第四十九話 ジュノ編 ~生きているから~
リューザはハノンの姿を探して森の中を駆ける。
ギャレットやサナと他の部隊員のことも心配だが、今は何よりずっと部隊の方に戻っていないハノンの安否を確認することが最優先だ。
魔獣というのはリューザが想像していたよりも遥かに凶悪な存在だった。ギャレットのような規格外の力を持つ者ならまだしも、"魔術"をそこそこ程度しか扱えない者にとっては、さしであっても分が悪い。
ましてや複数の狼に襲われたら
リューザもサナたちを追って付いてきたつもりだったが、いつの間にかはぐれてしまっていた。しかし幸いなことに、今は狼たちが近くにいる気配はしない。恐らくはギャレットが足止めをしているおかげだろう。
そこでリューザはふと疑問を感じる。
そもそも、この第一部隊が派遣されたこの一帯に潜む狼は四、五頭のはずだ。それは討伐隊を取り仕切るナハトとニファによって予め伝えられていたはずだから事実である。しかし、今の状況を見れば今しがたの急襲だけでも明らかに十頭を下らない狼が姿を見せたのだ。
ニファの"魔術"はちょっとやそっと姿を隠したくらいでは探知されることを回避できない。しかも、ニファによれば今朝もその状態は変わりなかったはずだ。
だから、第一部隊はそれらの残党を叩いて、その後に本来であればこのまま、第二部隊の方へと合流して加勢に回るはずだったのだ。
もちろん、こちら側の裏をかいて、第二部隊側の狼たちがこちら側に流れ込んできた可能性は十分にあり得る。第一部隊の密林東部と第二部隊の密林中央部はそう遠い距離ではない。
しかし、それ以上に何かとんでもない誤算がある気がしてならないのだ。
そんなことを考えていたその時、ふとリューザの視界の端に薄檸檬色の何かが見えた。思わず二度見してリューザはそれが何かを確信した。
なんとそこにはハノンが倒れこんでいたのだ。
ぐったりと突き出した木の根に倒れこむハノンの足に矢のようなものが突き刺さっている。そのせいでその場から動けなくなったのだろう。リューザは彼女に慌てて駆け寄ろうとする。
「ハノンっ!!」
リューザがハノンの名を大声で呼ぶと、ぐったりと倒れていた彼女はいきなり顔を上げて目を剥くようにして叫ぶ。
「来るな!!」
彼女の割れ鐘のような声に、思わずリューザは疾走していた足を止めてしまう。そして、立ち止まった次の瞬間。
ハノンの背後、彼女が倒れこんでいた木の根が張り出てリューザからは死角となっていた部分から突如巨大な狼が現れたのだ。その体格は今しがたまで相手をしていた狼とは全く異質な大きさだったのだ。そして、何と言ってもその毛色が他の狼とは一切異なっていたのだ。
遠目に見える銀色の毛並み。木々の間を駆け巡って差し込む木漏れ日がその色を鮮やかに輝かせる。
そして、次の瞬間、その狼はリューザを殺意の瞳で睨みつけるとハノンを足からマルのみにしてしまったのだ。一瞬悲鳴が上がったがその声はすぐに消える。
「ハノン!!!」
リューザは叫び、銀の狼のところへと向かおうとするも、その後ろの木々の陰から別の狼がリューザの目の間へと飛んで現れ牽制をかける。その間に銀の狼は踵を返して森の奥の方へと消えていく。
ハノンを救わなくては、リューザはそのことに夢中で自身が一人で狼の相手をしきれないということを少しの間すっかり頭から抜けていた。
そうなれば今のリューザにできることは一つだけだ。
リューザは震える手で剣を鞘から抜いて目の前に構える。
両者が相手の様子を伺って緊張感を走らせる中、先に動いたのは狼の方だった。リューザの胴めがけて放ってきた凶器の狼爪を金属音を鳴らせながら剣で受け止め弾き返す。
その直後の隙をついてリューザが狼に剣を振るうが、やはり軽く皮を掠めることすらできない。
その後も、一進一退の攻防は続いていく。
野犬の時と比べれば丸腰ではないものの、やはり体格差と戦いに不慣れであるという点からリューザに利がないことに変わりはない。
幸いなことに、今リューザが相手をしている狼は"魔術"を使ってくる気配はない。魔獣と言っても"魔術"が使えるかというのは、個体によって違うらしい。リューザが人間でも"魔術"を使えないのと同じだ。
とはいえ、打ち合いでは体力勝負となりリューザにとっては不利となる。なんとか打開策を考える必要がありそうだ。
ふと自分の持っている頭蛇袋に手を当てる。大したものなど入っていない。野犬との戦いで役に立った網縄も狼相手では気休めにすらならないだろう。
しかし、そうは言っても他に打開策が思いつかないのだから、物は試しだ。自分の命が危険にさらされている以上は何一つ躊躇ってなどいられない。
リューザは一瞬の隙をついて袋から網縄を取り出して飛び掛かる狼に投げつける。
しかし、狼はそれをいともたやすく千切って潜り抜けて飛び掛かる。リューザは必死な思いでそれを何とか躱す。
やはり網縄では簡単に力技で引き裂かれてしまう。
ならば、何かこの地の利を活かせないだろうか。
リューザは自身の生死をかけた緊張感の中で脳がいつも以上に冴えわたるのを感じた。
ふと、リューザが 大木の根が激しく隆起しているせいか、この辺りは高低差が激しいような地形になっている。
それを見てリューザはある一つの策を思いつく。上手くいくかはわからないが、何通りも方法が思い浮かぶほど頭の回転も速くないのだからこれに賭けてみるしかない。
リューザは覚悟を決める。
一瞬前に出てフェイントをかけると、一気に後ろへと跳んで下がった。そうすると、リューザの狙った通り狼はリューザに飛び掛かってきたのだ。それを避けながらリューザは逃げるように狼に背を向けて後方へと追いつかれないように走っていく。
リューザは今度は引き気味になりながら木の根の突起が張った部分に網縄をそっと置く。そして、リューザの目の前には張っていた根が支えていた気が朽ちたことでできたのであろう大穴がある。リューザはその下へと意を決して飛び込む。
何とか無事に着地をして後ろを振り返って上を見上げると狼が穴の上からリューザを伺っているのが見える。
狼もそれを追って大穴へと飛び込もうとする。しかし、踏み切ったところで狼はバランスを崩してしまう。なんと踏み切った所にはリューザの仕掛けた網縄があり、それが踏み切った後ろ足に掛かってしまったのだ。
すると、空中で体勢を崩した狼は大穴を頭から落ち、地面へと転がっていった。リューザはそのまま受け身を取れずに激しく藻掻く狼のもとへ駆け寄る。そして、自身の持つ剣を力一杯頭上へと振り上げる。
「ごめん……」
苦悶の表情を浮かべたリューザが叫び、高く掲げた剣を振りかざそうとしたその時だった。
「やめてくれ!」
「…………!」
突然のことだった。狼が人語を話したのだ。それは、決して空耳の類ではなかった。明瞭に人間と同じような発生で確実にリューザに語り掛けているのだ。
確かにリューザは魔獣である狼が他の獣に比べて知恵を持っているということはガストルから聞いていたため既知のことだった。しかし、まさか言語を使えるなどとは全く思いもしていなかったのだ。
驚きに狼狽えるリューザに対して狼は命乞いを続ける。
「俺だってこんなことやりたくてやってるわけじゃないんだ!見逃してくれよ!」
狼の目を見るとその悲痛な心情をリューザに訴えかけている。そして、その言葉はリューザの思考を決定的に変えるものでもあったのだ。
敵であろうと殺してしまうのは虚しいものだ。死んでしまえば何にもならないのに……。彼らが生きている、その事実がリューザの胸を突いて離さないのだ。
「やっぱり......無理だよ......ボクには......」
痛まし気にそう呟くと、振り上げた剣を脇に力なく下ろすしてリューザはゆっくりと立ち上がる。その様子に魔獣の死への恐怖は安堵へと変わり呼吸を整えだす。
そんな様子を見ながらリューザは自身の安全も顧みずに狼に背を向けて、小さく言い放つ。
「早く去ってください......ボクはここでは誰とも会っていない......」
草を擦る音が聞こえる。四つ足で立ち上がって走って......、そしていつの間にか音は聞こえなくなった。
これで良かったのか。リューザにはわからない。しかし、彼には狼であろうと命を奪えるほどの度胸も厳しさも持ち合わせてはいないというのは紛れもない事実だった。
生きているものに手をかける罪。リューザにとってそれは決して己自身の秤で判断することもままならない。
もう行ってしまったのだろうか、そう思って振り向くと......。
これで良かったのだと、自分を無理やり納得させようとしていた。
しかし、リューザの思惑は一切外れていたのだ。振り向いた矢先、目の前にあるのは黒い影。勢いよくリューザの方へと近づいているのがわかった。
一瞬、何が起こったか状況の呑み込めないリューザだったが、すぐに焦点が合って眼前あるのが狼の頭部だとわかった。
それは大きくリューザに飛び掛かった先ほどまでの狼だった。リューザに降伏を示すような態度で
――
咄嗟のリューザの判断だったが、それはあまりにも遅すぎた。避ける間もなく狼はリューザを仰向けに押し倒す。地面に打ち付けられたリューザの背の全体に、自身と狼の体重が一気にかかり激しい痛みが走る。
「うっ!!」
呻くリューザを勝ち誇ったような
「そんな……」
リューザは目を剥き狼を見る。
「愚かで甘いガキめ! おめでたい頭のお前にいいことを教えてやろう。そう易々とに誰かの言葉を信じてしまわないことだな。狼だろうと人間だろうと! と言っても、もう遅いか……。お前はもう死ぬんだからな、この俺によって、今ここで!」
リューザはその言葉にすっかり青ざめてしまう。
もがいて逃げようにも体格がリューザの倍ほどある狼の足に押さえつけられているせいで身動きが取れない。
そんな抵抗のできないリューザを嘲笑いながら、狼は鋭い爪を光らせながら片前足を高く上げた。
そして、勢いよくリューザの顔面目掛けて振り下ろされたその足に、リューザは反射的に目を閉じてしまう。
――殺される……!
そう思ったその直後、リューザの顔に降りかかってきたのは狼の鋭い爪ではなく、暖かい液体だった。
傍を見ればいつの間にかここへと来ていたニアが肩で息をしながら立っていた。その手には斧が握られていて、その斧からは何かが滴り落ちているのが見える。
「ニア……さん……?」
何が起こったのか把握できずにリューザはそっと顔に手を当ててみると掌が真っ赤に染まっているのがわかった。
その音のした方を見ると、何やら黒い塊のようなものが見えた。そして、それが何であるかがわかった時、リューザは戦慄した。
狼の頭部だ。
ニアの持つ斧から滴る真っ赤な血、目の前にある狼の頭部とそれを失い力なくその場に倒れこんだ四肢を持つ黒い胴。それらは、今起こったことのすべてを物語っていた。
ちょっと前まで戦い、言葉を交わしていた相手が躯となり惨すぎる死を遂げた。そのことがリューザには信じがたいことだったのだ。
目の前にある狼の頭部は口から白い泡を吹き、血走り光を失った瞳はリューザへと憎悪の視線を向けている。
「ヴ、ヴ、ヴ......ゔわぁぁぁっぁ!!」
目の前で死を実感したことでリューザは遂に耐えられなくなり発狂する。
「リューザ! 落ち着け!」
そんなリューザを、ニアが必死で抑えようとする。しかし、そんな言葉は今のリューザにはもはや届いていなかった。
金縛りにあったようにリューザの身体は動かなかった。それでも、その眼からは哀しみとも怒りともしれない大粒の涙が流れ、口からは狂気の悲鳴が発せられる。
リューザは恐怖と哀しみのなか、意識が遠のいていくのを感じた。気が付けば目の前が真っ暗になっていく。それとともに遠くで、自分のものではない誰かの
段々と意識が
なぜかリューザの耳に聞き覚えのある声。その声の持ち主がいったい誰なのか、そんなことを思い出す間もなくリューザの感覚はすっかり喪失してしまったのだった……。
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