第四十二話 ジュノ編 ~討伐の朝~

 淡い色の世界にリューザは再び立っていた。目の前に広がるのは土色に濁った大河だ。川は流れこそ速くはないものの、その幅の広さは圧巻で勢いを感じる。川の上流と下流を見渡しても橋の一つもかかっていない。向こう岸まで泳いで渡るとなれば至難の業となることだろう。




 対岸には木々が犇めき合うようにして並び立っていて、さらにその奥を見れば山々が険しく連なっている。霧がかかっているせいか、肌寒さを感じる。




「もう、兄さん。遅い! おばさんが怒っていたわよ!」




 川を見つめるリューザだったが、突然此岸から人の声が聞こえてくるのでリューザが咄嗟に振り返るとそこには二人の子供が川岸に立っていた。今言葉を放ったのは少女、そしてもう一人は少年のようだ。




「悪い悪い……ジャッキーといたら、ついつい時間を忘れてたぜ」




 少年が頭を右手で掻きながらそう言う。




「全く……少しは反省してよね……。兄さんが帰ってこないと私だって巻き添えで叱られるんだから」




 少女が呆れ顔で呟いた時、少年がふと霧のかかっている方へと叫びをあげたのだ。




「ああ! ジャッキー!」




 少年の呼んだ先に目を凝らしてみると濃霧の中から黒い影が彼らの方へとゆっくりと向かってくる。そして、霧から出てくるその姿は見覚えのある四つ足に白い毛並み、そして人間の大人を凌ぐほどの巨大な図体。




 今回は近くにいたおかげで、その姿がはっきりと見えた。垂れた耳に大きな目、大きさや迫力に多少の違いはあれど最初の森で見た野犬にそっくりだったのだ。


 リューザが呆然とする中、少女が辺りを憚りつつ少年の方に向けて慌てるようにして声を荒げる。




「もう、兄さん! 大人たちが来たらどうするの? ――と遊んでいるだなんて知られたら二度と森に入れなくなっちゃうよ!」




「悪い悪い。それじゃあ母さんも待ってることだろうし、そろそろ村に戻ろうぜ。ジャッキーまた今度な!」




 少年はそう言いながら、白い野犬へと手を振って此岸の森の中へと少女とともに入っていった。




 二人の姿が森の中へと消えていくのを見届けた白い野犬は空に向かって吠える。その声は山々にこだまして遠くへと響き渡っていき、そして増幅していく。その音はリューザの頭を直接打ち鳴らすほどのものだ。訳も分からず、目の前の出来事に唖然としたままにリューザは意識がだんだん遠のき、視界が狭まっていくのを感じていくのだった。











「どうかしたの、リューザ?」




 夜が明け始めた空が白く染まり始めた頃。リューザは朝霧の中、ブレダとともに討伐隊の集合場所である広場へと向かっていた。薄情な面のある彼女だが見送りにくらいは来てくれるようだ。




 リューザは緑色のフードを目深にかぶり、背にはその小さな体躯には不相応に大きい一振りの剣を背負っていた。この剣は昨日、会議の後で倉庫の管理人に頼んで拝借したものだ。




「あ、ごめん。ボク、何か変だったかな?」




 昨日の夢のことが未だに頭の中から離れない。夢の中に出てきた大型の白い毛並みの野犬、あれはなんだったのだろうか。




 狼……。




 ふと、リューザの頭の中にそんな言葉が浮かぶ。実際には実物を見たことはないがリューザが夢で見たものと、聞いている狼の特徴というのが一致しているのだ。そして、これから討伐するのは図らずも狼……。たかが夢だといってしまえばそれまでだ。




 しかし、リューザには何らかの予感が胸を突いてはなれなかったのだ。もしかしたら予知夢の類でなんらかの関係があるのだろうか、それとも狼に興味を惹かれてその姿を夢の中で具現化させてしまったのだろうか。はたまた全く持って無関係の完全なる偶然なのだろうか。




「ちょっと、ボーっとしてたみたいだけど。アンタ、まだ寝ぼけてるわけ?」




 覚醒しきっていない脳と、不可解な夢とが合わさってリューザは気が抜けそうになってしまう。朝の寒々とした空気と白い霧はリューザの目を覚まさせてくれると同時に夢の記憶を忘れさせようとしてくるので、リューザはどっちつかずの位置に立たされてしまった。




 とその時、村を流れる川の畔に二人の人物が向き合っている様子が見えた。




「あら? あれってラミエナさんとナハトさんじゃないの?」




 霧で視界が少しかすんでいるが、ブレダの言う通り確かにその二人のようだ。討伐隊を指揮するナハトとガストル村長の孫娘であるラミエナ。一体、あの二人があの場所で何をしているのだろうか。




 近づいていくにつれて二人の声が聞こえてくる。どうやらリューザとブレダの存在に気が付いてはいないようだ。




「ラミエナ、こんな朝早くに呼び出して悪かったな」




「当然でしょ。ナハト、しっかりとあなたの役目を果たしてきて」




「もちろんだ。お前のためにも俺は必ず戻ってくる」




 なにやらお取込み中なような二人の所にブレダは後ろからそっと声をかける。




「あーら? お熱いようね」




 ブレダはそんな二人を悪戯な顔で色恋に喜ぶ中年女性のように茶化して見せる。一方でいきなり声をかけられたナハトとラミエナは驚き顔を赤らめる。そして、ナハトは照れるようにして二人に言い放つ。




「全く……お前たちも人が悪い……。いるのなら声をかけてくれればいいものを……」




「ごめんなさい。アタシたちも今来たところなのよ。うふふ、それにしても最高のタイミングだったようね!」




「もう、ブレダちゃん!」




 ブレダが再び彼らを揶揄うとラミエナは顔を赤くして怒ったのでリューザは軽くブレダを窘める。




「まあまあ、ブレダもそのくらいにしたら。ところでナハトさん、討伐隊の方へ向かわなくても大丈夫なんですか?」




「ああ、まだ集合までは時間があるな。どうやら早く来すぎてしまったらしい」




「それなら先に行って、適当に時間を潰しでもしましょうか。リューザ行きましょう」




「俺ももう少ししたらそっちへ向かう。皆にもそう伝えておいてくれ」




 ナハトがそう言うと、リューザはブレダとともに村の広場へと霧の中を進んでいくのだった。




キャラクター紹介




ラミエナ  26歳、ジュノ村の村長ガストルの孫娘、人当たりがよくおっとりとしている。

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