第四十七話 ジュノ編 ~急襲~
大木の犇めき合う密林の中、聳え立つ岩壁の肌を落下していく瀑布。崖は灰色と所々苔の生い茂った緑に染まっている。
一人、部隊から少し離れた先で見つけたこの場所にもリューザは既視感を感じた。
夢の中で見た景色。目の前に広がる光景は正にそれと同一のものだったのだ。しかし、滝壺のあたりを見ても、そこには夢の中に出てきた少年も黒い獣もいない。
リューザは滝下を流れる川に歩み寄って、そっと手を突っ込んでみる。河水のひんやりとした感覚はリューザの惑う気持ちを落ち着かせる。
「大丈夫……。大丈夫だ……ボクはきっと……」
リューザは自分に言い聞かせる。そっと背負った剣の柄に手をやってみると、その重さがずっしりと伝わってくる。自分が傷つけられるのは恐ろしいことだ。しかし、リューザにとって相手を傷つけることはそれ以上に恐ろしいことだった。例え、それがジュノの村を守るためとはいえ誰かを傷つけるのにはやはりそれ相応の覚悟が伴う。
相手のことを考えるばかりでは進むことができないのはリューザにだって理解できる。それでも戦うことへの抵抗感は人一倍だ。フエラ村で平穏を享受しすぎたせいなのかもしれない。
そもそも狼と対峙した時、自分は戦えるのだろうか。
リューザはふとシフォンダールでの一件を思い出す。リューザが止めに入るのも聞かずに、ブレダは恐れず立ち向かっていった。もちろん彼女の場合、気に食わないという理由で突っ込んでいったというのは事実だ。しかし、結果だけを見れば彼女はクレルを救ったのだ。それに比べてリューザは想いが先行するばかりで、いつだって肝心な時に勇気を振り絞れない。
自身の臆病さがつくづく憎たらしく感じる。
しかし、無理を言って討伐隊に入れてもらったからには手を抜いたり足手まといになることなど決して許されない。恩を仇で返すような結果になることだけはどうしても避けたいのだ。リューザは己を奮い立たせるために冷水でキンキンに冷えた両手で、自分の頬を力任せに叩く。
と、その時。
突然、背後から草を踏みつける音が聞こえる。その音を聞いた瞬間、リューザに悪寒が走る。
――まさか狼が……!?
ここへはほんの気分転換に来ていたので、気が静まったらすぐに引き返すつもりだったのだ。一人になった時に狼と出くわすなどとは少しも考えていなかった。
リューザは咄嗟に剣を鞘から引き抜いて構える。
心臓が破裂しそうなほどに鼓動が高鳴り切ったその時……。
「案ズルナ。俺ダ」
暗がりの奥の方から、湿気た滝の周辺の空気とは真逆の乾いた声が突然リューザの耳に入って来る。
言葉で 聞きなれない声にリューザは警戒心が緩まないが、明るい所へと姿を現したその人物にリューザは驚愕する。
「ギャレットさん!」
思えば、ギャレットは村で初めて出会った時から無口であったため、その声を聞く機会というのは今の今まで一度もなかった。リューザは彼だと気が付くと、構えた剣を再び鞘へと納める。
「ご、ごめんなさい。狼が現れたかと思って……」
「気ニスルナ、ムシロ良イ心ガケダ。常ニ緊張感ヲ持テ。狼ダッテ愚カデハナイ、今モ隠レテコチラヲ伺ッテイルヤモシレナイ」
「そんな……!」
「ダガ、警戒ヲスルニ越シタコトハナイ。取リ合エズ伝エルコトハ伝エタ」
しかし、リューザはふと彼が一人でここへ来たことに疑問を覚える。
「ところで他の皆さんは?」
「皆オ前ヲ気二掛ケテイル。ココデ、襲ワレタラ一溜リモナイダロウ。オ前ガ戻ルマデ、ココデ待ッテヤル」
そう言うとギャレットは近くの大木に背をもたれる。
リューザはそんな彼の姿に少し揺り動かされる気がした。
この村の人間でないにも拘らず、ギャレットは部隊の隊長として態々気をかけてここまで来てくれた。彼、そして部隊の皆はリューザを部隊の一員として認めてくれているのだ。
今は一人ではない。こんなにも心強い仲間がいるというのに何を恐れていたのだろうか。リューザは自分の考えがあまりにも独りよがりだったことを恥じる。
自分のできる範囲で精一杯彼らの力になろう。
リューザは決意を固めるとゆっくりと立ち上がり、瀑布を背にしてギャレットの方へと目をやる。
「ありがとうございます。でも、ギャレットさんのおかげでなんだか悩みも吹き飛びました。行きましょう、皆のところへ」
その言葉にギャレットは少しだけ目を細めたようだ。
その時、ふと生暖かい風がリューザの頬を撫でる。
「待テ」
リューザの方へと歩み寄ろうとしたとき、ギャレットが突然に口を開く。
「どうかしましたか?」
「来ルゾ……」
リューザの問いに答えるも突如焦燥とした様子でリューザの後ろの一点を見つめている。すると、先程まではしなかった何か妙なにおいが鼻孔を突いていることに気が付く。言いようのない胸騒ぎを感じて背後を振り返った次の瞬間……。
突然リューザの身体が宙に舞う。何が起こったかわからず、さらに爆音が聞こえてきたのだ。その直後、熱を伴った爆風がリューザを襲い、その勢いで彼はその身軽な身体を吹き飛ばされてしまう。
「ぐっ……」
地面にたたきつけられたリューザ倒れこんだままは堪らず目を閉じてうめき声をあげる。
そして、何とか状況を把握しようと瞼を開いた時、リューザは自身の足元に奇妙なものを発見する。
なんと黒い影のようなものがリューザの脚と地面の上面を生き物のようにうねうねと這っているのだ。その奇々怪々とした様子にリューザは慄く。
「ひっ!」
手でそっと払おうとすると、ギャレットから静かに呼びかける。
「ソッチハ味方ダ」
そう言うギャレットを見ると、彼が常に付けていた黒いマフラーは消え去っている。そう思うと、今リューザの足元にいる黒い影が彼が肌身離さず付けていたマフラーと酷似しているような気がする。この影を操るのが彼の"魔術"ということなのだろうか。
そして、ギャレットがその炎の如く紅い瞳で睨みつけている先を見てリューザは絶句する。
なんと、リューザが先程までいた場所は木っ端みじんに粉砕され、地は抉れ地中の岩石が剥き出しになっていたのだ。ギャレットが"魔術"を使ってリューザを退避させてなかったら今頃あの爆発をもろに食らうこととなっていただろう。
「これって……」
「狼ダ……。コンナトコロニ隠レテイタカ……」
ギャレットは悔しそうにそう言うと、何やらボソボソと小声で文言を唱えだす。
一方のリューザは錯乱状態だ。まさか、自分のいる場所をピンポイントで不意打ちされるなど予想していなかった。しかも、敵がどこから攻撃してきたのかすらわからない状況だ。そして、狼の"魔術"の威力の強烈さも戦慄ものだ。恐怖で腰が抜けそうになるのに耐えながらリューザはゆっくりと立ち上がる。
――このことを、部隊の皆に知らせなくちゃ!
リューザが部隊の元へ戻ろうと駆けだそうとした瞬間、足元の影がリューザから離れていく。
そして、黒い影はまるで開花する花のように、縦横無尽に広がると滝の向こう側とリューザとの間にあっという間に障壁を形成してしまったのだ。その様子に唖然とするリューザの手をギャレットが引く。
「来イ」
焦るようにしてぶっきらぼうにそう言うと、ギャレットはリューザの手を引いて来た道を急いで戻っていくのだった。
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