第五十二話 ~ジュノ編~ 本当の勇気は……

 先ほどからの曇り空からある程度は予想していたが、気が付けばぽつりぽつりと雨が降り出した。大粒の雨粒をうなじに受けたブレダはそのことにすぐ気が付いた。


「やだ! 雨、降ってきたじゃないの!? ちょっとリューザ、アタシの傘になるなりなんなりして、アタシを守りなさいよ!」


「そんなぁ!」


 当然のようにブレダがリューザに無茶ぶりを言う。それに対してリューザはヘタレな声をあげる。しかし、村までの道のりはここからだとそう近くはない。空を見る限りは雨脚も強まりそうだ。


 リューザはふと辺りを見回すと、道から外れた所に


「ねえ、あそこの大木の下なら、雨をしのげそうじゃない?」


「あら、ホントね……。こんな所で雨宿りなんて不本意だけど。はぁ……仕方ないわね……」


 嫌気をちらつかせながらも、ブレダはリューザとともに急いで大木の下へと潜り込む。二人が大木の足元に着いたときには既に森には矢のような雨が降り注いでいた。


「うわぁ……あのまま前進してなくて正解ね……」


「ボク達も運がよかったよ。この大木がなかったらきっと少なからずあの雨を受けてたからね」


 できる限り、大木の幹の近くに寄ろうと二人は大木の地表に出っ張った根を上っていく。


「ああ、そう言えば、アンタが討伐に行ってる間に聞いた話なんだけど」


 ふと、太い根を慎重に上りながらブレダがリューザに話しかける。


「どうしたの?」


 リューザが尋ねると、リューザに前を行っていたブレダは振り返り見下ろす形で彼に応える。


「村の人が言ってたんだけど、村の南西側に行ったところの崖沿いに不可解な祠があるらしいのよ。質素な石造りのものらしいけど、誰が何のために建てたのかは一切不明なんですって。少し村から離れてるそうだけど、この村の人が知っているのだからそう遠くはないはずよ」


「なるほど、祠か……」


 祠と言われて思い出すのは、リューザたちをこの世界へと導いたフエラ村の近隣の森にあったあの神殿だ。短絡的な思考ではあるが、その二つが全く無関係であるという証拠もない。


「村の人も足を踏み入れたことがないそうよ。もしかしたら、そこに私たちが帰るための手掛かりがあるのかも……。どう? 行ってみる価値、あるんじゃないかしら?」


 リューザは元々、この村を出てからは他の村を回るか、もう一度シフォンダールの町を散策しようかと漠然とした予定しかなかったため、ブレダの話はリューザにとってかなり嬉しい情報だ。


「うん……確かにそれは気になるかも……ありがとう、ブレダ!」


「ふふん! とびっきり盛大にこのアタシに感謝することね!」


 リューザが微笑みながら礼を述べると、ブレダは得意げになって、その勢いでリューザを突き放すように木の根をどんどん上の方へと上っていく。しかし、その勢いは突如止まり、その直後。


「きゃあっ!」

 

 いきなり、ブレダが悲鳴を上げたのでリューザは驚いて彼女のところまで駆け寄る。


 そしてブレダの視線の先の大木の張り出した谷の部分に目をやると、そこには一人の男が血だらけで大木に凭れ掛かるようにして倒れていたのだ。


「あの人は……!」


 リューザは根の上から飛び降りて、倒れた男の元へと近寄ってその顔を覗く。


「やっぱり……」


 リューザは彼の顔に見覚えがあった。別の部隊であったため名前までは把握していないが、彼は確か討伐隊のメンバーの一人だったはずだ。


 顔や腕の露出した部分にはいくつかの切り傷が見え、脇腹には一際大きな傷が見える。流血は止まっていて、耳を口元に当てると微かに呼吸音が聞こえる。


「起きてください! 大丈夫ですか!」


 リューザは必死で肩を揺さぶる。


「ぐ……う……」


 すると、暫くして彼は意識を取り戻したようで、薄目を何とか開く。


「お前は……」


「この傷……一体、何があったんですか」


「狼どもの……奇襲だ。奴ら……こっちの探知を潜り抜けて……今度は大河の……此岸に現れやがった。運が悪けりゃ、ここも危険だ……。早く……村に残った奴らに……伝えに行っててくれ……」


「その前に傷の手当をしなくちゃ!」


 リューザが袋の中から傷口に当てるための布を取り出そうとするが、男はそれを止めようとする。


「俺のことは……気にするな。こんな傷で……くたばっちまう程……脆かねえ……」


 そう言うと、男は止血した傷口に手を当ててブツブツと"魔術"を唱え始める。すると、彼のそれまで荒かった息も整い始める。よっぽど詠唱に集中しているのか、口元以外は一切身動きを取らず、目を閉じている。彼自身の言う通り、ひとまず傷の方は心配せずとも大丈夫そうだ。


 それを、確認するとリューザは大木から北側、つまりは大河の方へと顔を向ける。


 きっと、何か奇策を仕掛けてきたに違いない。もし、討伐隊が全滅することになれば、それはジュノ村自体の滅亡を意味することとなる。


 リューザはゆっくりと立ち上がると


「ブレダ、村の人たちに危険を知らせに行って欲しい……」


「ちょっと!? アンタはどうする気なの!?」


「…………」


 沈黙を保つリューザに彼女は引き留めようと猛反発する。ブレダは他人のことにはドライなふりをして、意外と感情的になる節がある。


「やめなさいよ! アンタが行っても状況は変わらないわ、足手まといになるだけよ!」


 そう言ってブレダはリューザの腕を強く握って離そうとしない。腕を握る力が段々と強くなっていく。心なしか、彼女の表情は悲痛だ。


 確かに今のリューザでは明らかに実力不足だ。彼女の言う通り、彼は討伐隊の足枷にしかならないだろう。


 しかし、そんなことでリューザには目の前の悲惨な状況に指を咥えていることなど決してできない。余計なお世話かも知れないし、自己満足のお節介なのかも知れない。それでも、誰かが行動を起こさなければ、失わずに済んだものさえ失うこともある。


 リューザは自身の腕を握ったブレダの手の上からそっと逆の手を添える。すると、それまで梃子でも動きそうにもなかったブレダの手がするりと力なく抜けるのだった。


「ありがとう、ブレダ……。でも、ごめん。無謀だって言われても、愚かだって罵られても、苦しむ人を見捨てるなんてボクにはできそうもないや」


 勇気とは何かを見捨てる覚悟をすること?自分の限界を認識すること……?


――いや、そうじゃない。


 リューザは自身の中で言いようのない感情が湧き上がるのを感じていた。自分にとっての信念を貫き通すこと、それこそがリューザの"正義"なのだ。


 トレードマークの緑色の上着を脱ぐと、それをブレダに渡す。


「それ、村に戻るまでの雨よけにしてよ。効果はあんまりないかもしれないけどね」


「アンタ……」


 何かを言おうとしたブレダを遮るようにして、リューザは木の下を飛び出した。


――本当の勇気は……。本当の勇気っていうのは……!

 

 リューザは降りしきる殴り雨の中、大河の方へと荒々しく盛り上がった森の地面を駆け抜けていくのだった。

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