第五十話 ジュノ編 〜挫折〜

 朝日が高窓から薄暗い部屋の中に舞い込む。その日差しで、部屋の中に一人眠りについていたリューザは目を覚ます。温かいベッドに見慣れた天井。


 気が付けば、リューザはいつの間にか村長の客室に運び込まれていたのだ。


 その様子にリューザは思わず安堵の息を漏らす。


 それでもすぐに今まで見てきた、エッヴィネットやハノンが喰われた姿、狼の凄惨な死に様は酸鼻さんびを極める光景として何度もリューザの頭の中でフラッシュバックする。


 そんなリューザに落ち着いた少女の声がかかる。

 

「漸く気が付いたようね」


 淡々とそう言いながら部屋へと入ってきたのはブレダだ。そんな彼女にリューザが静かに尋ねる。


「ブレダ……皆はどうなったの?」


「安心なさい。三部隊とも村に戻って来てるわ。まあ、犠牲者なしとはいかなかったようだけれどね」


「そっか……」


 ブレダの言葉にリューザは唇を噛みしめる。自分にはどうにもならなかったとは言えど、後悔することは山のようにある。


「それにしても、災難だったわね。アンタの行っていた第一部隊に狼が集中するだなんて。そのおかげで、本当なら日を跨ぐはずが、半日で全部隊が撤退に追い込まれたんだものね。ナハトさんも戦略を崩されて悔しそうにしてたわよ。今日にもまた、討伐へと赴くんですって。アンタは行けそうにもない状態だったから、ここに残してくって言っていたわ」


 ブレダは淡々と続ける。当事者でないからこそ、彼女は普段通りの調子で話せているのだろう。しかし、そんな彼女の様子はから外れたことによって平衡感覚を失ったリューザの心を少しだけ癒やした。


「やっぱりボク、不安なんだ。誰かを傷つけるのは怖い。それは相手が人でない獣であっても……。助けたい気持ちはあっても、剣を振り下ろせなかった。だめだよね……ボク……」


「ホントよ。そうやって言い訳までして、情けないったらありゃしないわ!」


 ブレダのきつい言葉も今のリューザには全て受け止められる。


 それらを黙ってすべて抱え込もうとするリューザにブレダは少し目を伏せて声色を変える。


「でも、あんまり負い目を感じることもないわ。人には向き不向きがあるってだけよ。アンタは剣を交えるのには向いてない。それだけのことでしょ。アンタはアタシさえ守っていればそれでいいのよ。なにかも抱え込む必要なんてないわ」


 そう言われて、ふとリューザは目頭が熱くなるのを感じた。その直後、ポロリと涙が一粒落ちる。一度、流れたその涙はせきを切ったように溢れ出してリューザの頬を伝っていく。


「ごめん……ボクがこんなことで泣いてちゃあだめだってわかってるのに……」


 そんな様子のリューザを見たブレダはため息をつきながら、心なしか普段よりも柔らかな口調で答える。


「アンタは無理しすぎよ。使命感からやってたのかもしれないけど、少なくともアンタに戦うことを誰も強いてなんかいないんだから。これで分かったでしょ? 人には向き不向きがあるのよ。精神を激しく擦り減らせばいくらタフなアンタでも限界が来てしまうわ」


「そう……だね。ガストルさんやナハトさんに隊を降りることを伝えようか。ごめん、ブレダ……迷惑かけて……」


 遂にリューザは弱音を吐いてしまう。しかし、それほどまでに今回の経験はリューザに取って衝撃的なものとなったのだ。自身の深層に踏み入られ蹂躙じゅうりんされる感覚、彼にとっては耐え難い苦痛であった。


「そう……なら荷物を纏めなさい。ニファさんの所へ行くわよ。アンタ、昨日は丸一日惰眠を貪ってたから」


 ブレダはそう言って部屋の中にあった自身の荷物へと手を伸ばしていく。

 そして、ふとブレダが作業をしながら呟く。


「まあ、もし殺すことに慣れて平気で命を奪えるようになったら、それこそ人でなしになっていたところじゃない? アンタがそうだったらアタシは絶縁していたでしょうね。だから、辞退してよかったんじゃない? アタシみたいな美少女と縁を切らずに済んだわけだし。止める決断をするのも、また勇気ってもんよ」


「勇気……か……」


 リューザは彼女の言葉を復唱する。

 確かに今のリューザに足りていないのは勇気なのかもしれない。全てを失いたくないがために全てが中途半端になっているのだ。しかし、今のブレダの言葉でリューザ自身どこか救われるところがあった。


「ありがとう、ブレダ。優しいんだね」


 リューザの言葉にブレダはいつもの高慢そうな表情でリューザを見下ろす。


「アンタが元気ないとこっちまで調子が狂うの。こうやって、丁重に扱ってあげるのは今だけよ。アンタが元気になったら下働きのごとくこっぴどく扱いてやるから。さあ、さっさと準備をして頂戴」


 ブレダに促されるまま、涙を腕でそっと拭うとリューザは部屋を片付けて荷物を頭陀袋に纏めていくのだった。


 



 家主のガストルと孫娘のラミエナに村を発つ旨を伝えると、すぐに二人はそのことを受け止めてくれた。


 そして、別れを述べると二人はニファを訪れるため村の西へと向かっていく。その道中で、ふとナハトとドンガが道端で二人で何やら会話をしているのがわかった。


 もう、討伐隊は出払っているのだろうか。他には誰もいないようだ。


 リューザはナハトのもとへ駆け寄り、事情を話す。


「ごめんなさい、ナハトさん……。口ばかりでお役に立てず……」


 俯いたリューザの落とした両肩を抑えるようにしてナハトはリューザの双眸そうぼうを真っ直ぐ見つめて語りかける。


「過ぎたことを嘆くことはない。お前は精一杯やってくれたんだ。自分を責めるな。あの窮地を生き延びた、それだけでも俺たちには十分貢献してくれたさ」


 こうして、優しくされると余計に辛くなる。彼らを自分の都合で見捨てるような行為にリューザは羞恥しゅうちを感じずにはいられない。


 そんなリューザの感情を読み取ったのか、ナハトは朗らかな顔で語りかける。


「安心しろ。狼のことなら俺達なりにうまくやってみせるさ。君たちの旅が素晴らしいものになることを祈るよ」 


 そう、一言述べると立ち上がって村の西へと向かっていく。


 その勇ましい背を見送るリューザに、その場に留まっていたドンガがふと口を開いた。



「悪いことは言わない、"魔術"を受け取ったら全てを忘れてこの村を去るんだ。誰に言われても答える必要はない。それでお前を恨むようなやつもいない」


「…………」


 リューザには返す言葉もなかった。ドンガに自分が必要ないと言われたときに、リューザの中に反発心が全く無かったと言ったら、そんなことはない。


 しかし、その結果としてこの体たらくだ。自分の情けなさに反吐が出そうになる。そもそもドンガ自身、リューザを部隊に入れるのに反対の立場を取ったのは彼なりにリューザを思いやってのことだったのかもしれないと。今ならそう思える。


 黙り込むリューザにドンガは低い声で続ける。


「いいか……これが現実だ。それを知ってもなお、お前は戦い続けられるのか?」


「…………」


 答えは出ない。それでも、できないなどと軽々しく言うことなどリューザにはできなかったのだ。


「そろそろ行くぞ、ドンガ。皆が待っている」


 先に行ってしまった、ナハトがドンガに声をかけると彼は二つ返事で駆けていってしまった。


 一方のブレダは、ドンガの様子にすっかり機嫌を損ねてしまったようだ。カンカンな様子でリューザに言い寄ってくる。


「何よ! あれが協力される側がする態度なの!? 確かにリューザは雑魚も雑魚だけど、あんな言い方ないじゃないの! もう! ムカつくわね!」


「よしてよブレダ。ドンガさんの言うとおりだよ。ボクは真面に貢献なんてできてなかったんだから……」


 リューザが大人しげにそう言うと、彼の気持ちを組んでかブレダも落ち着きを取り戻す。


「はあ……。まあ、いいわ。さあ、あのお婆さまのところへ行きましょう。"魔術"さえもらえればこんな村に用はないわ」


「うん……そうだね……」


 人がで払っていることもあって、村は閑散としている。今頃、先に戦いへと赴いた村の人達は大河を渡っているくらいだろうか。


 未練を残しつつ、リューザはニファの家に向けてジュノの森へと悲壮感を漂わせながら歩いていくのだった。

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