第五十一話 ジュノ編 ~ニファの昔話~

「そうかい……。まあ、無闇に自分の命を削る必要はないよ。あんたたちはまだ若いんだから使命なんて柵に囚われないで自由奔放でいるべきさ」


 解術師の小屋の植物の生い茂る居間の中、ただでさえ足場のない部屋でニファは肘掛椅子にどっしりと腰を掛けている。ブレダとともに小屋に訪れたリューザが村を発つことを伝えると彼女はがっかりとした様子も見せず、鷹揚おうように穏やかな声でそう言った。


「お役に立てず、すみません……」


「私があんたたちの立場だったら、討伐隊を辞退するどころか自分の 少なくとも……私が青二才だった頃だったら十中八九そうしていたね……。今の私だって村への義理で協力しているようなものだよ」


「は? それってどういうことよ?」


 物愁気なニファの様子を見て、思わずブレダが突っかかるようにして尋ねると老婆はキョトンとした顔で答える。


「おや、聞いてないのかい? 私はこの村の人間じゃないんだよ。今はこの村でこうして暮らしているけど、私は"ジュノの一族"の血は流れていないのさ。血統によって一族かどうかを判断するジュノの村人にとって私はゼディックやクレルと同じでちょっとした移民のようなものなんだよ」


「ニファさんも、マジェンダ王国の出身なんですか?」


 リューザが尋ねると、ニファは深く頷く。マジェンダと道を繋ぐ関所の閉鎖によって故郷に帰れなくなったという人は思った以上に多いらしい。もしかしたら、老いた彼女も大切な人と引き裂かれたのかもしれないと思うとリューザは胸が痛くなる。


「ええ。マジェンダ王国に生まれて、私は幼い頃から"魔術"の才に優れていたようでね。天才だともてはやされたものさ。でも、今から思えば碌でもない小娘だったよ。偉大な"魔術師"は本来その才能を世に還元しなくてはならなかったのに、私はそれを怠った。傲慢で自分の"魔術"さえあれば人の心も、世界も簡単に動かせるんだって本気で思っていたんだ。取り返しのつかないことはないとは言うけれど、自分を顧みるに越したことはないわね。今の私ならそう思えるよ」


 リューザがちらりとブレダの方を一瞬だけ見ると、彼女はそんなリューザを睨みつけて「何よ!」と小声で一喝した。

 そんな二人に軽い微笑みを浮かべながら、ニファは言葉を紡いでいく。


「ある時、私は丁度このジュノ村とシフォンダールの間の地で同僚の魔術師が止めるのも聞かずに私は身の丈に合わない魔術を試しに打ってみようとしたんだ。身の丈に合わないと言ってもそっとそこらのもんじゃない。あの頃の私には到底扱えるほどの者じゃなかったんだよ。案の定、"魔術"は失敗。私は片足が使い物にならなくなったのさ。広漠な草原の中、一人で"魔術"を打っていた私は、動けなくなって地べたを藻掻いてずっと助けを求めてたんだ。そんな私を救ってくれたのはこの村の二つ前の長、ガストルのお爺さんだったんだよ。それ以来、私はこの村で世話になることになってね。村での生活は、最初のころは王国で甘い蜜を吸って生きてきた私に取ったら不便極まりないものだったけれど、頼めばマジェンダから書物や魔術に必要な素材が幾らでも移送されてくる。この村にとどまって皆に"魔術"を教えたり、村の者に身を献げたりしているのは若い頃の自分の罪滅ぼしなんだ。そして気が付けばここが私の居場所になっていたんだよ」


「やっぱり、この村の人っていい人ばかりなんですね」


 そう言ってリューザは自分がそんな村を見捨てるような決断を自ら選んでしまったことに心を再び痛める。


「ええ、そうね……本当に……」


 どこか後ろめたさともとれるような言い方にブレダは思わず、思っていることを口にする。


「過去の罪を自省してして誰かのために務めるのもまた、一つの生き方だと思うわ。アタシの場合はそんなことないだろうけど、人間誰しも完璧には生きられないもの。お婆様の生き方は立派なものだと思うわよ。人が簡単に否定できるようなものじゃないんじゃないの?」


 自分の生き方は自分で決めるということだろうか。なんともブレダらしい考え方だ。彼女は少々偏見で語ったり、なんでも決めつけてしまう気質を持ってはいるが、その一方で自分が納得することに対して常に貪欲なのだ。


「あら、ありがとう……。そうね、私はこの村の人たちに会えて本当に幸せだったわ。ただ……心残りがあるとすれば、孫に見せてあげたかったね。あの美しいマジェンダの景色を……」


 哀愁漂うその姿は村中から頼りにされる偉大なる"解術師"ではなく、まもなく人生の幕が閉じようとする老婆、ひいてはたった一人の孫を思いやる優し気な祖母としてのものだった。


「さあ、昔話はこのくらいでいいかね。あんたたちも年寄りの長話で退屈だっただろう。討伐が長引きそうな以上、私も臨戦の準備をしないといけないからね」


 そう言うとニファは懐からリューザの持ってきていた巻物を取り出して丁寧に膝の上で広げる。すると、巻物に持っている不可思議な文字の上で何やら薄紫色の光が放たれていたのだ。リューザはその様子に驚きを見せる。


「綺麗なものね……」


「これは今、私が"解術"して"魔術"が不安定になっている状態なんだ。これをあんたの身体の中に入れ込んでしまうのさ。さあ、手をお出し」


 そう言ってニファがリューザに手を光にかざすように促す。


 促されるがままに、若干の躊躇いながら光に右手で触れると一気にその光が生きているかのようにリューザの中に流れ出す。思わず驚いてリューザは目を閉じてしまったが、不思議と不快感はない。そして、完全に巻物の上にあった光がリューザに吸い込まれたところで漸く目を開く。


「どう? なにか変わりはある?」


 ブレダにそう聞かれて身体中の感覚を研ぎ澄ませてみるが、特に何か変化があったようにはとても感じられない。戸惑っているリューザにニファはにこやかに語りかける。


「確かに身体に変化を感じるようなものもあるけど、この"魔術"はそうでもない。恐らくは使役獣を召喚をする類のものだよ。召喚獣の名を呼び祈ることで顕現する。その名は召喚者であるあんた自身が決めなさい」


「召喚……かあ……。何が出るのかなぁ……?」


 召喚という言葉にリューザは恍惚こうこつな表情になってうわの空になりかける。


「そこまではわからんな。何せ私も初めて目にした文字列でね。少々解くのに苦労してしまったくらいだよ。"魔術"は基本的には脈流が地中を通っている場所であれば無制限に放てる。だけど、時折そうでないものもある。文字列を見たところによると、これはその可能性が高いね。"魔術"は確実な部分よりも不確かな面が大半を占めているから、慣れが必要になってくるんだよ」


「なるほど……」


 半信半疑でリューザは納得して見せる。そんなリューザにブレダが呟く。


「それじゃあ、やることも済んだわけだし。私たちは行きましょう」


「そうだね。ニファさん、色々とありがとうございました」


 リューザは腰掛けるニファに向かって頭を下げる。


「それじゃあ、あんたの旅の幸運をここで祈っているよ」


「ボクも討伐のご武運をずっと祈ります」


 そう言ってリューザが小屋の入口へと赴き扉に手をかけた時、ふとニファが思い出したように二人に声をかける。


「あっ、そうそう。その書物に封じられていた"魔術"はちと特殊なもののようでな。相当強力な”魔術"を放つはずだ。使うときは用心しなさい」 


「ふーん、"魔術"は協力に越したことはないんじゃないかしら? ラッキーじゃない?」


 確かにブレダの意見も一理あるが"解術師"であるニファはこの世界における"魔術"のスペシャリストだ。そんな彼女が言うからにはしっかりとした理由があるに違いない。特に"魔術"でとんでもない失敗を犯してしまった彼女だからこそそう言えるのかもしれない。リューザは彼女の方へと振り返って礼を述べる。


「わかりました。ご忠告ありがとうございます」


 そう言うと、リューザとブレダは椅子に腰かけたままのニファに見送られて小屋を後にしたのだった。


 外へ出ると天候が崩れ出しているのが見て取れた。少し風が強い。昼にも拘らず雲が空を覆いつくして 今にも雨が降り出しそうだ。空の色も相まって、不気味な気配が辺りを包み込む。ここに来て以来、ずっと晴れの日が続いていたために、このような天候の悪化はより一層彼らの不安感を煽ることになる。


「ねえ……討伐隊の人たち、どうしているのかしら。あの中にはクレルもいるのよね……」


 ブレダのその言葉でリューザの記憶の中の彼らの姿が表出してくる。


 討伐隊の皆は無事だろうか。


 リューザは戦地へと赴いていった彼らのことを案じずにはいられなかったのだった。それとともに、自分の行動の正しさを見失いかけそうになるのだった。

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