとうございます。あと、ビスケットごちそうさまです」



 リューザがそう言った時、ハンフリットはカウンターに頭をもたれかけてすっかり寝入っていた。もうそんな時間なのだろうか。恐らくブレダもすでに眠ってしまっているだろう。リューザは扉を開けると夜闇の道を宿の方へと戻っていった。


 夜はまだ明けない。リューザは少し急ぎ足で歩いていくのだった。



キャラクター紹介




ハンフリット 29歳、気障たらしい雰囲気を持つ男。現在はシフォンダールで憲兵を務めている。

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