第三十三話 シフォンダール編 ~少年クレル~
「ブレダ、もうここまで来れば大丈夫だよ……」
建物による日陰で薄暗い路地の中、息の上がったリューザが声を上げる。
あの後、三人は迷路のような路地を走り続けて、出来るだけ追手に追いつかれないようにしていたのだった。
「そうね……」
ブレダも落ち着いた様子でリューザに答えて足を止める。どうやら、走っているうちに彼女の怒りも治まっていたらしい。
「ありがとう、ブレダ助かったよ」
「まっ、私に死ぬほど感謝することね」
リューザのことをお取りにしたことなど完全に棚に上げてブレダは少し高慢な表情を浮かべる。
「でも、やりすぎだったんじゃないかな。あの人たち深い傷を負っていないといいけど……」
リューザがあの徒党たちの肩を持つ言葉を口にする。これは彼なりの思いやりでもある。自分を傷つけた人物とは言え、リューザにとって他の誰かがつらい思いをするのは耐えられなかったのだ。
しかしその瞬間、ブレダは再び穏やかでない表情でリューザに迫っていく。
「は……このバカッ!!」
突然の罵りとともに助走の短いビンタがリューザを襲う。
リューザは脈絡のない暴力に信じられないといったようにブレダの方に向けて目を見開く。
「何呑気なこと言ってんのよ!? アイツの目ぇ見たでしょ! アンタ……こんな傷負って……殺されてたかもしれないのよ!!」
ブレダはリューザのナイフで傷つけられた腕を容赦なく持ち上げるので、腕の痛みが増し苦痛で顔を歪める。
それでもリューザは彼女に反応すべく、ずきずきと腕が痛むのに耐える。
「そんなこと……」
「ありっこない……なんて言えるの?」
「……」
リューザにはその質問に明確な答えを出すことなどできなかった。目の前で実際に信じられないようなことが起こったのだから否定することなど決してできないのだ。相手は喧嘩に殺傷能力を持つナイフと持ち出していた。もしもブレダが並の女性程の力しかなければ三人とも下手をすれば命を落としていたかもしれないのだ。
ブレダは取り乱しながら言葉を継ぐ。
「私だってわけわからないわよ!この世界は一体どうなってるの?アタシたちの住んでた村、いいえ!村だけじゃないわ!あっちの世界ではこんなことなかったんだもの!」
「僕の目にもこの世界は異様に見えるよ。でも、何を見てそう思ったのかはボク自身にもわからないんだ」
「そうよ!魔法もそうだけどそれだけじゃないわ、この世界には言いようのない違和感があるのよ……。あぁ~~ぁ、もう!何なんのよ、ムカつくわねぇ~~~」
ブレダは頭を抱えながら所かまわず喚き散らしてしまう。
そうなってしまうのも無理はないだろう。確かに、この"世界"は自分たちのいた世界とは違う……人を見境なく襲ってくる野獣、貧困を極めて飢えに喘ぐ人々、人が人を殺すこと……そんなことがあり得るのだろうか。そもそも、自分たちの元居た村フエラとこのシフォンダールを中心とした"巨人の足跡"という地方は地続きで繋がっているのか。手探りの中、何もかもわからずリューザは不安の淵に立たされている。
そんなことを考えている中――。
「ああ、ごめんね。大丈夫?」
ふとリューザは隣にいる手を引いていた少年を気遣うように声をかける。
「はい……、あ、ありがとうございます」
少年の方も息が絶え絶えのようだ、深呼吸をして何とか息を整えようとしている。
そして、彼が漸く息が整ったところでリューザは彼に話しかける。
「ははっ、無事そうで何よりだよ。そう言えばボクの名前を言っていなかったね。ボクはリューザ。そして、こっちはブレダだよ」
「ぼくはクレルと言います。えっと、今朝のことといいリューザさんには助けられっぱなしですね……。ブレダさんも先ほどはありがとうございました」
幼い見た目の割にはかなりしっかりとした様子だとリューザは感心する。そんなリューザを発狂しきって落ち着いたブレダはジト目で見る。
「へえ……アンタが人助けねえ……。たまには人の役に立つこともあるのね」
「そんな大したことはしてないよ」
照れて顔を赤くするリューザを冷めた目で一瞥するとブレダはクレルの方へと向く。
「それはそうと、随分な大荷物だけど、何を運んでたのかしら?」
クレルは一瞬は躊躇ったもののすぐにブレダの疑問に答えを出す。
「そうですね。本来なら見せるべきものではないのでしょうが、助けていただいた音があるのにひた隠しにもするわけにはいきませんからね……。他言はしないでくださいね?」
そう言うとクレルは軽く白い覆いを持ち上げて、二人に中身を見せる。そして、中を見た驚きで声を漏らす。
「これって……!」
なんとそこにあったのは剣や槍、弓矢といった武具の数々だったのだ。驚くリューザに対して、ブレダはいたって平静を保っている。
「まあ、そんなことだろうとは思ってたわ。荷車も変に重かったし、こんな風に態々人の目につかないようにする必要があるものだったってことだものね」
リューザはブレダがこれを徒党と対立しているときに気が付いていなかったことに心底安心する。もしも、彼女がこの武器に気が付いて手にしたら最後、流血沙汰では済まなかっただろう。
「そう言えば、リューザさん。腕の方は大丈夫ですか?」
「ああ、そうだったね」
リューザが傷口に目をやると流血は止まっていたが、上着の裂け目越しに見える真っ赤に染まる腕は痛々しい。痛みはある程度引いていたが、意識しだすと途端に気になり始める。
「この服、ボクのお気に入りだったのになあ……」
「ごめんなさい。ぼくのせいで……」
「気にしないでよ。あれはボクが迂闊だったんだよ。クレルは何も悪くないさ」
リューザが謝るクレルを慰めていると、ブレダが口を開く。
「ああ、そう言えば。アタシ、マルサルさんからゼンブの樹液を貰ってたんだったわ……」
ゼンブの樹液と言えばリューザが野犬に肩を刺されたときに、マルサルが治癒のために使ったといっていた物だ。ブレダは服のポケットから透明な小瓶を取り出す。その中には、黄金色に輝くぬめりのある液体が入っているのが見えた。あれがゼンブの樹液なのだろうか。だとすれば、リューザもその効能は自らの身体をもって確認済みだ。
「これでも塗っておきなさいよ。まあ、服が裂けちゃったのは我慢しなさいよ。どっかで裁縫道具が手に入ればアンタは縫い付けられるでしょ?」
そう言ってブレダが小瓶のふたを開けようとすると、それをクレルが牽制する。
「待ってください! その程度の傷であれば、ぼくがっ!」
そう言うとクレルはリューザへと歩み寄って、傷口に両手を当てると何やら文言を口にし始める。突然何をし始めたのかと戸惑うリューザだったが、彼の手の辺りを見て漸く彼の行動の意味を理解する。
なんと、クレルの手から白い光が漏れているのだ。
その様子に、リューザとブレダは驚愕の表情を見せる。
そして、暫く彼の手が光を放った後、ゆっくりとリューザの腕からその手を離していく。すると、リューザの腕の傷はすっかり消えていた。
「ちょっと! すごいじゃないの、アンタ!」
ブレダは再び魔術に相対して興奮気味にクレルを讃える。
「いえ、ぼくはまだまだ魔術師の端くれですから。お役に立てるのはこれくらいしかないです」
その言葉でリューザは少し引っかかった様子だ。
「端くれ……ってことはもしかして他にも魔術師がいたりするの?」
「はい! ボクはこの町から北西にあるジュノ村から来たんです。その村には魔術を使える人は結構いますよ。もしかして、魔術師を探しているのですか?」
「そうね。アタシたちは"解術師"ってのを探してるのよ。アンタの知り合いにそういう人っているかしら?」
その言葉にクレルは手を顎に当てて考えるようなそぶりを見せる。
「"解術師"……ですか? それなら、村に一人いますよ。ぼくはその人から魔術を教わったんです」
その言葉にリューザとブレダは思わず目を合わせる。ブレダはしてやったりという勝ち誇った表情だ。
「まあ、ほんとに! 聞いたかしらリューザ! こうなったら、その村に乗り込むしかないわね! 案内してもらいましょうよ!」
「確かにそうしてもらえるとありがたいけど……。クレルは迷惑じゃない?」
「もちろんです! あなた方はぼくの恩人ですから! それに村でお礼をしたいです。きっとあなた方のお役に何か立てると思います」
「なら、馬もつれていきましょうよ。"解術師"が見つかったとなれば、こんな町とはもうおさらばよ!」
「そうだね。きっとラニーとピサもボクたちのことを待ってるだろうからね!」
そうして三人は宿泊所へと歩みを進めていくのだった。
漸く歯車が動き出した。リューザとブレダ、それぞれがこれからの明るいであろう展望に胸を躍らせるのだった。
キャラクター紹介
クレル 10歳。ジュノ村に住む少年。幼いながらもしっかりとした性格をしている。
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