第四十八話 ジュノ編 ~変わりゆくもの~
「あなたたち、そんなに急いで一体どうしたの!?」
部隊のいるところまで戻るとサナは慌てた様子の二人に動揺した様子だ。そんな彼女にギャレットは落ち着いた様子で返答する。
「狼ダ……。狼ガコチラヘ向カッテイル。直グニ戦闘態勢ニ入レ」
こんな時でも、ギャレットは冷静に手短な指示をする。そんな彼を見ていると、彼がいかに部隊長としてふさわしかったのかと思わず感嘆してしまう。
一方でそのことを聞いたサナやそれを聞いていた部隊の皆は途端に焦りだしてしまう。
「狼が!? もう現れたっていうの!?」
その場にいる全員は口々に呟きながら警戒心を高める。ギャレットも今来た道を振り返ってそちらを強く睨みつけている。
しかし、一向にリューザたちを追ってきていたはずの敵は姿を現さない。それどころかこちらへ向かっているという気配すら感じられない。
そのことがリューザの中で小さな胸騒ぎを起こす。あの襲撃は決して陽動などではなかった。敵の姿こそ見えはしなかったものの、ギャレットとともにここまで駆けてくる最中にずっと背後から殺気らしきものをリューザは確かに感じていたのだ。
この静けさがさらに一行に束縛されそうなほどに重苦しい空気を与えていた。
そんな中、奥の木陰から声がする。片手に斧を持ったその青年はニアだ。
「騒がしいぞ、一体なんだってんだ!」
どうやら出遅れてしまったようだ。状況を把握できていないまま、ニアは走ってきたせいで汗だくになって息も切れそうなリューザたちの姿を見て呆れた表情で二人に近づいてくる。
「おいおい、これからだって時に……チビッ子が走り回って体力尽きたらどうすんだ――」
ニアが言い切る間もなかった。
その刹那、リューザは反射的に目の前にいたニアへと、ここまで走ってきた疲労も忘れて力いっぱいにタックルをかまして突き飛ばす。
突き飛ばされたニアは勢いに流されてそのまま後方へと尻もちをついてしまい、タックルをかましたリューザに文句を言おうとする。
「イッテ――ッ! 何すんだ――」
しかし、次の瞬間。
頭上から黒い影がその場にいた一同の中に落ちてくる。
「ひぇっ……」
鈍い音がした。そしてニアが先程までいた場所には樹上で見張りをしていたはずのエッヴィネットが倒れていた。いや、"エッヴィネットだったもの"といった方が正しいだろうか。四肢はあらぬ方へと曲がり、腹は鋭利なもので割かれ内部が見え隠れしている。そして、左肩は食いちぎられたように抉れており鮮血がとめどなく流れ続けている。
「きゃあぁぁぁ!!」
パンタローナがその猟奇的に食い散らかされた彼の姿に悲鳴を上げる。その後ろに立っているサナも仲間の悲惨となった様子に息を吞んで戦慄した表情を浮かべている。
「上カ……!」
ギャレットのその声に森の木々を見上げると白い影が次々と大木を伝うようにして地上へと降り立っていく。
「あれが……狼……」
リューザは初めてみるその姿に恐怖に紛れ驚嘆の声を漏らす。
人間の大人と同程度の大きさの胴に白い毛並み。鋭く長い牙に爪、あれらにかかったら最期、命はないだろう。野犬と比べてもその大きさの違いは一目瞭然だ。禍々しい殺気がこちらに恐れを抱かせてくる。
両者が互いに睨み合った次の瞬間、狼たちの背後から突然まばゆい光が放たれる。その閃光は地を割るような轟きを伴いリューザ達の方へとあり得ないほどの速度で迫ってきたのだ。
そのあまりの眩しさと閃光に飲み込まれそうになる恐ろしさにリューザは思わず目を閉じてしまう。
その瞬間、爆音が鳴り響き爆風でリューザは吹き飛ばされそうになるが必死で近くにあった木の幹のくぼみを掴んで体制を保つ。
爆風が収まり漸く目を開き、前方を見るとギャレットの操る黒い影がリューザたちを守るようにして狼たちとの間に障壁を作っている。リューザがその影を注視していると、影は次第にその大きさを縮めていく。
そして、影のその先には……。
「これって……」
リューザは絶句する。目の前にあったのは抉られて焼け焦げた大木と地面だった。所々で電気を帯びた音を立てながら閃光を今も放っている。そして、その範囲も先程リューザが受けそうになったものとは比べ物にならなかった。
「クッ……。雷砲、カ……」
苦悶の声を上げ片膝を地に付けたギャレットの方を見れば、彼の右腕は手首から肩までが火傷をしたように酷く赤く爛れているのがわかった。どうやら、今の"魔術"を防ぐ際に受けたもののようだ。
「ギャレットさん……!」
リューザが思わず声を上げた時、今度はサナが声高らかに叫ぶ。
「アルフィ・レディアム!」
その声とともに彼女の目の前の地面が隆起して無数の鉄柱が地上へと姿を表す。その鉄柱は、雷砲を放った直後にリューザが気付かぬうちに襲い掛かろうと駆けてきていた狼たちを次々と襲っていった。
狼たちは鉄柱に胴や頭部を貫かれ、その鉄柱を伝って地面へと滴らせて血だまりを作っていた。
リューザにとって目の前の出来事は決して看過できるものではない。普段のリューザだったらきっとそう思っていたに違いない。
しかし、今のリューザには目の前で起こっていることにそこまで混乱せずにすんでいる。なぜだかは自分でもわからない。狼が自分と対峙する存在だからだとか、仲間の敵だからだとかそんな単純なものでは決してない。
それでも愈々戦いが始まったというところでリューザの中で何かが弾けたのだ。戦場における重圧に、平和そのものの中で生きてきたリューザの心はとうに限界を超えていた。
そんな中、部隊長のギャレットは部隊員の一人にそっと指示を出す。
「第二部隊ニ救援ヲ要請シロ。人数ハ二人イレバ十分ダ」
「は……はいっ! わかりました!」
ギャレットの指示があると、すぐに遠距離通信の"魔術"を持つ細身の男アンデルが目を閉じて交信を始める。
「エヴ……エヴ! こんなことに……なるなんて……」
パンタローナはエッヴィネットの異体のすぐ隣で泣き崩れている。もはや彼女に戦う余力は残されていそうにない。
持っている網縄をここでも使おうと考えていたリューザだったが、流石にここではそう上手くもいかなそうだ。敵の数が多いことはもちろんのこと、その体躯の大きさから想像できる怪力は脆い網縄など簡単に引き千切ってしまうと思われたからだ。
リューザは剣を構える。小柄な身体に比べて、彼の手にしたそれはあまりにも大きすぎる。
そしてリューザは一歩踏み込むと、目の前にいる狼に勢いよく飛び掛かっていった。
滑りやすい足元で躓かないよう脚を踏ん張りながらもリューザは剣を振りかざして狼たちを牽制する。しかし、その切っ先がとらえるのは白い毛の数本ばかりだ。
そんなリューザに対して、近くにいたニアが剣を対峙した狼の爪を打ち鳴らしながらリューザに指摘を入れる。
「おい! そんなんじゃ骨も断てないぜ!」
「すみません……!」
リューザの攻撃が悉くフェイントとなるのは、もちろんこれまで武器を握ったことがないことによる技術力の無さが原因であるが、それだけではない。
敵であれ、自らの手で相手を傷つけることに対する恐怖心がリューザの心をつかんで離さなかったのだ。例え、精神状態が不安定であっても彼の根幹にある信念だけはどうやっても歪められなかったのだ。
こんな光景に全く縁のなかったリューザにとって、この場所はまさに地獄絵図だ。戦闘の中における興奮状態のおかげでリューザはかろうじて正気を保っていられる。発狂しそうになるほどまでに限界を来たしそうな心も気持ちの高ぶりと戦うことによる体力の消費によって抑え込まれている。いや、むしろ自分が今現在、狂っているのかそうでないのかすら今のリューザには判断しがたい状態だ。
しかし、ふとリューザはその場を見渡し、あることに気が付くと途端に冷静さを取り戻して顔を青くさせる。
「はっ! ハノンは!? ハノンがいないよ!」
なんと、先程からハノンの姿が見えないのだ。
「嘘だろ!? あいついつの間に!」
「リューザたちが襲われたということは、狼は数の少ない所から狙っているってことだよ! やつらだって馬鹿じゃない、知能は人間並なんだ! 急いで、ハノンと合流しないと!」
リューザの声にその声の届いたリューザの近辺にいた部隊員が困惑する中、サナは他の隊員たちに呼びかけると彼らとともに、すぐさま狼のいない所を抜けて森の奥へと一斉に駆けていく。
サナとともに他の部隊員たち皆がハノンを探しに向かっていく中、リューザはその場にとどまろうとする。そんなリューザにギャレットは黒い影で狼たちを牽制しながらリューザに指示する。
「オ前モ行ケ」
「ギャレットさんは!?」
気が付けば今ここに残ったのはギャレットの他にはリューザとパンタローナだけだ。ギャレットの隣には幼馴染の変わり果てた姿に絶望するパンタローナがへたり込んでいる。リューザがここを離れてしまえば彼は手負いの状態で何匹もの狼の相手を一手に引き受けるどころか、少女一人を守りながら戦うことを強いられるのだ。
「ココハ俺一人デ十分ダ。恐ラク他ノ狼ハ、サナ達ノモトヘ向カッタハズダ。手分ケシテ援護ニ回レ」
そう言うとギャレットは再び小声で文言を口にしだす。すると、影が四肢のように伸びていき四方八方の狼たちを次々と捉えていく。
「わ、わかりました! ギャレットさん、無事でいてください!」
ギャレットの自信に満ちた声はリューザの混乱を少しだけ和らげた。彼の言葉に感化されたリューザは、後ろでギャレットと対峙する狼たちを見送りながらサナたちの後を走って追っていくのだった。
キャラクター紹介
ニア 23歳、第一部隊の部隊員、片手斧を武器として戦う。
アンデル 28歳、第一部隊の部隊員、遠距離通信の"魔術"を使って他部隊との連絡役となっている。
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